「地球温暖化対策」というテーマから真っ先に思い浮かぶのはCO2削減だが、それに勝るとも劣らない重大な懸念事項がある。それは食料問題だ。世界の人口が増加する中、食料の大部分を輸入に頼る日本は、この先、最悪のシナリオをたどった場合、2030年ごろには「食料争奪戦」に巻き込まれ、買い負けする恐れがある。『パーパス経営』などの著書がある一橋大学ビジネススクール客員教授の名和高司氏と、 『2030年のSX戦略 課題解決と利益を両立させる次世代サステナビリティ経営の要諦』 の著者であるPwC Japanグループの坂野俊哉氏、磯貝友紀氏が、気候変動でより不安定さを増す日本のフードシステムと企業の取るべき戦略について議論を交わした。(写真:洞澤佐智子)

世界の人口増加に食料生産が追いつかない

坂野俊哉氏(以下、坂野):今や「2050年脱炭素化」が世界のスタンダードとなり、その中間的ゴールとしての2030年に達成すべきさまざまな目標を、国連をはじめとする多くの国際機関が掲げています。2030年はすぐ先にある未来ですが、その時点で早くも日本の市民生活に影響が出てくるサステナビリティ(持続可能性)・リスクとして「食料危機」が挙げられます。

 私たちは、日本の産業や社会が向き合うべきサステナビリティの課題や規制の動向、関連するテクノロジーの進展などを分析し、2030年ごろにどんな状況になっているのか、業界別に4つのシナリオを描きました。仮に、ワーストシナリオをたどった場合、現在の日本からはなかなか想像できませんが、「食料危機」に陥るリスクがあります。

磯貝友紀氏(以下、磯貝):世界の人口は2050年に向けて90億〜100億人に増加し、食料の需要は確実に増える一方で、気候変動の影響や不適切な農業によって食料の供給は十分に伸びません。生産性の向上をかなりポジティブに見込んだとしても、世界の食料需給ギャップは現在の102パーセントから2050年には90パーセントに落ち込むと予想されます。

 気候変動が農業生産に与える影響は一様ではなく、地域によって異なります。その結果、食料生産の地域差が顕在化し、持てる国と持てない国の間の格差が食料分野において一層広がり、世界的な食料争奪戦が起こる恐れがあるのです。

 食品・飲料業界から見た2030年の日本のシナリオを描くに当たっては、「消費者の意識変革」と「持続可能なサプライチェーンの構築」を軸にしました。この2軸から展望すると、(a)格差・奪い合い社会、(b)ミニマム消費社会、(c)生産性向上による現状維持社会、(d)持続的フードシステム社会という4つのシナリオが考えられます。

食品・飲料業界から見た2030年のシナリオ
食品・飲料業界から見た2030年のシナリオ
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名和高司氏(以下、名和):最悪のシナリオをたどった場合、「食料の奪い合い社会」が、これから10年もたたないうちに到来するかもしれないというのは、衝撃的ですね。

磯貝:世界的な食料の供給不足は、食品・飲料メーカーにとって原材料の確保が困難になることを意味するので、危機感が高まっています。そこで、先進的なメーカーは、農産物の生産者が環境負荷の少ないリジェネラティブ(環境再生型)農業に転換するのを支援したり、DX(デジタルトランスフォーメーション)によるサプライチェーンの最適化に取り組んだりしているところです。また、昆虫食など新たなたんぱく源の開発も進んでいます。

 しかし、サプライサイドの努力だけでは、需給ギャップを解消できません。大事なのは、消費者の意識変革です。多くの消費者が、環境負荷の高い牛肉に代えて植物由来の代替肉を選ぶように、「サステナブルな選択」に誘導していく必要があります。

 つまり、サプライサイドとデマンドサイドの双方が変化することで、「(d)持続的フードシステム社会」に進むことができます。

「リスク」ではなく「機会」と捉え一歩を踏み出す

坂野:食料の安定供給は食品・飲料メーカーの存在意義の根幹と言えますが、「2030年の4つのシナリオ」を想定した上で、今後もその存在意義を果たしていくために企業はどう動くべきかを真剣に考えていく必要があります。

名和:食品メーカーの人たちと話していると、自然にやさしい原材料の調達や、栄養価が高い食品の開発などをフードテックによって実現することにとらわれすぎていて、それをどう社会実装するかという出口の議論がないと感じます。

 0から1を生むイノベーションは必要です。しかし、新しい技術を開発してもそれを社会実装して利益に結び付けないと、持続可能なフードシステムは構築できません。スタートアップを除けば、企業にとって重要なのは1から10を生む、つまり、マネタイズするために自社ならではの「型(アルゴリズム)」をつくり上げることです。さらには、そこでコアコンピタンス(中心的な競争力の源泉)を磨いた上で、「食×ヘルスケア×ウェルネス×保険」など、業種を超えたプラットフォームとして10から100に事業をスケールさせていく。それができないと、社会は変わりません。

 2030年を見据えたとき、原材料の調達が困難になり、メーカーとしての存在意義を果たせなくなるリスクは確かにありますが、それをどう機会に変えるか。「リスク」に対応しようと考えると守りに入ってしまいますが、それを「機会」と捉えると前向きになれます。つまり、食品・飲料業界にとって、今は大きくピボット(事業転換)する千載一遇のチャンスと言えます。

名和高司氏 一橋大学ビジネススクール客員教授。三菱商事、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年に一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、ボストン コンサルティング グループ シニアアドバイザーに就任。2020年より現職。『パーパス経営』(東洋経済新報社、2021年)など著書多数
名和高司氏 一橋大学ビジネススクール客員教授。三菱商事、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年に一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、ボストン コンサルティング グループ シニアアドバイザーに就任。2020年より現職。『パーパス経営』(東洋経済新報社、2021年)など著書多数
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「プレミアリーグ」を結成し、投資を回収

坂野:おっしゃる通りです。私たちはサステナビリティ経営のグランドストラテジーとして、外部環境の変化を適切に認識し、リスクを最小化するとともに成長を最大化するということを提案してきました。メーカーが成長の機会につなげていくために、大きくピボットするには、何が大切とお考えですか。

名和:サプライチェーンの川上にいる農業生産者から川中のメーカーや中間流通、川下の小売りまで、全体で食品ロスをなくしたり、環境や健康にとっての価値を高めたりして、持続可能なフードシステムを構築していくことが大切です。これは、メーカー単独でできることではない。フードシステムの構想力・設計力のほか、川上から川下まで、時には同業他社を仲間として巻き込んでいく共感・共創力が求められる。その根幹となるのがパーパス(志)です。

 パーパスに共感した仲間と共に、サステナブルな価値を持つ食品を消費者に届ける仕組みをつくり、サプライチェーン全体でブランドを確立できれば、そのブランドに対してプレミアムを支払ってくれる「消費者という仲間」も増えていくはずです。私はこれを「プレミアリーグ」と呼んでいます。メーカーから「サステナビリティ投資は回収が困難」という声をよく聞きますが、プレミアリーグを結成できれば、サステナビリティに対する投資を回収しやすくなります。

磯貝:カナダの社会調査機関が2020年に世界27カ国で実施した調査によると、サステナビリティに関する意識はミレニアル世代以降で大きく高まります。日本では1世代遅れて、Z世代からそうした変化が生じていることが、PwC Japanグループ(以下、PwC Japan)の消費者意識調査で判明しました。さらに日本の場合、Z世代の中でサステナビリティへの関心が高い層とそうでない層が二極化しています。まずは、意識の高い層を巻き込むことがカギになりそうです。

磯貝友紀氏 PwC Japanグループ サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンス テクニカルリード。2003年より民間企業や政府機関、国際機関にて東欧、アジア、アフリカにおける民間部門開発、日本企業の投資促進を手がける。2011年より現職。著書に『SXの時代』『2030年のSX戦略』(共著、いずれも日経BP)
磯貝友紀氏 PwC Japanグループ サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンス テクニカルリード。2003年より民間企業や政府機関、国際機関にて東欧、アジア、アフリカにおける民間部門開発、日本企業の投資促進を手がける。2011年より現職。著書に『SXの時代』『2030年のSX戦略』(共著、いずれも日経BP)
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名和:自然を大事にしたいと考える人は、どの世代にも少なくないはずです。例えば、カゴメは、八ヶ岳の山麓にある野菜ジュースの主力工場の見学ツアーや、自社農園での野菜の収穫体験会などを実施し、農業・工業・観光を一体化した野菜のテーマパーク構想を地元自治体と共同で進めています。そういう小さなところからスタートして、賛同者がSNS(交流サイト)などで広がっていくと、1が10になる流れができていきます。

磯貝:消費者のサステナビリティ意識について付け加えると、一般的に「欧州は意識が高く、発展途上国は低い」と考えられていますが、複数の調査で東南アジアやインド、アフリカなどは日本よりもサステナビリティの意識が高いという結果が出ています。

 日本の大企業の経営者が、自分の世代だけ、日本だけを見ていると、世界の潮流を見誤る可能性があります。

名和:私はミレニアル世代やZ世代の人たちと地球の未来や自然について話すことがありますが、こうした話題は世代を超えて通じるものです。若い世代と会話するだけでも、いろいろな気づきを得られます。

 また、私が教えている一橋大学ビジネススクールは学生の8割は海外留学生で、その大半がアジア出身者です。2割の日本人学生が留学生の価値観に触れ、感化されていくことも多い。日本のビジネスパーソンはもっと海外の人たちと交流することで、世界の価値観の変化を肌感覚として捉えるべきでしょうね。

坂野:バリューチェーン全体に発想を広げることで、リスクを機会に変えるという話がありましたが、食料自給率が低い日本の場合、世界的な食料需給のひっ迫や価格高騰によって「買い負け」の事態が発生し、食料を必要量輸入できなくなるリスクもあります。
 

坂野俊哉氏 PwC Japanグループ サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンス エグゼクティブリード。20年以上の戦略コンサルティング経験を有し、企業の経営戦略、事業戦略、海外戦略、アライアンス・M&A(合併・買収)、企業変革などのプロジェクトに多数携わる。著書に『SXの時代』『2030年のSX戦略』(共著、いずれも日経BP)
坂野俊哉氏 PwC Japanグループ サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンス エグゼクティブリード。20年以上の戦略コンサルティング経験を有し、企業の経営戦略、事業戦略、海外戦略、アライアンス・M&A(合併・買収)、企業変革などのプロジェクトに多数携わる。著書に『SXの時代』『2030年のSX戦略』(共著、いずれも日経BP)
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名和:食料を輸入に依存しているのは日本だけでなく、例えば、シンガポールなど日本より食料自給率が低い国もあります。ですから、プレミアリーグを結成する際には日本だけでなく、海外にも仲間をつくる発想が必要です。資源権益の獲得ではそうした国際協調が当たり前に行われており、食料分野でも可能性はあると思います。

サステナビリティは「見える化」がカギ

名和:今後、企業には、デジタルを活用してサプライチェーン全体をトレースできるようにすることが求められます。サプライチェーンのどこで、どれくらい環境負荷や外部不経済(編集部注:企業の経済的活動は何らかの形で地球や環境、社会に負荷をかけるが、そのコストは企業の財務には反映されないケースが多い。その負荷のことを「外部不経済」と呼ぶ)が発生しているかという情報が可視化されれば、仲間をつくる上でも、消費者の意識と行動の変化を促す上でも、大きく弾みがつくはずです。

磯貝:高度経済成長期の頃は、工場のばい煙や水質汚染など外部不経済が非常に見えやすかったが、今は温暖化ガスの排出や人権侵害など、サプライチェーンのどこで何が起きているのかが見えにくくなっています。

 そのため、例えば、気候変動対策がビジネスリスクの軽減や成長機会の獲得にどうつながるかも見えづらく、やるべきことに気づいてもらえないことがあります。PwC Japanでは、サステナビリティ活動によって節約できるコストや売上機会の拡大を数値化し、未来の財務にどうつながるかという「インパクトパス」を描くことを支援しています。

 フードシステムに関していえば今後、「トゥループライス」や「トゥルーコスト」を可視化する動きが強まると見込まれます。これは、現在の食料システムで発生している外部不経済を織り込んだ「真の値段」「真のコスト」を計算し、可視化する試みです。

 これから、トゥループライスやトゥルーコストの概念の標準化や評価方法の議論が進んでいきます。すでにドイツでは、商品に販売価格と共にトゥループライスを表示しているスーパーマーケットもあります。

生物多様性の喪失は、日常生活を直撃する

坂野:可視化すべき対象は今後、ますます増えていくと思います。その一つが生物多様性です。生物多様性とビジネスリスク・機会の因果関係を可視化するのは気候変動より難しいのですが、生物多様性が損なわれると食料をはじめとする生物由来の原材料が枯渇するだけでなく、新薬の開発などにも影響します。その意味では、人々の日常生活に重大な悪影響が及びかねません。

 2022年夏に開催予定の生物多様性条約第15回締約国会議(CBD COP15)では、2030年までに取り組むべき行動目標を定める予定です。さらに、国際的イニシアチブが、自然関連のリスクと機会に関する情報開示や目標設定の枠組みを開発する動きを速めています。

 現状、日本企業の多くはCO2排出削減に目を奪われていますが、生物多様性や人権(サプライチェーン上流の原材料生産における強制労働など)に関しても、国際基準に沿った取り組みが求められる日が早晩やって来ることはほぼ確実です。

(第2回に続く)

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「10年先の企業経営」を先取りするための戦略書

 本書は、2030年ごろまでのおよそ10年の間に、企業とサステナビリティに関して何が起きるのか、「未来の見方」を示した上で業界別に予測し、企業がどこに向かうべきかの具体的指針を示します。「投資判断の考え方」を示す「SXの方程式」や、起こり得る複数の近未来を提示する「シナリオ・プランニング」を使って、これからの10年間を一足先に体感してもらうという野心的な試みをしています(SXは「サステナビリティ・トランスフォーメーション」の略語)。環境・社会課題を解決しながら企業価値を高めていくにはどうしたよいか、本書でお伝えします。