かつて「液晶の雄」と呼ばれるも、大型債務を抱えて経営危機にひんしていたシャープ。スマートフォンや薄型テレビなどの電子機器受託生産世界最大手、鴻海(ホンハイ)精密工業から来た新社長・戴正呉(たいせいご)氏のもと、シャープはわずか1年4カ月で東証1部(現在は東証プライム)復帰を果たす。「ミスターコスト」と呼ばれた戴の目に、当時のシャープはどう映ったか。知られざる再建の舞台裏を、戴氏の著書『 シャープ 再生への道 』(日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

「ミスターコスト」の経営改革

 「山は高きに在らず、仙有らば則ち名あり。水は深きに在らず、龍有らば則ち霊あり。斯(ここ)は是れ陋室(ろうしつ)にて、惟だ吾が徳のみ馨(かんば)し(中略)。孔子云う、『何の陋(いや)しきことかこれ有らん』と」

 これは私が好きな唐詩「陋室の銘」である。

 どんなに狭くて粗末な部屋に住んでいても、自らが徳を高尚にしていれば恥じることはない、といった矜持(きょうじ)を詠じている。

 私は台湾での大学時代、最初の就職先である大同での東京駐在時、鴻海での深セン・煙台の工場に至るまで、基本的に寮で暮らしてきた。大同の経営理念である「正誠勤儉(正しい心で誠実・勤勉に、つつましやかに経営に当たる)」が身についているので、会社が自分のために豪華な社宅を用意することを望まなかったのだ。

 2016年8月にシャープの社長に就任してからも、その考え方は変わらなかった。

 当初は、早春寮という社員寮に住んだ。風呂は共同の大浴場で、私が入居した時点ですでにかなり老朽化していた。

 シャープのスタッフからは、日本の大企業の社長は立派な住宅に住み、黒塗りの社用車で送迎されるのが常識だと反対されたが、私は断った。私の仕事のスタイルや習慣に合わなかったし、債務超過で東証2部に降格した会社の経営をあずかる人間として、1円でも節約したいとの思いがあったためだ。

 そこには、社長が率先して節約を実行することで、徹底的な構造改革を実施し、業績を早期に黒字化させる決意を社内外に示すという意味もあった。

 大阪・西田辺にあったシャープ本社は早春寮から近かったのだが、堺の新本社は徒歩で出勤するには遠すぎたので、2018年に新たな寮に引っ越すまで、私は早春寮に住んでいた幹部社員と社有のワゴン車に同乗して出勤した。

戴正呉氏は2016年8月にシャープの社長に就任した(写真/Shutterstock)
戴正呉氏は2016年8月にシャープの社長に就任した(写真/Shutterstock)
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黒字化するまでは報酬ゼロ

 また、私は社長就任に際して「シャープが黒字転換しない限り、社長としての報酬を受け取らない」と宣言し、実際に報酬をゼロにしていた。これも早期に黒字化させる決意を示す意図があった。

 交際費も会社には一切申請しなかった。堺から東京に出張する際は新幹線に乗るが、グリーン車ではなく普通車に乗った。出張とは会社の資金を使った公務であるからだ。

 社長報酬をゼロにしていたことに関しては、こんなエピソードがある。私は2016年8月に社長に就任したが、当初は商用ビザで日本に入国・滞在していた。17年初めにはシャープの業績がある程度回復し、私の経営再建策が成果を挙げてきたこともメディアで評価を受け始めた。

 そのまま商用ビザで長期滞在していては、日本の入国管理当局からあらぬ誤解を招き、シャープの名誉も傷つけかねない。そこで、在留カードの取得を申請することを決め、事務の担当者に手続きを依頼した。

 ところが、窓口で「日本で収入がなく、納税実績もない」という理由で申請の受付を断られてしまったのだ。私はシャープの再建のために無給で働いていたのだが、在留カードの取得を断られるとは正直なところ驚いた。

 その後、ある方の口利きにより、在留カードは無事に発行された。今となっては笑い話だが、柔軟な対応をしてくれた日本政府には感謝申し上げたい。

 社長報酬をゼロにしていたことには、実は鴻海での習慣を引き継いだという側面もある。

 私はシャープへの移籍直前まで鴻海で副総裁を務めていたが、テリーさん(鴻海創業者のテリー・ゴウ氏)や私などの最高幹部は現金による報酬はゼロで、担当する事業部門の業績に応じて譲渡制限付きの鴻海株を受け取るという制度を運用していた。シャープも2021年6月の株主総会で、同様の制度の導入を決議した。

 シャープでの報酬については、2017年12月に東証1部に復帰した後、社内の報酬委員会から「黒字決算が定着した以上、役員報酬のルールに従ってほしい。社長報酬ゼロが習慣化すると後継者が困ってしまう」との訴えがあり、2018年4月から受け取っている。シャープが再生を果たした証しだと前向きに受け止めるようにしている。

「300万円以下」は社長決裁に

 本社による管理を徹底した具体例のひとつに、決裁金額の変更がある。

 鴻海で私が担当していた事業部門は「決裁金額一覧表」で決裁を厳格に管理していたが、シャープでは規定自体が甘いようだった。従来、社長による審査・決裁が必要な出費・投資の金額は1億円だったが、私は就任初日にその金額を300万円まで引き下げた。

 これにより、ほとんどの取引が私の許可を得ないと実行できないことになり、当初は多忙を極めた。しかし、私は鴻海時代に身につけた「今日できることは今日中に終わらせる」という長年の習慣に従ってこの業務をやり切った。

 この手法には当然、無駄な出費を抑える効果があったが、より大きな狙いは、私自身がシャープ内部のオペレーションを理解することにあった。カネの流れを押さえておけば、社員がどう考え、社内で実際にどんな動き方をしているのかを把握できる。ひいては経営の全体像を把握でき、正確な判断を下すことにつながる。

 私は決裁を求めてきた担当者に対し、電子ホワイトボードを使って直接説明することを求めた。説明に論理性がなく納得できない場合は、決裁書を容赦なく突き返した。7、8回突き返した後に、ようやくOKを出したこともある。

社長決裁の金額を300万円まで引き下げ、コスト削減などの効果があった(写真/Shutterstock)
社長決裁の金額を300万円まで引き下げ、コスト削減などの効果があった(写真/Shutterstock)
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 こうして担当者は社長への説明を上司任せにできなくなり、決裁書を真剣に作るようになった。担当者レベルの責任感がとても強くなり、そして半年もすると、私も社員もお互いにペースがつかめるようになった。私が担当者の顔と名前を覚えたという副次効果もあった。

 日本企業の稟議(りんぎ)書にはハンコが多いと言われるが、実際にシャープの稟議書には10個以上のハンコがあることもわかった。だが、本当に意味があるハンコは担当者、直属の上司、決裁権者の3つだけだ。

 私は無駄なハンコをなくすとともに、決裁権限の与え方などを明確に規定する改革を進めた。最後は社長である私が決裁するわけだから、形式的なハンコはいらない。ハンコが減れば決裁にかかる時間が短縮されて経営のスピードが上がるだけでなく、これも担当者の責任感を強くすることにつながる。

 その一方で、より大きな狙いは、私自身がどう決裁するかを社員に身をもって示すことにあった。

 シャープは経営が苦しかった時期に他社と不用意な契約を結び、経営の手足をさらに縛ってしまうミスを犯していた。重要なのは決裁金額の大小ではなく、決裁書の欠陥を見抜き、会社に損失をもたらす経営判断を避ける能力を幹部社員が身につけることだった。

 東証1部復帰後はこの改革が軌道に乗ったと判断し、社長決裁の金額を2018年に2000万円、2019年には1億円に引き上げた。これは、創業から100年以上の歴史を持つシャープの経営が正常に戻った象徴的な出来事の1つだと思う。

シャープ再建の立役者、鴻海出身の戴正呉は、経営危機にひんした巨大企業をいかにしてV字回復させたのか。挑戦とスピードを旗印に、何を捨て、何を変え、何を創ったのか。その再建の舞台裏を、彼の経営哲学とともに紹介する。

戴正呉著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)