官庁も大企業もスタートアップ企業も、日本の組織では「場」の論理と序列意識が貫かれている。メンバー同士で少しでも長くいることが優位になるタテ社会では、新参者が不利となる。『タテ社会の人間関係』(中根千枝著/講談社現代新書)は、刊行から50年以上を経た今も「あるある感」が満載。何度も読み返したい本だ。

「あるある感」がいっぱい

 「わが社ではほかと違って、アメリカ流の能力主義を採用し、民主的な経営をしています」。そう語る部長を前に彼女はおかしさを必死にこらえた。「そうですね。アメリカの能力主義の日本版といったところを実現されているわけですね。もちろん相手はアメリカ人ではなく、日本人ですから」

 これは、1年前に94歳で他界した中根千枝(1926~2021年)の晩年のやり取りではない。50年以上前の1967年に刊行された中根の『 タテ社会の人間関係 』(講談社現代新書)に出てくるエピソードである。本書は2021年12月には132刷を数え、「現代新書No.1 117万部」の帯がついている。それほど多くの人に親しまれたのも、本書が「あるある」の図星を突いていたからだ。

『タテ社会の人間関係』(中根千枝著/講談社現代新書)(写真:スタジオキャスパー)
『タテ社会の人間関係』(中根千枝著/講談社現代新書)(写真:スタジオキャスパー)
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 中根はなぜおかしさを必死でこらえたのか。上座にいる部長が語るのに対し、その会社の課長・係長が「いかにも、その通りで」などと、それぞれのポストに応じた体の動かし方をしてみせたからだ。人気ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』で病院長のご無体な発言に、遠藤憲一演じる海老名教授が「御意」と繰り返す場面が思い浮かぶではないか。

 日本社会の構造に分け入る中根のメスさばきは、外科医・大門未知子のようで、さりげないしぐさに潜む本質を見逃さない。表題の「タテ社会」の基盤は「居住(共同生活)あるいは(そして)経営体というによって構成される社会集団」である「イエ」(家)である。その「家」集団内の人間関係が、他のあらゆる関係に優先される。

その「場」に長くいることが社会資本

 家という「場」。それは家庭生活ばかりでなく、社会集団、すなわち会社や官庁をも貫く。ここがポイントである。アメリカ流の能力主義を標榜する、件の部長も「わが社」と語っているではないか。情緒的で全面的な個々人の集団への参加は、仲間同士の一体感を生むと同時に、閉ざされた世界を形成する。「ウチ」と「ソト」は分け隔てられる。

 日本の大組織がいまだに年功序列、実態からいえば、新卒一括採用や年次序列にこだわるのはこのためである。「個人の集団成員との実際の接触の長さ自体が個人の社会的資本」となる。よほどの技能を持たない限り、人間関係を一から築き直す必要のある転職は、年齢を重ねるほどに不利になる。社会的資本の獲得には時間が必要だからだ。

 大企業や中央官庁ばかりでない。最近脚光を浴びているスタートアップ企業の場合も、幹部構成はどれだけ早い時期から会社に携わったかによるところが少なくない。

 序列意識は能力主義の人事管理を阻む壁となっている。なぜなら入社年次を物差しにする人事は、「同じ年次の社員の能力は同じ」という前提で、従業員を取り扱うことにつながるからだ。

 この年次序列による組織の秩序こそが、本書の表題となった「タテ」である。本書のエッセンスを示す逸話として、ロンドン大学教授Aと日本の大学教授Bの会話を紹介しよう。

 A「お知り合いですか」
 B「よく知ってます。…しかし、彼女は私の後輩なんです!」

 社会人類学者であるロンドン大学教授は、「ステータス・ソサエティの人間というものをこの目でまざまざ見た」と語った。ステータス・ソサエティとは序列社会のこと。民族学者であるBについて、社会人類学的に分析したという落ちである。

 中根は終戦から10年もたたない1953年、インドへとフィールドワークに乗り込み、ロンドン大学で社会人類学を習得した。女性初の東京大学教授となった中根は、女性として未踏の道を切り開く過程で、さまざまな苦労を味わったに違いない。それを皮肉や諧謔(かいぎゃく)で包み込む筆致には、肩を張らない本物の自信が感じられる。

世代が交代しても、タテ社会はなお変わっていないようにみえる(写真:shutterstock)
世代が交代しても、タテ社会はなお変わっていないようにみえる(写真:shutterstock)
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成長が止まってもタテ社会の原理は続く

 タテ組織にとって他のタテ組織は「ソト」であり、仕事上の敵である。この並立者同士の競争が経済活動の推進力となった。明治以降の急速な近代化や戦後の経済復興、高度成長のエネルギーはここに由来する。タテ組織は構成員の年次が高まるに応じて、ポストを用意しなければならない。そのためには経営規模を拡大する必要があるから、自ずと成長志向とならざるを得ない。

 1990年代初めのバブル崩壊まで日本経済を突き動かしてきたのは、この組織原理だった。ならば、バブル崩壊によってこのタテ組織の仕組みは崩れたのか。中根の観察によれば、答えは否である。景気後退に直面した日本企業は人員整理に踏み切るが、その場合も非正規社員の数を調整し、シニア層を関係会社に出向させる。あるいは新卒の採用を手控える、というものだった。

 日本企業のリストラは組織の入り口と出口を調整する手法であり、「中間を占めるタテに並ぶつながりは可能なかぎり手をつけないようにするのが一般的」。2019年に刊行した『 タテ社会と現代日本 』(講談社現代新書)で、中根はこう指摘する。

 非正規雇用と正規雇用の待遇格差も、その根っこにはタテ組織の原理が存在する。つまり、会社という「場」に早い段階で安定したかたちで属していることが、正規雇用の人たちにとってみれば「維持したい『ステータス』」になっている、と喝破する。

 過労死による自殺を生む長時間労働は、経済環境の悪化に由来するが、タテ組織という場が働く人たちにとって閉ざされた「小宇宙」になっていることも見逃せない。「場を重視する日本社会では、なかなか外に目が届きにくい」。かくて働く人を追い詰める、という。

 日本の組織原理には時代に合わなくなっている部分が多いが、その根っこはしぶとく生き続けている。組織を変革するにせよ、組織内でうまくやっていくにせよ、基本となる仕組みを理解するところから始めるしかない。刊行から半世紀以上を経ても、『タテ社会の人間関係』は日本の組織を「見える化する」手引きとなっている。