戦争、パンデミック、資源争奪、サイバーテロ…分断が深刻さを増す世界が直面するリスクの数々。地政学の世界的な第一人者であるイアン・ブレマー氏は新刊 『危機の地政学』 で、その本質に迫る。ここでは、同書に収録の京都大学大学院特別教授・御立尚資氏による解説をお届けする。「日本にとっての意味」を、より深く理解するための一助としてほしい。

世界を読み解くキー・コンセプト

 畏友イアン・ブレマーは多作であり、その分析範囲は多岐にわたる。
 しかし、彼の思考の骨格を成してきたのは、将来の世界を形作る重要な構造的変化を読み解き、それぞれを明確に提示するいくつかの「キー・コンセプト」だ。

 多くの人々が、冷戦の終了を受けて、市場経済と民主主義体制が最強のモデルであると信じきっていた時代。彼は、国家資本主義と権威主義体制の国々の挑戦に対して、警鐘を鳴らしていた。
(“The End of the Free Market: Who Wins the War Between States and Corporations?” 邦訳『自由市場の終焉 国家資本主義とどう闘うか』有賀裕子訳/2010年原著出版)

 中国とロシアを中心とした国家資本主義の台頭、これが世界の未来に大きな影響を与える、というキー・コンセプトだ。

これまでもさまざまな新コンセプトを提示してきた地政学の世界的大家、イアン・ブレマー(写真:Richard Jopson)
これまでもさまざまな新コンセプトを提示してきた地政学の世界的大家、イアン・ブレマー(写真:Richard Jopson)
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 続けて、彼が提示したのは、Gゼロ、である。

 米国が世界秩序維持の役割を果たさなくなる、あるいは果たせなくなることから、リーダーの不在がグローバルガバナンスの不全、そして地球社会の危機対応能力低下につながる世界を予見したものだ。
(“Every Nation For Itself: Winners and Losers In a G-Zero World” 邦訳『「Gゼロ」後の世界 主導国なき時代の勝者はだれか』北沢格訳/2012年原著出版)

 米国のリーダーシップの下、G7、あるいはG20の場で、グローバル課題の解決策が議論され実行される、という状況は終わりを告げ、今では、Gゼロという言葉自体、かなり広く人口に膾炙(かいしゃ)するようになった。

 そして、「国家資本主義」「Gゼロ」というコンセプトを踏まえて指摘したのが、「分断と対立」の構造であり、それがグローバリズムを破綻させつつあるという事実だ。
 自由貿易体制の下、相対的に賃金が低い新興国の工業化が進み、今度は豊かになった新興国が先進国の高度な製品やサービスを購入するようになる。

 このメカニズムに従って、20世紀終盤には、比較優位と分業によるグローバリゼーションが世界全体を豊かにし、数多くの新興国国民が絶対的貧困から抜け出すことができた。
 これに伴い、グローバリゼーションの進展こそが、世界をより良くするというイデオロギー、すなわちグローバリズムも勢いを増した。

 しかし、先進国内部では自らの仕事が新興国に移り、グローバリゼーションのデメリットだけを被る中間層が増え、メリットを享受できる富裕層との間で大きな分断が生じるに至った。
 ネット上では、アルゴリズムによって、自らの見たい・聞きたい情報だけが提供され、立場の異なる人々の分断と対立がさらに強まる。

 米国の国内政治状況は、まさにその典型例だ。
 民主主義、市場主義の先進国の混乱を見た権威主義・国家資本主義国家は、自らのモデルの優位性を声高に語り、新興国に輸出しようとして、先進国との分断・対立がひどくなる。また、米国がグローバルな場でリーダーシップを発揮しようとしても、国内の分断がそれを妨げることとなる。

 米国と中国、共和党支持者と民主党支持者。そして、本来情報の共有を進めるツールであったインターネットによる情報の断絶。
 さまざまな「分断と対立」が今を読み解くキー・コンセプトである、とブレマーは指摘した。
(“Us vs. Them; The Failure of Globalism” 邦訳 『対立の世紀―グローバリズムの破綻』 奥村準訳/2018年原著出版)

これから起こる危機

 さて、「国家資本主義」「Gゼロ」「分断と対立」といった切れ味の良いキー・コンセプトは、基本的に「現在」を分析することから浮かび上がったものだ、と言っても良いだろう。
 ブレマーが創設したユーラシア・グループでは、これらのキー・コンセプトを前提とし、さらにさまざまな要因を考慮に入れて、クライアントのために複数の将来シナリオとその発生確率を推定している。

 例えば、ロシアのウクライナ侵攻に関して、ロシア黒海艦隊の旗艦が沈没した2022年4月初めの段階で、その後3カ月のシナリオとして、

〝stalemate(こう着状態)〞60%
〝ceasefire(停戦)〞20%
〝escalation(激化)〞20%

という3つが提示されていた。
 「現在の分析によるキー・コンセプト」を軸に、「未来のシナリオ」を設定するというアプローチだ。

 今回の新著『危機の地政学』は、こういった手法から、かなりかけ離れた形で描かれている。

 まず、現在の分析によるキー・コンセプト提示、ではなく、最初から「これから起こる危機」について語られる。
 次なるパンデミック、気候変動による自然災害・難民の増加と地域紛争、破壊的な技術進化がもたらす新しい戦争や中間層の消滅。

 シナリオ的に発生確率を述べるのではなく、タイミングは前後したとしても、将来起こるだろう世界を揺るがす諸要因について、きっぱりと言い切るスタイルが取られている。
 もちろんのこと、これらが本当の人類にとっての危機というレベルに達する可能性が高いのは、「国家資本主義」「Gゼロ」「分断と対立」という構造的要因があるからに他ならない。

そして解決案の提示

 もう一つ、本書がこれまでの書籍や分析と異なるのは、解決案の提示だ。
 パンデミック、気候変動、破壊的技術が複合的にもたらす危機は、人類という種の存続自体を脅かす可能性がある。

 この前提で、ブレマーはさまざまな解決案の提示に踏み込んでいる。
 前の冷戦時、体制と意見の異なる米ソが核を巡っては一定の協力体制を敷いた。この事例から始まる本書の中で、米中が新冷戦に入ることを防ぐためには、どのような手があるか。

 気候変動と難民増加に備えて、どのような準備を行い、そのインパクトを低減するのか。
 破壊的な新技術の急速な普及を睨(にら)みながら、データに関する国際機関設立をはじめとした危機回避策をどう積み重ねていくか。

 分析よりも解決案の提案に力点が置かれる、これまでになかった書き振りである。
 おそらくは、彼自身の危機感の大きさの反映なのだろう。

 特に、これからやってくる危機が、国境を越えた協力なしに乗り切れない地球規模のものであるにも関わらず、米中の対立とそれぞれの影響圏の分裂から、国際協力が行われない事態をどう防ぐか、に焦点が当てられている。

 貿易、決済、軍事協力、ネット規制とコネクティビティ、科学技術、全てにわたって、「鉄のカーテン」の向こう側とは無関係に、自らの影響圏を維持することが目的化してしまうリスクについての言及が何度も繰り返される。

 もちろん、本書でもブレマーの真骨頂たる新しいキー・コンセプトの提示は行われている。
 「適度な危機」を逆手にとって、解決策の実現につなげていくべきだ、として「危機の価値(“Power of Crisis”)」に着目するのが、今回の主眼目だ。

 解決案を具体化するにあたって、当然さまざまな抵抗があることを見据えた上で、「危機を利用しよう。危機には価値があるのだ」という主張が、今回のキー・コンセプトであり、本書の原タイトル(“Power of Crisis”)の意味するところである。

 ちなみに、これまでの「構造要因」ではなく、「課題解決の要因」としてのキー・コンセプトであることも面白い。

危機を乗り越える方法について提言した新刊『危機の地政学』とその原著(The Power of Crisis: How Three Threats – and Our Response – Will Change the World)
危機を乗り越える方法について提言した新刊『危機の地政学』とその原著(The Power of Crisis: How Three Threats – and Our Response – Will Change the World)
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歴史的俯瞰と綜合知

 もう一つ、本書が従来のブレマーの書籍と異なるのは、さまざまな領域の知見を俯瞰して統合する、いわば「綜合知」の所産となっていることだ。

 これからやってくるパンデミック、あるいはデジタル技術の進展、について語ったかと思うと、一転、国際連盟、国際連合の創設時からの歴史が語られる。
 紀元1年からの世界の人口推移の話が出てきたかと思うと、米国の右派と左派の分断が詳細に描かれる。

 それぞれ個々のトピックについては、当然、領域ごとの専門家がこれまでも詳細な著述をおこなってきている。
 細かい知識を得る目的であれば、それらにあたれば良いし、自分が詳しい分野であればその部分はざっと読み飛ばせば良いだろう。

 本書の価値を高めているのは、これら個々の事象やトピックを全体として眺めた時に、「どんな危機が近づいているのか」「どのように危機を防ぎ、管理するのか」について、大きなストーリーを提示する「綜合知」ないし統合力であり、そこに着目することが読者にとっての価値を増す。

 元来、時代が大きく変化するタイミングで、未来について語るためには、この綜合知的アプローチが不可欠である。
 さまざまな分野の識者がグローバルヒストリーを語るようになってきていることも、このことと無関係ではない。

 ブレマーの今回の新基軸が今後も続いていくことを期待するところだ。

 私事になるが、ここ数年、大学院やエグゼクティブ教育の場で、将来のリーダー層に対して、個々の事象を統合して、大きなストーリーを組み立てる「時代認識の手法」を教えてきた。
 その立場から見ると、本書は大変良くできた実例であり、効果的な教科書になりえる書籍であることも付記しておきたい。

日本にとっての意味

 ちょうど、本書の英語版刊行のタイミングでロシアのウクライナ侵攻が始まり、追記の中でもそれについて触れられている。

 ロシアによる蛮行が今後の世界をさらに複雑にした一方で、西側諸国がかつてないほどに緊密に協調している、という指摘だ。
 まさに「危機」が西側諸国の協力関係強化につながる価値を持ったということだろう。

 その後、ペロシ米下院議長の台湾訪問が引き金になり、中国軍による台湾近辺での従来にない軍事演習が続き、日本を含む東アジアでも、緊張が一挙に高まった。

 西南諸島は台湾と目と鼻の先であり、台湾有事に出動する米軍の重要拠点が我が国にあることから、もし台湾を巡って米中軍事衝突が起こった際には、我が国領土に対する軍事攻撃を当然想定せざるを得ない。
 また、その前段階からサイバー攻撃やさまざまな情報戦が繰り広げられることは言うまでもない。

 日本として、米国と協調しつつ、西側諸国連合をどう強化していくか。
 自らを守る能力をいつまでにどれだけ強化するか。
 国として、この状況にどう備えるか、の議論は間違いなく加速化していくだろう。

 さらに、多くの日本企業にとっても、自らのビジネスをどう組み替えていくか、不測の事態に備えてどういうリスク低減策、レジリエンス強化策を打っていくか、検討と実行が待ったなしの事態となっている。

 従来にない状況下で、これまでにない施策を立て、実行していく。
 この際には、当然国民や社員の不安感は高まり、内部での分断も起こっていくだろう。

 その際に、我々は、いくつもある「危機」をどう変革の原動力に変え、国内・国外での立場を超えた協力関係作りに進んでいくのか。

 本書が残した我々にとっての最大の宿題は、日本にとっての「危機の価値」をどう高め、活用していくために知恵を絞るか、という点だろうと思う。

 ぜひ各界のリーダーが、イアン・ブレマー本人とも、ここに焦点を当てた議論を繰り広げることを期待したい。

世界的知性による「警告と希望の書」

戦争、パンデミック、資源争奪、サイバーテロ…分断が深刻さを増し、民主主義が揺らぐ世界が直面するリスクの数々。地政学の世界的な第一人者である著者が、迫り来る脅威の本質を歴史的視点も交えて読み解き、解決策を提言する。

イアン・ブレマー著/稲田誠士監訳/ユーラシア・グループ日本、新田享子訳/日本経済新聞出版/2420円(税込)

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