筑波大学附属駒場中・高等学校(筑駒)には本好きな生徒が多く、教室に行けばたいてい何人かが読書中で、前の日の授業で紹介したばかりの本を手にしている子もいたりします。

 「最近の若者は本を読まない」とよく言われますが、それはちょっと違うんじゃないかな。彼らは「何か面白いもの」をいつも読みたがっています。にもかかわらず、読書離れしてしまうとしたら、それは出合うべき本になかなかたどり着けないからではないでしょうか。

 だから大切なのは、いい形でいい本との出合いを届けられる環境をつくることだと思うんです。

 そういった思いから、今回はノンフィクションを中心にお薦めする本を選びました。

森 大徳(もり ひろのり)。筑波大学附属駒場中・高等学校 国語科教諭。1982年生まれ。東京大学卒業後、同大学院ならびに東京学芸大学大学院修士課程修了。開成中学・高等学校教諭などを経て、2019年より母校の筑波大学附属駒場中・高等学校教諭。趣味は観劇で、前任校時代から演劇部顧問も務める。共編書に『中高生のための文章読本』(筑摩書房)がある
森 大徳(もり ひろのり)。筑波大学附属駒場中・高等学校 国語科教諭。1982年生まれ。東京大学卒業後、同大学院ならびに東京学芸大学大学院修士課程修了。開成中学・高等学校教諭などを経て、2019年より母校の筑波大学附属駒場中・高等学校教諭。趣味は観劇で、前任校時代から演劇部顧問も務める。共編書に『中高生のための文章読本』(筑摩書房)がある
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 生徒たちを見ていると、特に中学生は大半の子が小説好き。評論や説明文を含めたノンフィクションに触れるのは、国語の授業や一部抜粋したものを読んで「問題を解く」という形に限定されがちなんですね。

 つまり、ノンフィクションを「楽しみのために読む」「ワクワクしながらページをめくる」という経験が、実は案外できていないのです。でもそれって、あまりにもったいない。

 なぜならノンフィクションは、人間や社会のありようについて、これまでとは異なる視点を与え、掘り下げてくれるものだから。

 読み終えたら世界の見え方がちょっと変わっていた、そんな読書体験ができるのは、ノンフィクションならでは、だと思うんです。

なぜ反省しない? いや、その問い自体が変なのかもしれない……

 お薦めするノンフィクションの1冊目は、 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』 (奥野克巳著、亜紀書房)。文化人類学者の奥野克巳さんが、マレーシアのボルネオ島に暮らす狩猟採集民プナンへのフィールドワークの経験や、それに基づいた考察をつづっています。

「読み終えたら世界の見え方がちょっと変わっていた。そんな読書体験ができる、お薦めのノンフィクションの1冊です」
「読み終えたら世界の見え方がちょっと変わっていた。そんな読書体験ができる、お薦めのノンフィクションの1冊です」
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 人に物を借りても「ありがとう」も言わず、借りたものを壊してしまっても「ごめんなさい」も言わないし、反省もしない。そんなプナンの人たちに「一体なんなんだ」と、奥野さんは初め違和感を抱きます。

 でも次第に、こうしなくてはならないという前提や通念にとらわれて、問題を複雑にしているのは自分のほうじゃないかと思うようになっていく。

 プナンの人たちはなぜ反省しないんだろう、いや、その問い自体が変なのかもしれないぞ。そもそも僕らは、なぜこんなに反省ばかりしているのか……。

 地球上に反省しないで生きる人々がいることを知って初めて、反省することの意味を顧みることもなく、何かにつけて反省ばかりしている、その息苦しさにハッと気づくのです。

 プナンの社会には貸し借りの概念がなく、物も知識も能力も個人ではなく集団に属しています。そんな社会との比較のなかで、自分たちの競争社会の姿もよりクリアに捉え返されます。

 僕らは個人の能力を比較して、この人は能力が足りないとか、あの人はすごいとか言ったり、時には個人の責任を追及したりします。例えば、国語教育にかかわる文脈でいうと、よく通る声で上手に話せる人はコミュニケーション能力が高いとされますよね。でも、コミュニケーション能力とは、声が小さい人がいたら全体で声のトーンを下げるとか、誰でも話がしやすい環境をみんなでつくるとか、実はその場を共有する集団に帰するものかもしれない……と、こんな話にもつながってくるのです。

 自分たちの「当たり前」をひっくり返し、思いもよらない切り口で考える、感じる。そのことで僕らは、日ごろ縛られている通念や規範からちょっと自由になれる。それがこの本の大きな魅力だと思います。

失敗談を美談にすり替えることなく、きちんと語る

 もう1冊、同じような趣旨で選んだのが雨宮処凛さんの 『生きのびるための「失敗」入門』 (河出書房新社)です。

 成功体験をつづった本というものは世の中に山ほどありますが、この本に集められているのは失敗談ばかり。「あの失敗があるから今の成功がある」と美談にすり替えることなく失敗そのものの価値がきちんと語られているという点で、非常に珍しい本だと思います。

「失敗談を美談にすり替えることなく、失敗そのものの価値がきちんと語られている。非常に珍しい本だと思います」
「失敗談を美談にすり替えることなく、失敗そのものの価値がきちんと語られている。非常に珍しい本だと思います」
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 登場するのは有名無名を問わず、かつて失敗や挫折を経験した大人たち。自分の惨めさや情けなさから目を背けず、恥ずかしいことも包み隠さず語られたこのインタビューを通して見えてくるのは、周りの価値観に合わせるのではなく、自分らしく生きることの価値です。数々の失敗を経て達する境地もあるし、ダメなところや弱いところをさらけ出すことで生まれる関係もある、失敗にだってさまざまな価値があるのです。

 これを読んで救われたと感じる子どもは少なくないでしょうし、つい成功を追い求めがちな子育て中の親の気持ちを楽にしてくれることもあるのではないかなと思います。

 筑駒に入学してくる生徒の多くは、失敗しないように手厚く育てられ、様々なことを上手にこなし、受験においても成功を収めた子どもたちです。だから下手をすると挫折というものをまったく経験しないまま入ってくることになる。

 ところが、入学すれば周囲はみんなよくできる。これまで自信を持ってやってきたことについて、自分よりもはるかにできる同級生たちの存在を目の当たりにし、自分なんて大したことなかったと思い知らされる、その挫折感。私もこの学校の卒業生ですが、なかなか強烈な体験となります。

 これもあいつにはかなわない、あれもかなわない……と周りと比較しながら得意だったことを潰していくみたいな時期が中学時代にあって、自分にしかできないことってなんだろう?そんなもの何もないのではないか?と考えさせられる。そうやって自分には何があるのだろうと考え抜く過程に彼らの成長があるのですが、その中で自分は何か大きなことを成し遂げなくてはいけないとか、何者かにならないといけないというプレッシャーが膨らんでしまうこともあり得ると思うんですね。

 そんなときにこの本に出合えたら、本当に大切なのは、人からの評価なんて気にせずに好きなことを見つけて追求していくことだと、大人の失敗を自分に置き換えて実感できるのではないでしょうか。

 筑駒生に限らず、人生の早い時期に読んでみてほしい1冊です。

「かつて失敗や挫折を経験した大人たちが、自分の惨めさや情けなさから目を背けず、恥ずかしいことも包み隠さず語っています」
「かつて失敗や挫折を経験した大人たちが、自分の惨めさや情けなさから目を背けず、恥ずかしいことも包み隠さず語っています」
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筑駒は生徒に「しくじるチャンス」を与える

 失敗という意味で言うと、筑駒は学校生活において「しくじるチャンス」の非常に多い学校です。

 自由闊達を旨とし、私服だし校則もないし、教師もうるさいことをまったく言わない。学校行事は生徒たちの自主性に委ねて行われ、自分で挑戦して創造することが求められる授業も少なくありません。

 自由度が高く、自主性に委ねられ、大人のお膳立てなしで挑戦するとなれば、当然しくじる可能性も高くなります。

 でも、学校というのは堂々と失敗できる空間。生徒たちをどれだけ安全に失敗させられるかは学校の一つの価値でもあると思います。

 だから、生徒たちには、たくさんしくじって、それを乗り越えて、失敗も挫折も捨てたもんじゃないよね、と笑顔で卒業していってもらいたいなあと思うんです。

「学校というのは堂々と失敗できる空間。生徒たちをどれだけ安全に失敗させられるかは学校の一つの価値でもあります」
「学校というのは堂々と失敗できる空間。生徒たちをどれだけ安全に失敗させられるかは学校の一つの価値でもあります」
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取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也