サステナブルな「人的資本」を生み出すカギは、自ら考え、行動し、よりよい成果を生み出すことができる自律型人材をいかに育成し、主体的にチャレンジし続ける組織をつくるかにある。「1on1ミーティング」はその有力な手法で、対話を通じて行動変容およびその習慣化・定着化を支援するビジネスコーチングの知識やスキルが有効だ。 『ビジネスコーチング大全』 の著者で、豊富なコーチング実績を持つ橋場剛・ビジネスコーチ(東京・千代田)副社長が解説。
自ら考え、行動できる人材を育てる
新型コロナウイルス禍は3年目に突入し、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻も長期化しつつあるなか、日本のみならず地球社会全体が「VUCA」(ブーカ=変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)という言葉では生ぬるいと感じられるほど、我々はすさまじいスピードでの環境変化に今なお現在進行形でさらされ続けており、まさに「超VUCA」時代を生きている。
経済の状況を見ると、この30年間、日本人の実質賃金は横ばいのままであり、1989年には世界時価総額ランキングのトップ10のうち7社を日本企業が占めていたが、2022年5月現在、日本企業の名前はすべて消えてしまった。
「失われた30年」から日本が復活するために、今ほど「自律的な人材」が求められている時代はない。
「自律的な人材」とは、一言で言えば、「自ら考え、自ら行動でき、自ら成果を生み出すことができる人材」のこと。そして、自律的な人材の育成に有効なアプローチの1つが「ビジネスコーチング」である。
ビジネスコーチングは単なるコミュニケーションスキルではなく、「ビジネス上のよりよい成果を実現する」ために、コーチとクライアントとの「対話」を通じてクライアントの行動変容およびその習慣化・定着化を支援するための「ビジネススキル」とも言える。
2019年に発売された書籍『1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』(エリック・シュミットほか著/櫻井祐子訳/ダイヤモンド社)では、スティーブ・ジョブズ氏、ラリー・ペイジ氏(グーグル創業者)ら多くの名経営者を導いたコーチの姿が描かれ話題となったが、コーチングは特殊技能などでは決してない。誰もが身に付けられるものであり、いつでもどこでも実践できる行為だ。
コロナショックにより、会社と社員の物理的距離が広がり、目に見えない遠心力が働くようになったことから、経営・マネジメントはコロナ前以上に難しくなり、社員同士の気軽なコミュニケーションも容易ではなくなった。結果的に多くの企業が「1on1ミーティング(以下、1on1)」の導入に踏み切っているが、そこで活用される中心的スキルがコーチングであり、ビジネスコーチングなのである。
「主体的チャレンジ」を可能にする組織
そもそも、組織の中に「自律型の人材」が育まれていくことの意味は何だろうか。
「自律型人材の育成」は、決してそれ自体が目的ではない。「自律」の先には「主体性の発揮」があり、今世界に求められているのは、変化を主体的に起こせる人材だ。
激動の地球社会を生き抜く上で大事になってくるのは、自ら考え責任を持って行動できる「自律」の先にある、あなた自身やその人が持っている魅力・想い・能力を最大限に生かすこと。そして、あなた自身のみならず、これからの地球社会を支えていく次世代が主体的に選択した人生において、前向きにチャレンジし続ける姿勢を持って生きてくことではないだろうか。
読者の皆さんは、部下を持つ管理職の方が多いかと思うが、皆さん自身と皆さんの部下はどのくらい自律的であり、主体的なチャレンジに取り組めているだろうか。
部下の主体的なチャレンジを可能にするためには、その前提として、職場において何でも安心して本音で話せる心理的安全性や、上司と部下との強い信頼関係、失敗を責めない組織風土などが必要だ。
「形だけの人材育成投資」からの脱却
「人的資本への投資」などと言われると、ついつい新たな知識やスキルの習得といった「新しい何かを獲得する」ことに意識が行きがちだが、知識やスキルはあくまでも1つの「手段」であり、それ以前に、将来どのような社会を築きたいのかといった高い志や、顧客にどのような新たな価値やサービスを創造し提供していきたいのかといった壮大なビジョンが欠かせない。
1on1が「自律型人材の育成」を可能とするのは、そこにおいて主に「コーチング」が実施されるからであり、さらに言えば、上司から部下に対して戦略的に発せられる「良質な質問」により、部下が自ら考え、気づき、行動を起こすという、成果につながる「好循環」を生むことが可能になるからだ。
1on1がここまで広く企業に取り入れられるようになったのは、それが「単発的」「一時的」な施策ではなく、定期的かつ継続的に行われる「サステナブル」な取り組みであることを前提としているからなのである。
企業における管理職研修の多くが失敗に終わる最大の原因は、研修の内容そのものにあるのではなく、研修を実施した後、いわゆる「研修やりっ放し」の状態となり、何のフォローアップもなされない結果、研修で学んだことが何ら現場のアクションに還元されないからだ。
例えば、もう10年以上も前から「女性活躍推進」という言葉が声高に叫ばれながらもいまだにその実現には程遠い日本の現況が示しているように、「形だけの人材育成投資」から我々はそろそろ本気で脱却しなければ、世界と伍(ご)して戦い生き抜くことができなくなってきているということに気づかなければならない。
思考と行動を変え、成果につなげる
ビジネスコーチングは、対話を通じて、人の「思考と行動」をよりよく変容することを支援するアプローチを取るが、大きく3つのフェーズに分けられる。
フェーズ1:思考を変える(=気づく)
フェーズ2:行動を変える(=実践する・行動変容する)
フェーズ3:成果につなげる(=継続する・定着を図る)
企業における管理職研修では、「思考を変える」「行動を変える」までは実現できたとしても、「成果につなげる」までのフォローがなければ、その人的資本への投資はまったく無意味なものとなる。「人的資本への投資に対する開示」を表面的にだけ捉えて実行に移そうとする企業は、「単に研修機会を増やせばいい」「社員1人当たりの人材育成投資額を増やせばいい」といった安易な方向性・愚策に走りかねない。
すべての「人材」が価値を生む資本になるためには、一人ひとりの多様な魅力、想い、能力の発揮を真剣に支援することが必要であり、かつ、そうした取り組みが決して単発的・場当たり的なものではないという意味において、サステナブルな仕組みとして継続・定着を支援するものとなっていることが不可欠となる。OJT(職場内訓練)や社内での研修等における学びを「実践知」に変え、着実かつサステナブルな行動変容につなげていくためには何が必要なのか。
そのキーワードの1つが「破壊的質問力」だ。自分一人だけの力で高い目標に向かって走り続けることは実にしんどい作業だが、あなたの側に伴走者の存在があり、伴走者があなたの考えや想いに真摯に向き合い、話をしっかり聞いてくれた上で心の底から受け止めてくれたら、どうだろうか? 伴走者があなた自身に最大限の関心を持ってあなたに問いかけ、時に励まし、躊躇(ちゅうちょ)するあなたの背中を押してくれたら、どうだろうか?
次回連載では、物事への向き合い方を変える「破壊的質問力」について取り上げる。
コーチングの理論と実践手法を総合的に解説。
結果を出す人の陰に名コーチあり。自ら考え、行動し、よりよい成果を出し続ける、サステナブルで自律型の人財をいかに育てるか。延べ10万人超、累計1万時間超のセッション実績を持つ第一人者による「コーチングの教科書」の決定版。
橋場剛(著) 日本経済新聞出版 2420円(税込み)