その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はケイト・マーフィさんの 『LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる』 です。「SNSは社会全体を反映していない」、「つまらないギャグをいう人は大抵人の話を聞いていない」や「聞くことは最高の友情でもある」など、この本は目次も面白いとの評判です。ぜひチェックしてみてください。

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監訳者はじめに

 本書『LISTEN』は、「聞く」ことについて、人の認知や心、職場や家族の人間関係、そしてスマートフォンが生活に深く入り込んでいる現代の社会といった観点から描いた著作です。

 私たちは日常的にコミュニケーションの課題に直面します。
 「言いたいことが言えなかった」
 「何と伝えたらいいかわからない」
 「話したが、伝わってない気がする」
 そして、次は言い方を工夫しよう、タイミングを見計らおう、あの人に伝えてもらおうか……などと思うのではないでしょうか。

 でも考えてみれば、コミュニケーションには伝える方と受けとる方、両方必要です。それなのに私たちは、伝え方や話し方ばかりに意識を向けてしまう。この忘れられがちな「聞く」に焦点を当てたのが本書です。

 聞くことが大切な職業には、たとえばカウンセラー、医療職、介護職があります。企業でも「1on1」と呼ばれる、上司が部下の話にじっくり耳を傾ける面談スタイルを取りいれることが増えてきました。
 本書ではそうした職業に加えて、人質交渉人、即興劇のコメディアン、諜報機関の尋問担当、大型家具店の営業担当者などが登場し、彼らにとって聞くことがどれほど重要かを語っています。
 また、じっくり話を聞いてもらうことや、聞く姿勢とスキルを身につけることが、子どもの発達や夫婦関係から、職場での成果、貿易交渉まで、実に多種多様な課題の解決に寄与する様子が、最新の科学、実践例、哲学や文学まで様々な専門家の見解とともに描かれています。
 聞くことで私たちは、人を愛し、物事を理解し、成長し、周囲と絆を深めています。聞くとは、人間の営みそのものなのですね。

 ですから本書は「聞く」ことに関心のある人に加え、人と社会を理解するための教養の書として、幅広い読者の興味に応えるものです。

 著者のケイト・マーフィーは、『ニューヨーク・タイムズ』を中心に米英の有力紙で活躍するジャーナリストです。彼女は2年にわたって大量の文献を読み込み、研究者から市井の人々まで数多くのインタビューを行い、本書をまとめあげました。
 私が原著を手にしたのは、私自身が「聞く」ことに関心を深め、社外人材によるオンライン1on1を提供するエールというベンチャー企業に参画を決めた頃でした。本書の前書きを一読し、「いま私が考えていることがたくさん書いてある!」と興奮したことを覚えています。

 私は元々、まったく聞くことができない人間でした。(今もかなり怪しいです。)特に外資系企業にいる頃は、自分の主張を通すために人が話しているのをさえぎって自論を展開するのもまったくいとわなかったものです。
 そんな私が前職を退任後、「ジョブレス」と称して1年間の充電期間を取りました。多くの知人にじっくり私の話を聞いてもらい、私も相手に耳を傾ける機会に恵まれました。
 聞くことと聞いてもらうことを通じて、自分の考えや感情が言葉になり、自己理解が深まりました。

こうして私は聞くことの力を知り、探究するようになったのです。

 本書タイトルの「LISTEN」には、能動的に「耳を傾ける」という意味があります。私はエールでの仕事を通じ、能動的に相手に注意を向けて「LISTEN」する中にも、大きく異なるふたつの姿勢があると知るようになりました。

 それは、話し手の語る内容を「私の考えと合っている・違う」などと自分の頭の中で判断しながら聞く姿勢と、聞き手がいったん自分の判断を留保して話し手の見ている景色や感じている感覚に意識を集中させる姿勢のふたつです。
 本書では、後者の耳の傾け方を特に意識して記述している箇所では「聴く」の字を当てることにしました。

 本書がきっかけとなり「聞く」ことがあなたの人生を豊かにするなら、これほど嬉しいことはありません。

introduction――はじめに

 あなたが最後に、誰かの話に耳を傾けたのはいつだったか、覚えていますか?
 次に何を言おうかと考えたり、ちらりと携帯電話を見やったり、相手の話をさえぎって自分の考えを話し始めたりせずに、本気で聴いたのは?
 また、誰かがあなたの話を本気で聴いてくれたのは、いつだったでしょうか? 
 誰かが自分の言葉に注意を向けてくれ、的を射た反応をしてくれて、本当にわかってもらえた、と最後に感じたのはいつ?

 現代の私たちは、自分の心を聞こう、内なる声に直感に耳を傾けよう、それはいいことだから、と言われています。しかし他の人の話に注意深くしっかりと耳を傾けるようにと言われることはほとんどありません。
 逆に私たちは、相手の意見などお構いなしに、自分が言いたいことだけを話すという会話を繰り広げています。立食パーティや会議、さらには家族との食事のときでさえも、お互いの言葉をさえぎって話をしています。
 私たちは、会話についていくより、話題を提供して場を仕切るようしつけられてきました。ネット上でも直接会ったときでも、自分を印象づけ、ストーリーをつくりあげ、伝えたいことをぶれさせないことが肝要だ、と。自分が何を吸収するかではなく、何を伝えるかが大切だとされているのです。

 しかし、耳を傾けることは話すことよりもずっと大切です。これまで、話をきちんと聴かなかったがために、戦争が起こり、富が失われ、友情が壊れてきました。
 第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジの有名な言葉があります。
 「耳を傾けたがために職を失った人はいない」
 私たちは聴くことでしか、人として関わり、理解し、つながりあい、共感し、成長できません。聴くことは、プライベートであれ、仕事であれ、政治的なものであれ、どのような状況においても、人間関係がうまくいくための土台をなすものです。
 古代ギリシャの哲学者エピクテトスは、実際、こう言いました。「自然は人間に、舌ひとつと耳ふたつを与えた。自分が話すその倍は、人の話を聞くようにと」。
 それなのに、高校や大学に、傾聴を教える授業や活動がまったくと言っていいほどないのはどういうことでしょうか。言葉巧みな話術と説得力を教える授業やディベートのクラブはあるのに。スピーチ・コミュニケーションで博士号を取得したり、人前で話すスキルを高めるためのクラブに参加したりできるのに、聴くことが中心になる学位や研修は存在しません。
 昨今、成功や権力をイメージさせるのは、マイクを着けてステージを歩きながらプレゼンしたり、演台で演説したりしている姿です。夢の実現とは、TEDトークに出演することや、大学の卒業式に呼ばれてスピーチをすることになっています。
 ソーシャルメディアは、「あらゆる考えを世の中に向けて発信する、仮想のメガホン」と、「自分に反する考えを取り除く手段」をすべての人に与えました。
 人々は、電話をわずらわしいと感じ、留守番電話のメッセージを無視し、テキストや絵文字でのやり取りを好むようになりました。何か聞くとしたら、自分だけの安全な音の世界に入り込めるヘッドホンやイヤホン。遮断された世界の中での、自分の人生という映画のサウンドトラックです。
 その結果、孤立や空虚が忍び寄ります。そして人はより一層、デジタル・デバイスをスワイプ、タップ、クリックするようになっていきます。デバイスは気を紛らわせてくれますが、心の栄養になることはほとんどありません。
 ましてや、感情に深みを与えるなどさらにないでしょう。感情の深みを育むには、相手の声が自分の体と心の中で共鳴する必要があります。
 本気で耳を傾けるとは、相手の話によって、身体的にも、体内物質のレベルでも、感情的にも、知的にも、動かされるということなのです。

 本書は、聴くことを賛美する本であり、また文化として「聴く」力が失われつつあるような現状を憂う本でもあります。
 ジャーナリストとして、私はノーベル賞の受賞者からホームレスの小さな子どもまで、これまで数えきれないほどの人にインタビューしてきました。私はプロの聴き手だと自認していますが、そんな私にも至らないときがあります。ですので本書は、聴くスキルを伸ばすための指南書としても書きました。
 本書を執筆するにあたり、ほぼ2年を費やして、聴くことに関する学術的な研究を詳しく調べました。生体力学的(バイオメカニクス)・神経生物学的なプロセスと、心理的・情緒的な面への影響に関する研究です。また、アイダホ州のボイシから中国の北京まで、さまざまな場所にいる人たちに、数百時間に上るインタビューも行いました。私の机上でランプを点滅させている外づけハードディスクに、そのすべてが詰まっています。
 インタビュー相手は、聴くことに関する研究をしている人に加え、私のように集中して聴くことを仕事にしているさまざまな人々でした。スパイや牧師、心理療法士、バーテンダー、人質の解放交渉人、美容師、航空管制官、ラジオ・プロデューサー、フォーカス・グループのモデレーターなど。
 また、これまでの年月で私がインタビューしてきた人や、人物像を記事で描いてきた人のもとを、再び訪れました。芸能人、CEO、政治家、科学者、経済学者、ファッション・デザイナー、プロのスポーツ選手、起業家、シェフ、芸術家、作家、宗教指導者などもっとも成功し、もっとも洞察力のある人たちです。
 そして、次のような質問をしました。
 「聴くこと」とは、その人たちにとってどんな意味を持つのか。聴こうという気にいちばんなるのはいつか。人が自分の話を聴いてくれるときにどう感じるか。聴いてくれないときにどう感じるか。
 それから他にも、飛行機やバス、電車などでたまたま私の隣の席になった人や、レストランや食事会、野球の試合、スーパーで出会った人、犬の散歩中に会った人たちの話も聴きました。私にとってもっとも価値があると感じた気づきは、こうした人たちに耳を傾けていたときにひらめいたものでした。
 私がそうであったように、あなたも本書を読めば、「聴く」とは、人が言っている言葉を耳に入れる以上のことだとわかるでしょう。
 相手がどう言うか、言っている間に何をしているか、どの文脈で言っているか、その言葉があなたの中でどう響くか。「聴く」とは、こうしたことに注意を払うことでもあります。誰かが長々と意見を述べているときに、単に黙っているということではありません。まったくその反対です。
   「聴くこと」の多くは、あなたがどう反応するかにかかっています。
 その度合いによって、相手の考えをはっきりと表現として引き出すことができるし、そのプロセスの中で、あなた自身の考えも明確になります。ていねいに適切に聴けば、まわりにいる人や世界に対するあなたの理解は、がらりと変わります。
 あなたの経験や存在を豊かにしてくれ、高めてくれることは、間違いありません。こうして知恵は深まり、意義深い人間関係が構築されていくのです。

 聴くということをするかしないか、私たちは毎日、自分で決めることができます。「聴く」などたいしたことではないと思うかもしれませんが、どれだけしっかり聴くか、誰の話を聴くか、どのような状況で聴くかは、あなたの人生の進路を良くも悪くも決めてしまいます。もっと広い意味では、集合体としての私たちの聴く力、もしくはその欠如は、政治的、社会的、文化的に大きな影響を及ぼします。

 私たちはみんな、人生の中で注意を向けて聴いてきたものの集大成なのです。
 母親の心地よい声、恋人のささやき、メンターの指導、上司の忠告、リーダーの激励、ライバルの挑発―こうしたものが、私たちを形づくります。
 適当に聞き流したり、部分的にしか耳を傾けなかったり、もしくはまったく聞かなかったりすれば、世の中への理解は限定されてしまい、いちばんよい自分になれる可能性を狭めてしまうでしょう。

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