野中郁次郎・一橋大学名誉教授と竹内弘高・ハーバード大学経営大学院教授の名著、 『知識創造企業』 (梅本勝博訳/東洋経済新報社)は、1970〜80年代の日本企業が成功した要因について、欧米と日本では知識の作り方と使い方が異なるという点から解明します。本書を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

日本企業が成功した理由を体系的に説明

 『知識創造企業』は、一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏とハーバード大学経営大学院教授の竹内弘高氏が1995年に米国で出版した著書の邦訳です。英語版のサブタイトルに「いかにして日本企業はイノベーションのダイナミクスを作り出したか」とあるように、この本は日本企業が成功した理由を、独自の理論体系を構築して説明するものとなっています。

 同書は主に1970〜80年代の日本企業の事例を取り上げ、その成功要因は、欧米と日本では知識の作り方と使い方が異なるという点にあるのではないか、と解き明かしています。

 西洋哲学では、一定の文法規則で作られた形式言語で表すことのできるものが知識とされていました。日本では形式言語に表しにくい無形的な要素が重視されています。

 著者は知識を形式知と暗黙知の2つに区分して分析を試みます。西洋的な知識が一個人によって創造されると考えられるのに対して、日本では知識が組織メンバー同士の交流の中で作り上げられる傾向があるとも論じています。職人の親方から弟子に伝承されるノウハウのように、マニュアルに明文化できるものだけではなく、共に働く経験を通じて形成される知識もあるという見方です。

 新商品が次々と出る日本メーカーの開発体制はラグビー的という比喩がされ、欧米の製品開発はリレー競争的としています。日本ではメンバーが共有化された暗黙知を活用し、「次はきっとこうなるだろう」と思いながら、各部署がバトンを受ける前に作業を始めているのです。

 この本が出版される前にバブルが崩壊し、日本企業は輝きを失ってしまいました。組織的に知識を創造できる日本企業は、不確実な環境に対して本来ならば強みを持っていたはずです。何が本当の強みの源泉だったのかを問い直すためにも、本書を今読み返すことには意義があるのです。

『知識創造企業』では、「日本メーカーの開発体制はラグビー的」と例えられている(写真:shutterstock)
『知識創造企業』では、「日本メーカーの開発体制はラグビー的」と例えられている(写真:shutterstock)
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パン焼きの職人技に挑んだ松下

 英語版として出版された『知識創造企業』は、1970〜80年代の「絶好調」だった頃の日本企業の事例を研究して、日本企業に特有の組織的知識創造のメカニズムを解明しています。

 しかし、1990年代以降、日本経済は「失われた30年」といわれるような低調が続いてきました。プロ野球選手はスランプに陥ると、絶好調だったときの自分のフォームをビデオで見て、現在のフォームとの違いを確認して修正するという話をよく聞きます。では、日本企業は、絶好調時と現在とでどのように異なっているのでしょうか。

 本書で紹介されている事例の1つ、松下電器産業(現・パナソニック)によるホームベーカリーの発売は1987年のことです。原材料の小麦粉、バター、塩、水、イースト(または、それらを調合したブレッド・ミックス)を入れさえすれば、プロの職人に匹敵するほどの品質のパンが焼き上がるという、画期的な新商品でした。

 パンを焼くというのは、まさに暗黙知として体得された職人の技であり、それを電子機械技術で再現するには、暗黙知の形式知化がカギを握っていたと著者はいいます。

 背景としては、1970年代以降、日本の家電市場は成熟し始め、厳しい価格競争に直面した松下の営業利益率は低下していました。1983年の経営3か年計画「ACTION61」(最終年度が昭和61年だったことにちなむ)では「超家電」というスローガンが使われました。家電を中心としつつもハイテクや産業用の分野に進出していこうという狙いがあったのです。

 この結果、1984年に炊飯器事業部(マイコン炊飯器)、電熱器事業部(ホットプレート、オーブントースター、コーヒーメーカーなど)、回転器事業部(スピードカッター、ジューサーなど)の3つが、1400人の電化調理事業部として統合されました。資源の重複をなくすことと、3事業部の技術とノウハウを合わせて再び成長路線に乗せることが期待されていました。

 しかし、統合当初は売り上げの減少が続き、統合効果が疑問視されるようになったのです。危機感を募らせた同事業部は、米国人の日常生活のトレンドを観察するチームを組成し、「家庭用調理機器は、食事の準備を簡単にすると同時に、栄養豊かにするものでなければならない」という結論を導き出し、そのコンセプトを「イージーリッチ」としました。

 その直後に部品メーカーの星電器から、ホームベーカリーの商品化案が持ち込まれたのです。松下は1973年にも80年にも、ホームベーカリーの開発を技術上の問題から断念した経緯があり、星電器からの提案は断ったのですが、商品アイデア自体には魅力があったため、自力で開発することにしました。

 最初のプロトタイプでは、おいしいパンを作ることができませんでした。2回目の試作に際し、パイロットチームのメンバーがパン職人に弟子入りして技を学びとろうとしました。

 そこでわかったことは、パン生地の練りのプロセスを機械で再現することの難しさでした。その練りのポイントを「ひねり伸ばし」という言葉で表現し、機械の仕様として具体化したところ、おいしいパンを作ることに成功しました。

 そして3回目には、生産部門とマーケティング部門のメンバーも加わり、パン生地を練っている途中でイーストを入れる「中麺」という方法を採用して、パンの味が向上し、コストも下がりました。こうして完成したホームベーカリーは月産5万台の大ヒット商品となり、事業部の売り上げを伸ばすことに貢献しました。

松下のホームベーカリーは大ヒット商品に(写真はイメージ)(写真:shutterstock)
松下のホームベーカリーは大ヒット商品に(写真はイメージ)(写真:shutterstock)
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社員がチーフベーカーに弟子入り

 ホームベーカリーという商品を開発するための最初のプロトタイプ開発には、電化研究所と旧3事業部から11人のメンバーが集められました。ハードウエアとしての製品設計、機構要素開発(モーターなど)、制御要素開発(電気周波数や温度の制御)だけでなく、パンのレシピ開発、パン生地の練りと焼き上げ技能の習得、パンの味の評価システム開発など、ソフトウェア的要素も並行して作り上げなければなりませんでした。

 メンバーは何度も討議を重ねたのですが、「イージーリッチ」というコンセプトが、事業部が目指すべきイメージとしての暗黙知の共有に役立ったといいます。

 ソフトウェア担当の女子社員は、大阪で一番おいしいパンを出すという評判のホテルのチーフベーカーに弟子入りし、観察・模倣しながら練りの技能を学びました。しかし、その技法をうまく設計に具体化できなかったため、エンジニア数人がホテルに派遣され、女子社員が言う「ひねり伸ばし」を実現するために試行錯誤を繰り返しました。

 メモやマニュアルにすることができなかった暗黙知の技能が、「ひねり伸ばし」というコンセプトに表出し、ようやく設計の具体化につながったのです。

 さらに、製品価格を4万円以内に抑えるための挑戦がありました。高温で発酵が進みすぎないようにイースト入り生地を冷やすには冷却器が必要なのですが、そのコストをどうするかが焦点でした。

 温度をコントロールする手段がなかった昔は、イースト以外の材料を先にミックスしておいて、後からイーストを加える「中麺」という方法をとっていたことがわかり、冷却器を使わないでパンを作るという解決策が編み出されました。これもまた、暗黙知の活用と見ることができます。

 このように、ホームベーカリーの開発には、暗黙知を活用するサイクルが「イージーリッチ」「ひねり伸ばし」「中麺」の3回あったということになります。出身部署の異なるメンバー同士が、もがきながらも暗黙知を他のメンバーと共有し、今までになかった商品を短期間で開発し、大成功を収めたのです。

組織の壁を越えて協働することが重要

 暗黙知というのは、組織のメンバーが持つ経験的な知識が、他のメンバーが持つ経験的な知識と組み合わさって、大きな価値を生み出すものと言えます。そのためには、バックグラウンドの異なるメンバーが組織の壁を越えて協働することが重要になりますし、「やればできるはずだ」という信念、もしくは「この程度の困難はこれまでも乗り越えてきた」という自信があればこそ、イノベーションのためのエネルギーもわいてくるのでしょう。

 巨費を投じたむちゃな挑戦がイノベーションというわけではありません。組織の壁を越えて、様々な暗黙知を持ち寄って、もがきながらもそれを形に変え、高い目標に挑戦し続けてきたのが、絶好調時の日本企業の姿だったのでしょう。

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