暗号資産イーサリアムを弱冠19歳にして2013年に創案し「若き天才」と称されるヴィタリック・ブテリン。彼はプログラマーであると同時に、ブロックチェーンおよび暗号資産のあり方を2011年から取材・執筆してきた著述家でもある。イーサリアム誕生前夜から現在までの彼の著述をまとめた書籍『 イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来 』から、非中央集権化に関する考察を一部抜粋・再構成して紹介する。
「非中央集権化(decentralization)」は、暗号経済の世界で特に多用されている言葉のひとつで、ブロックチェーンの存在理由そのものとまでいわれることも多い。だが、定義が曖昧な単語の筆頭でもある。これまで、何千何万という研究の時間と、膨大な金額に相当するネット上のマシンパワーが、非中央集権化を達成する目的で、そしてそれを保護し改善するために費やされてきた。議論が紛糾してくると、あるプロトコルの推進派は、対立する相手を糾弾するとどめの一撃として、「中央集権的」という言葉を使うのがお決まりの展開だ。
だが、この言葉の本当の意味については、かなりの混乱が頻繁に見受けられる。たとえば、次の図もそうだ。後述するように役に立たないのだが、不本意ながら、あちこちで見かける。
試しにQAサイト「クオーラ」で、「distributed(分散型)とdecentralized(非中央集権型)の違いは何ですか?」という質問に対する二つの答えを見てみよう。一つ目は、実質的に先の図を繰り返しているだけだが、二つ目はまったく違う考えを展開している。「distributed(分散型)とは、トランザクションの処理が1か所だけでは実行されないこと」で、「decentralized(非中央集権型)は一つの実体がすべての処理を管理しないこと」という答えだ。ところが、別のQAサイト「スタック・エクスチェンジ」にあるイーサリアムページでは、よく似た図を使って説明しているものの、なんと「distributed」と「decentralized」の指すものが入れ替わっている。どう考えても、明確な説明が必要だろう。
3種類の非中央集権化
ソフトウェアの非中央集権化という話になったとき、そこで語られる中央集権化と非中央集権化には、実は大きく違う三つの軸がある。もちろん切り離して考えることはできない場合もあるが、一般的にはそれぞれまったく別のものだ。以下の三つの軸である。
・アーキテクチャ上の中央集権化と非中央集権化 システムを構成する物理的なコンピューターはいくつか。そのうち、一時的な停止に対して耐性を備えているものはいくつか。
・政治上の中央集権化と非中央集権化 システムを構成しているコンピューターを、最終的にコントロールする個人または組織の数はどのくらいか。
・論理上の中央集権化と非中央集権化 システムで使われるインターフェースとデータ構造は、単一のモノリシックオブジェクトのようなものか、それとも不定形の群体のようなものか。単純な見分け方として、あるシステムを、プロバイダーもユーザーも含めて半分に割ったとき、どちらの半分も独立した単位として完全に機能しつづけるかどうか。
以上の三つの軸を図示すると、次のようになる。
ブロックチェーンの利点は、アーキテクチャと政治的な非中央集権化
この図の配置は、かなりの部分が大雑把で、議論の余地は大いにあるだろう。それを承知のうえで、ひとつひとつを説明していこう。
・従来型の企業は、政治的に中央集権型であり(CEOが1人)、アーキテクチャ的にも中央集権型であって(本社オフィスが1か所)、論理的に中央集権型である(半分にすることはできない)。
・民法は中央集権的な立法機関に依存しているが、習慣法(コモンロー)は何人もの裁判官個人が下した判例で成り立っている。とはいえ、かなりの裁量をもつ裁判所も多いので、民法はアーキテクチャ的にある程度は非中央集権型の面をもつ。一方、コモンローは非中央集権型の性質がもっと大きい。どちらも、論理的には、中央集権型である(「法律は法律だ」)。
・言語は、論理的に非中央集権型である。アリスとボブが2人で話す英語と、チャーリーとデイヴィッドが2人で話す英語との間で合意はまったく必要ない。言語が存続するのに中央集権的なインフラストラクチャは不要だし、英語の文法規則はどこかの個人が作ったり管理したりしているわけではない(これに対して、エスペラント語はルドヴィコ・ザメンホフが独自に作り出した人工言語だが、今では自然言語に近くなり、管理当局のないまま段階的に発展をとげている)。
・ビットトレントは、英語と同じような意味で論理的に非中央集権型である。コンテンツ配信ネットワークもそれと似ているが、一つの企業によって経営されている点が異なる。
・ブロックチェーンは政治的に非中央集権型で(管理者がいない)、アーキテクチャ的に非中央集権型である(どのインフラも単一の障害点にならない)。だが、論理的には中央集権型だ(統一的に合意される状態があり、システムは一つのコンピューターのように動作する)。
ブロックチェーンの利点について語るときは、「中央のデータベースが一つ」である点が美徳として取り上げられることが多い。そこでいう中央集権化とは、論理上の中央集権化のことであり、まず間違いなく良性の中央集権化である。
アーキテクチャ上の非中央集権化は、政治上の非中央集権化につながることも多いが、必ずというわけではない。形式的な民主主義において、政治家は議場に集まって投票を行うが、その議場の管理者が結果として意思決定に対して実質的な権限を得られるわけではないからだ。
論理上の中央集権化は、アーキテクチャ上の非中央集権化を難しくするが、不可能にするわけではない。非中央集権的なコンセンサスネットワークが、機能することはすでに証明されているものの、ビットトレントを管理するより難しいことを考えれば分かる。また、論理上の中央集権化は、政治上の非中央集権化を難しくする。論理的に中央集権化したシステムでは、「互いの言い分を認める」ことに合意するだけで論争を解決するのは難しいからである。
ヴィタリック・ブテリン(著)、ネイサン・シュナイダー(編)、高橋聡(訳)、日経BP、2420円(税込み)