「ダイバーシティは単なる人権の問題ではなく、日本の成長戦略にとって重要なもの。この問題をクリアできなければ、2040年には日本は世界から取り残されたままになる」と投資家でファンドマネージャーの藤野英人氏は語る。我々が今こそ思考をアップデートすべき理由とは? それが「儲(もう)けの源泉」となる根拠とは? 藤野氏の著書『 おいしいニッポン 投資のプロが読む2040年のビジネス 』(日本経済新聞出版)から一部抜粋してお届けする。
経産省の選定委員になって見えた日本の実情
私がESG(環境、社会、ガバナンス)に専門的にかかわり始めたのは、2015年のことです。経済産業省が健康経営銘柄の選定をスタートするにあたり、医師などの専門家と並んでワーキンググループに名前を連ねることになりました。
私に声がかかったのは、健康に関するスペシャリストだけでなく、企業経営者であり投資家であるという立場からの意見が必要だと考えられたからでしょう。
「健康経営」という言葉は今でこそ広く認知されるようになりましたが、初めてこの言葉を聞いたときは強烈な違和感を覚えたものです。「健康」と「経営」という言葉は当時はセットで使われることがほとんどなく、その異質な組み合わせは人造人間フランケンシュタインのように感じられたのです。
2017年には、これも経済産業省による大臣表彰「新・ダイバーシティ経営企業100選」の選定委員になり、多様な人材の能力を活かして価値創造につなげ、中長期的に企業価値向上を実現し続ける「ダイバーシティ経営」をしている企業を「100選プライム」に選出する際の選定を担っていました。
同じ年に「日経ソーシャルビジネスコンテスト」の委員も務めるようになりましたから、日本で「ソーシャル」や「ダイバーシティ」がどのように進化してきたのか、あるいは進化できなかった部分はどこだったのか、公的な立場からも見つめ続けてきたといえます。
女性の社会参画の取り組み=女性用トイレ増設?
現在ではESGやSDGs(持続可能な開発目標)という言葉を目にしない日はないほどで、企業経営において従業員の健康を大切にするという考え方もずいぶん広がりました。ほんの5、6年ほどの間に社会がどれほど変化したのかを感じます。
一方で、ダイバーシティについてはまだまだ進化が足りないと言わざるを得ません。
2020年の100選プライムの審査のときの話です。日本を代表するメーカーの子会社の応募書類を見て、私は「これはいつの時代の話だろうか」と驚きました。女性の社会参画を進めるための取り組みとしてアピールされていたのが、女性用トイレを増設したことだったのです。
2021年には、客観的なスコアで上位に入っていた生命保険会社を落とすということもありました。
生命保険会社は保険のセールスを担う女性社員が多く、全社員に占める女性の割合は高いので、スコアだけ見れば日本の中でも特に女性の社会参画が進んでいる企業ということになります。
しかし実態を見ると、管理職に占める女性の割合は数%に過ぎず、役員ともなると内部昇格者はほとんどいませんでした。
その一方で女性の学者や著名アナウンサーが外部から登用されているのを見て、「女性活躍を推進しています」とアピールするためではないかと考えざるを得なかったのです。
テクノロジーの社会実装にはダイバーシティが必須
世界でダイバーシティが進む中、日本の歩みは非常に遅いと感じます。
障害者やシニアの社会参画も増えてはいますが、いずれもまだまだ不十分ですし、外国人、LGBTQ(性的少数者)などについての取り組みは大半の企業ではほとんど手つかずといっていいのではないかと思います。
ダイバーシティが重要な理由はたくさんありますが、私が特に重視している点は、ダイバーシティがテクノロジーの社会実装のために必要な要素だということです。
そもそもインターネット社会は、情報の出し手と受け手がフラットな存在であり、対等な立場で受発信できるという水平的な価値観が求められるのが特徴です。
一方で、日本では年齢や地位による上下の人間関係や男女の性別による役割分担意識などが根強く、縦社会の価値観が前提になってきました。日本がDXで後れを取っているのは、ひとつには、そのような矛盾を抱えたままデジタル化を進めようとしたことに無理があったからです。
わかりやすい例を挙げれば、「ビジネスはとにかく挨拶だけでも相手に直接会うことが大切」「一緒に飲んで腹を割って話してナンボ」「押印するときは上役に向けておじぎをするように傾ける」「役職が上の人は上座に座る」といったような縦社会・村社会ならではのウエットな人間関係や儀式がデジタル化を阻んできたことは否めないでしょう。
これから私たちは、「縦」の価値観を「横」に倒さなければなりません。
社会の序列を決めていた身分制度的なピラミッド構造を壊して一人ひとりが自由に個性を発揮できるようにし、「それぞれ担う機能は違うけれども価値は一緒だ」と考えられるようになることが大切です。
それができなければ、2040年には日本が世界から取り残されたままになる恐れがあります。
繰り返しになりますが、私たちがテクノロジーを社会実装していく上で、ダイバーシティは非常に重要です。これは日本の成長戦略にとって重要であるということであり、ダイバーシティを単なる人権の問題だと考えるのは誤りです。
「老害」とは思考をアップデートしない人
ダイバーシティの進展については、私は楽観的です。2030年、2040年と時が進めば、間違いなく状況は好転しているでしょう。今はまだダイバーシティに対する理解がかけらもない「岩盤層」がいますが、この層に占める高齢者の割合を考えると、時間と共に岩盤が崩れ去ることは疑いようがないからです。
ただ、時間と共に「岩盤層」がいなくなるといっても安心はできません。SNSで「老害というのは思考が古い人ではなく、思考がアップデートしない人」という書き込みを見かけましたが、ダイバーシティを受け入れられないのは高齢者だからというわけではないのです。
女性への差別的な取り扱いや縦社会のありようはかつては一般的な価値観であったわけで、それが大きく変わったのは最近のことです。
高齢者であってもその変化を理解して受け入れられる人は老害ではありませんし、古い価値観からなかなか抜け出せない人は年齢に関係なく「ダイバーシティを理解できない老害」ということになります。
心の底でダイバーシティやSDGsについて「道徳や人権だけの問題として仕方なく取り組んでいる」「面倒だがコンプライアンス上、留意しなければならない問題」などと考えている人は、「思考をアップデートしない人」です。
もし自分があてはまるかもしれないと感じる方がいたら、思考をアップデートできなければ「負け組」になっていく可能性が高いということを理解すべきでしょう。
実はダイバーシティは「儲けの源泉」
あまり理解されていないように思うのですが、私はダイバーシティは「儲けの源泉」だと思っています。
これを理解するためのひとつのキーワードは「個別化」でしょう。
今後、DXによって消費者一人ひとりの個別のニーズにきめ細かく対応することが可能になり、実際に個別のニーズに対応する商品やサービスはどんどん登場してくるはずです。
そのような環境の変化の中、従来のように消費者をマスで捉え、世代や性別、国籍などで分類して商品やサービスを当てにいくやり方ではうまくいかなくなるでしょう。
大事なのは「男性か女性か」「何歳なのか」「どの国の人なのか」ということではなく、「ひとりのユーザーが何を求めているのか」です。
当たり前のことですが、人間は一人ひとり異なる価値観や個性があり、60代でも20代の若者と価値観が似通っている人もいます。
「60歳の日本人男性向け」というようにターゲットを設定して商品やサービスを提案してもビジネスはうまくいかず、テクノロジーを活用しながら、よりきめ細かに個別のニーズに対応することにフォーカスする必要が出てくるでしょう。
それに対応できる企業が成長していく一方で、ダイバーシティの真の意味を理解できずニーズの個別化対応ができない企業は失速していくことになると思います。
ダイバーシティが進めば、これまで傷ついてきた人たちが傷つかずに済む社会がやってくるでしょう。若者、女性、障害者、外国人、LGBTQなどの人たちが本来の力を発揮できるようになれば、それが日本の底力を上げていく大きな要因になるのは間違いありません。
そして、それを支援していく企業にとってダイバーシティの進展はそのままビジネスチャンスになります。私は、女性や障害者の社会参画やLGBTQのサポートをする企業の中から大きく成長する企業が生まれる可能性が高いと思っています。

優れた起業家は「穴」を見つけてそれを埋める
私が投資家として数多くの起業家を見てきて思うのは、新たなビジネスは目新しいアイデアによってつくられるのではなく、「穴を発見してそれを埋める方法を考える」ことによって生まれているということです。
ここでいう「穴」とは、社会課題のことです。理想と現実のギャップといってもいいかもしれません。「理想としてはこうあってほしいが、現実はそうなっていない」というとき、その差分が「埋めるべき穴」となります。
ダイバーシティの問題は今まさに日本の大きな「穴」になっているところですから、その「穴」を埋めることができれば大きな伸び代があるでしょう。

[日経ビジネス電子版 2022年1月11日付の記事を転載]
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