世界一の古書店街である東京・神保町は、専門書店が多いことでも知られる。その1つがすずらん通りにある東方書店。同店店長である田原陽介さんは、中国で天安門事件が起きた1989年に東方書店に入社、その後30年にわたって中国関連書籍の販売に携わってきた。田原店長に東方書店の成り立ちや中国書の販売事情を伺った。

お客様とのやり取りで勉強

東方書店はいつからこの場所にあるのですか?

「東方書店は、極東書店という洋書輸入業者の中国部門が独立して始まりました。創業年は中国で文化大革命が始まった1966年、このすずらん通りの店は1970年からです」

中国留学から帰国後、東方書店に入社されたとのことですが。

「私は『西遊記』などの物語や仙人、中国の神様好きが高じて中国語を学ぶようになり、その仕上げとして1989年、北京師範大学に留学しました。たまたまNHK北京支局でアルバイトをしていて、機材の運び役として天安門広場に出向きました。その時まさに天安門で発生したデモを目撃。その後市内に戒厳令が敷かれ、日本大使館からは帰国要請が出て、留学を中止し帰国したという次第です。その後、特にやりたいことも見つからなかったのですが、東方書店の社員募集をポスターで知り、面接試験のみで入社しました。

 当店には中国についてのさまざまな研究者、中国駐在が何十年といったビジネスパースン、専門出版社などの方々がご来店されます。お客様に質問されて、まったく分からないふりはできませんでしたので、そのたびに泥縄で勉強し、知識が増えていきました」

入社30年超のベテランである田原店長
入社30年超のベテランである田原店長

東方書店の業務の内訳を教えてください。

「中国、台湾、香港などの中国語圏からの輸入書と中国関連の和書を販売しています。出版社として中国関連の本も刊行するほか、大学や研究機関向けに中国の学術データベースを販売しています。さらに日本語のコミックスや学術書を中華圏に輸出する業務も行っています。

 外商と店舗を合わせれば輸入書の点数が多いですが、店舗だけ見ると和書が多いかと思います。外商部門は公費で購入いただけるので、単価の高い文献が多くなります」

長年お店にいらっしゃって、売れ筋に変化はありましたか?

「当店の屋台骨は学術書・研究書です。それは変わっていません。日本における中国研究の蓄積は相当なものです。中国は文化大革命によって学術研究が途切れてしまったこともあり、北京大学や清華大学などの研究者が日本の先行研究を学ぶために日本語の学術書を買っていきます」

東方書店の屋台骨である中国研究書
東方書店の屋台骨である中国研究書
東方書店の屋台骨である中国研究書
入ってすぐの平台には新刊・話題書が並ぶ
入ってすぐの平台には新刊・話題書が並ぶ

中国共産党の組織が分かる

最近の売れ筋を教えてください。

「これは中国の『経書』に加えられた注釈の読み方を日本語で解説した『中国注疏講義 経書の巻』(古勝隆一著/法藏館)です。中国古典の解説書ですが、これが当店で一番売れている新刊です」

「主に中国古典を学んでいる大学生が買っていかれます」
「主に中国古典を学んでいる大学生が買っていかれます」

「中国では、街中や職場などいたるところに共産党員がいます。政府中央がコロナ禍でロックダウンを命令すれば、すぐ実行されるのは、社会の隅々まで共産党組織があるからです。『中国共産党 世界最強の組織』(西村晋著/星海社新書)は中国でビジネスをする際にも欠かせない一冊です」

レジ前に置かれている『中国共産党 世界最強の組織』
レジ前に置かれている『中国共産党 世界最強の組織』

「ここ数年の変化は学術書・研究書だけでなく、中国に関するやわらかい内容のものや中華マニア向けの本が増えていること。その1つは同人誌です。これは科挙試験の合格マニュアルで、史料を基に日本人が執筆、編集したものです。『中華ファンタジーっぽいものイラストカタログ資料集』、『これから皇帝になる人の はじめての即位』、『ふだんづかいの青銅器』なんていうのもあります。これらの同人誌をSNSで紹介したらバズって、何百冊も売れました」

これらの同人誌はいずれも「楽史舎」より出版されている
これらの同人誌はいずれも「楽史舎」より出版されている
これらの同人誌はいずれも「楽史舎」より出版されている

中国の小説は「ダイナミック」

華文SFやミステリーが人気ですね。

「『三体』(劉慈欣著、大森望ほか訳/早川書房)の大ヒット以降、華文小説が次々と翻訳されています。近年日本のSF作家の作品が紹介されるようになり、その影響を受けて中国でSFを書く人が増えてきているようです」

『辮髪(べんぱつ)のシャーロック・ホームズ』(莫理斯著、舩山むつみ訳/文藝春秋)は、満洲族の探偵が活躍する香港の推理小説
『辮髪(べんぱつ)のシャーロック・ホームズ』(莫理斯著、舩山むつみ訳/文藝春秋)は、満洲族の探偵が活躍する香港の推理小説

「私が入社した頃は、中国の小説というと、中国を勉強するために読んでいる人が多かったのですが、今はただ作品が面白いから読んでいるみたいです。

 推理小説やミステリー小説は台湾や香港の作品が多いのですが、中国のものも増えています。『大唐泥犁獄』(だいとうないりごく、陳漸著、緒方茗苞訳/行舟文化)は、唐の時代を舞台に三蔵法師が活躍する活劇物。中国の小説は大掛かりでダイナミック、登場人物の感情の起伏が激しいところが特徴ですね」

武術書がずいぶんありますね。

「太極拳というと、日本では健康法に近いイメージですが、これらはすべて武術指南書です。写真やイラストがついていますので、中国語が分からなくても日本人が技を極めるために買っていきます」

ずらりと並ぶ武術書
ずらりと並ぶ武術書

政治的立場を問わず、中国本土や中華圏のさまざまな文献を扱っています。

「当店は中国政府による月刊誌『人民中国』の総発売元で、習近平国家主席の演説集なども扱う一方で、チベット独立、新疆ウイグル、台湾や香港についての、中国の共産党体制に批判的な内容の書籍や、いわゆる嫌中・反中の著者の本も置いています。ですから、中国本土では手に入らない本を、当店で買っていく、中国人観光客の方もいらっしゃいます。

 30年も店先に立っていると、けんかを吹っ掛けられることが何度かありました。そのたびに私が言うのは、『中国は好きですが、別に中国に忠誠を誓っているわけではありません』。人権の抑圧はもちろん反対ですし、言論の自由が大切なのは当然のことです」

台湾の出版社から刊行されている中国の政治に関する本
台湾の出版社から刊行されている中国の政治に関する本

今後どのような書店にしていきたいですか?

「当店の主軸は学術書です。まずは研究者の研究の一次資料をしっかりそろえるとともに、その研究成果が本になったら、きちんとそれらの研究書を置いていきたいと思います。近年、日中関係は悪化していますが、そんな時代にも学術交流は変わらずに行われています。また当店も創業以来の日中出版文化の交流を続けていきます。

 同時に、中国好きの方が気軽にやってきて、中国に関する話題を自由に語り合えるサロンのような店であり続けたいと思います。当店はそれほど混みませんから、店員やお客さん同士で話が弾み、気づいたら4時間くらいしゃべっていたということもざらにあります。これでは商売にならないと思われるかもしれませんが、それが私たちの仕事だと思っています」

田原さんが気になる書店、好きな書店はありますか?

「神保町の古書店では澤口書店をおすすめします。時折店をのぞくと、店の前に中国からの輸入書が置いてあって、掘り出し物が見つかったりします。大店では一誠堂書店も好きです。あと、同業の中国専門書店である内山書店も面白いので、当店にいらっしゃったときには、一緒に訪れていただければと思います」

文/桜井保幸 写真/木村輝

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日本人の人気作家による小説の中国語訳が並ぶコーナー
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「当店では『満洲語辞典』が何十冊も売れました」
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台湾の街角を撮影した写真集
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中国語圏とビジネスを行う人には欠かせない本
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近年、医療通訳を目指す人が増えていて、医療用語の中国語解説書がよく出る
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在日の中国人筆者による同人誌『中華BL用語大事典』と『中華オタク用語辞典』
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歴史研究に使われる史料『三國志』(中華書局)
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『中国料理の世界史』(岩間一弘著/慶應義塾大学出版会)。中国料理が世界にどのように広がってきたかを、研究者が詳細に解説した本
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