言語学バーリ・トゥード 』がロングセラーになっている気鋭の言語学者、作家の川添愛さんがお薦めするコミュニケーションや言葉についての本。4冊目は川添さんの自著『 自動人形の城 人工知能の意図理解をめぐる物語 』(東京大学出版会)です。AI(人工知能)に人間の意図を伝えることの難しさを、架空の国の王子様と自動人形になった家来や召使いとの物語を通し、解き明かします。

AI研究から言語学を見つめ直す

 かつて私は国立情報学研究所に所属して、AI(人工知能)の研究に携わっていました。今はもう研究からは離れましたが、その経験で改めて気づいたのは、人間の言葉の複雑さです。

 言語学にはさまざまな分野がありますが、私の専門は理論言語学と呼ばれるもので、日本語の文法や意味を理論的に説明すること。要するに、日本語を使っているときに頭の中で何が起きているのかを研究しているわけです。

「AIは、人間の意図をきちんとくみ取るのはまだまだ苦手だと思います」と話す川添さん
「AIは、人間の意図をきちんとくみ取るのはまだまだ苦手だと思います」と話す川添さん
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 一方、今のAIの仕組みは、人間の頭とはかなり違います。だから人間なら普通に伝わるのに、AIにはまったく伝わらないことがよくあります。その現象を見て、逆に人間がどうやって言葉の意味を解釈しているのかが分かったりする。そういう観点から書いたのがこの本です。

AIに「意図理解」は難しい

 今やAIという言葉を聞かない日はありません。あらゆる業界で、人間に代わる労働力としての期待値はすごく高いと思います。個人レベルでも、何か話しかければ確実に実行してくれる賢いロボットのような存在をイメージしがちでしょう。

 では、実際にそんなロボットは誕生するのか。私も期待している1人ですが、これがなかなか難しい。確かに、計算能力や機械学習の技術はこれからも進歩していくことでしょう。しかし、肝心要のAIが私たち人間と同じように言葉を理解するようになるまでには、かなり高いハードルがあると思います。それを感覚的に理解していただきたくて、本書を物語形式にしてみました。

『自動人形の城』(川添愛著/東京大学出版会)
『自動人形の城』(川添愛著/東京大学出版会)
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 主人公は架空の国のわがままな王子様。優秀な家来や召使いに囲まれていて、本人が細かく指示を出さなくても日常は円滑に回っていました。しかし、王子様はわがまま故、その状況に満足していません。むしろ彼らのことをバカだと思っています。

 そんなある日、悪い魔法使いにそそのかされて、王子様は彼らをすべて「自動人形」と交換してしまいます。要するにAIを搭載したロボットです。人間より人形のほうが優秀だろうと考えたわけです。

 ところが、ここから大変な苦労を強いられます。とにかく話が通じません。王子様が「おなかがすいた」と言えば、以前ならすぐにご飯を用意してもらえたのに、「自動人形」の召使いは「私のおなかはすいていません」と答えて去るだけ。あるいは守衛隊長に「城を守れ」と命令すると、城壁にしがみつく。「門の前に立て」と言えば、正門ではなく、脇にある開かずの門の前に立ってしまいます。

 ここから見えてくるのは、人間同士の会話の中には、抽象的な言葉が多く含まれているということです。また、私たちは簡略化して話すことも多々あります。すべてを語らなくても、お互い何を言いたいのか、何を求めているのか、状況などからだいたい察することができるからです。こういう「意図理解」ができるのは、人間の脳がそれだけ複雑な情報処理をしているということでもあります。しかし、今のAIに人間と同じレベルの意図理解をさせようとするのは、かなり難しいことです。

人間同士のコミュニケーションの参考に

 そんなことをお伝えしたくて書いたのですが、読者の方からは、意外な反応もありました。「普段の仕事上のコミュニケーションを思い出す」と。部下にどれだけ注意しても同じミスを繰り返すとか、きちんと伝えたはずのことが伝わっていないとか、小さな誤解から大きなトラブルに発展したとか、コミュニケーションの齟齬(そご)は人間同士でも日常的に起きているようです。

「本書を反面教師として読んでいただければと思います」
「本書を反面教師として読んでいただければと思います」
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 確かに日常生活で、人間同士でもお互いの意図が伝わらないことはよくあります。例えばみなで食卓を囲んでいるとき、Aさんがたまたまキッチンに立っていたBさんに「お皿を持ってきて」と声をかけたとします。Aさんには必要なお皿のイメージがあり、Bさんなら察してくれるだろうと思っています。しかしBさんにとっては、この一声だけでは1枚でいいのか人数分なのか、大皿なのか小皿なのか分からないかもしれない。Aさんはお刺し身用の小皿を人数分欲しかったのに、Bさんは大皿を1枚持ってきてしまい、ひと笑い起きたりするわけです。

 笑い話で済めばいいのですが、仕事上の指示や連絡となるとそうはいかないでしょう。察してくれることを期待するのではなく、むしろ相手を「自動人形」だと思って、「刺し身用の小皿がないから、今すぐ人数分をここに持ってきて」などと言えるよう、日ごろのコミュニケーションを見直したほうがいいかもしれません。その“反面教師”として、本書がお役に立てば幸いです。

 もっとも、AIは日々進化しています。人間に代わって小説を書いたり、絵を描いたりするAIが登場していることは周知の通り。もう少し先の時代になれば、ちゃんと言うことを聞いてくれる優秀な「自動人形」が誕生しているかもしれません。もしそうなったら、研究者が頑張ったんだなと思ってください。

取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝