2023年9月、ラグビーワールドカップがフランスで開幕する。元ラグビー日本代表キャプテンの廣瀬俊朗(としあき)さんが選ぶ「ラグビーをもっと深く楽しむ本」1冊目は、日本代表のヘッドコーチだったエディー・ジョーンズさんの『ハードワーク 勝つためのマインド・セッティング』。エディーさんはとにかく厳しいコーチで、選手は最初、戸惑うばかりだったそうだが、最もハードワークしていたのはエディーさん自身だったという。
「自分たちは弱い」から「勝てる」へ
日経BOOKプラス編集部(以下――) 1冊目は2015年のワールドカップ・イングランド大会で日本代表を率いたヘッドコーチ、エディー・ジョーンズさんの本です。この大会で日本代表は強豪、南アフリカに逆転勝利し、ラグビーに対する注目が一気に高まりました。キャプテンだった当事者としてどう思われますか?
廣瀬俊朗さん(以下、廣瀬) 当時の日本代表チームが発足したのは2012年ですが、最初はなかなか勝ち切れなかった。技術や体力の問題というより、「国際大会で日本代表が勝てなくてもまあ仕方ないかな」「途中までは頑張れた」という感覚でした。
そのマインドを一気に変えてくれたのが、ヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズさんです。そのエディーさんの著書である『 ハードワーク 勝つためのマインド・セッティング 』(エディー・ジョーンズ著/講談社+α文庫)は、1人の指揮官によって弱いチームがどのように勝てるチームに変わっていったのか、その変遷を知る意味でも面白いと思います。
エディーさんはどういう指揮官でしたか?
廣瀬 とにかくめちゃくちゃ厳しかったですね。カバー写真でも険しい表情をされていますが、いつもこんな感じ(笑)。1日の拘束時間は長いし、1回の練習の強度も高かった。また、練習中にいきなり「今日はやめ」と怒って帰ってしまうこともあったし、一つ一つのプレーについて「なんで?」と問いかけられることもよくありました。
最初は戸惑うばかりでしたが、エディーさんとしては、まさに僕たちの「マインド・セッティング」を変えようとしたのでしょう。7~8割の力でやり過ごそうと思うな、常に100%の力を出し切れと。
この本には、「怒るのは演技」と書いてあります。怒られる側から見て「これは演技だな」と分かるものですか?
廣瀬 分かるときと、分からないときがありました。エディーさんも演技ばかりではなく、本気で怒ったときもあったと思いますよ。僕らとしても怒られるべくして怒られるなら、「こういう狙いだな」と分かるんです。でも、たまに、理由が分からずにキレているときがあって。何が悪いのか分からなかったから、そういう場合は怖かったですね。僕らは「なんか怒ってるで」とか言いながら、様子をうかがったりしていました(笑)。
練習以外でも厳しかったそうですね。
廣瀬 まず体調管理ですね。スケジュールが厳密に決められていて、起床後はまずスムージーを飲むことから始まり、朝練習をして、朝ご飯を食べてから“朝寝”があり、昼練習をして、昼ご飯を食べて昼寝をして、夜練習して、夜ご飯を食べて寝る。その繰り返し。ちなみに朝練習は「朝練」ではなく、「ヘッドスタート」と呼んでいました。
まさに毎日がハードワークだったと。
廣瀬 ただ、一番ハードワークだったのはエディーさんだと思います。常に研究熱心で、いろいろな人に会って知識や情報を吸収していた。本書にも書いていますが、例えば、巨人の原辰徳監督やサッカー女子日本代表監督だった佐々木則夫さん、それに欧州サッカー界の名将ジョゼップ・グアルディオラ監督と対談したり、ツール・ド・フランスの出場チームにリカバリーについてヒアリングしたりしていました。
そういう姿勢を知っているから、僕らも頑張ろうという気になれた。それに、新しい知見を仕入れては、「こういうラグビーをしよう」と提示してくれたので、次はどうなるんだろうというワクワク感がありました。
加えて、選手への伝え方がすごくうまいんです。エディーさんは僕らをあおってくるので、ミーティングが終わる頃には「さあ行こう!」という気持ちになっていた。怖い人でしたが、そういう面ではすごく楽しかったですね。
あえて「劇薬」を投じてくれた
褒められたり、優しい言葉をかけられたりすることは?
廣瀬 ごくごくたまに(笑)。ちょっとしたときに「良くなったね」とか。基本的には僕らをハッピーにさせず、どんどん追い込むのがエディーさんのやり方で、そこでなんとか適応力を発揮して壁を突破しろと。その繰り返しでしたね。
でも、それは、僕らをいじめたかったわけではない。とにかく試合で勝って日本ラグビーの歴史を変えたいと。そして、選手のマインドセットを変えたいと。そのために、普通の練習では変えられないので、劇薬として僕たちにハードワークを課してくれたのだと思います。今は人に厳しさを求めることが難しい時代ですが、その中でこれだけのことをやってくれた。だからすごくありがたい存在ですね。
それから、メディアを通して言うのも上手でした。「日本代表はだいぶ良くなってきた」というエディーさんのコメントを記事で読んで、「認めてくれてるんだ」と感じたこともありました。
試合後のミーティングではどんな話を?
廣瀬 スキル的な部分とマインド的な部分を分けて話していたと思います。スキルの部分では、ここが良くてここが悪かったから、次はこうやって戦おうという感じ。それからマインドの部分では、とにかくベストを尽くしたかどうか。試合に勝ったか負けたかより、自分や仲間を信じ、勇気を持って立ち向かったかどうかをすごく気にしていました。
ベストを尽くしたなら、そこから学べばいいと。しかし、チームの士気がいまひとつ上がらなかったときなど、マジで激怒されたこともあります。
マインドセットが変わったと思えた瞬間はありましたか?
廣瀬 やはり試合で勝てるようになって少しずつ、という感じですかね。エディーさんがヘッドコーチに就任した初年度にルーマニアとジョージアに勝ち、2年目にウェールズに勝ち、これは階段を上っているなという感覚がありました。
「どうせ自分たちは弱い」という気持ちがだんだん消えて、「ハードワークは間違っていなかった」「どんな強豪チームにも勝てるんじゃないか」と心から信じられるようになっていったんです。
「敵将」として対戦する可能性も
廣瀬さんがこの本を読まれたのはいつですか?
廣瀬 刊行は2016年12月ですが、出てすぐは読まなかったですね(笑)。実際に読んでみると、書いてあることすべてに思い当たるフシがあるわけではありませんでした。逆に言えば、改めてたくさんの発見がありました。あの指示はこういう意図だったのかとか、日本代表や日本人、あるいは日本の文化や社会をこう見ていたのかとか。僕にとっては、いい復習になりました。
そのエディーさんは、2015年のワールドカップ終了後にイングランド代表のヘッドコーチに転身し、さらに今年の初めに祖国オーストラリア代表のヘッドコーチに就任しました。チームの作り方はそれぞれ違いますか?
廣瀬 違いますね。基本的なストラクチャーは同じですが、それぞれのチームの強みを引き出し、まったく違うラグビーを目指しています。日本代表の場合は俊敏性を生かしていましたが、イングランドでは身体性の強さを生かしつつ、キックを多用するスタイルでした。それからオーストラリアはもともとボールを動かすことが好きなので、それをもっとダイナミックに展開するチームに作り上げてくるんじゃないかと思います。
日本代表にとっては敵将になりました。2019年のワールドカップでは対戦しませんでしたが、今年のワールドカップでは準々決勝まで行けば当たる可能性があります。
廣瀬 選手にとってはやりにくいでしょう。日本代表の酸いも甘いも知っているし。でも、見る側にとっては、対戦を期待しますよね。もし当たったら、エディーさんが日本代表を相手にどんな攻撃を仕掛けてくるか。日本代表はどう立ち向かうのか。この本でエディーさんの考え方やこれまでの経緯を知っておくと、いっそう楽しめるのではないでしょうか。
文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸、南浦淳之 写真/木村輝