発展途上国の人口爆発と、先進国における少子化――この重層的危機を、我々はいかに乗り越えうるのか? 「経済学の書棚」第2回後編は、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーの講義から、国家の統治、人口、経済や市民社会に関するフーコーの論考を整理した『統治の抗争史 フーコー講義1978-79』と、17世紀の重商主義の時代から現在に至るまで、経済学者が人口をどのように取り扱ってきたのかを検証した『人口の経済学』を紹介する。

前編 「 人口問題に「最適解」はあるか 世界経済の大転換を予測する本

「経済学の書棚」 人口問題をテーマにした今月の4冊
「経済学の書棚」 人口問題をテーマにした今月の4冊
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フーコーによる「人口」に関する論考

 自由主義経済の論理を前面に出して人口問題に対処しようとする思考法の起源を論じたのは、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーである。重田園江・明治大学教授は『 統治の抗争史 フーコー講義1978-79 』(勁草書房/2018年11月刊)で、フーコーが1978年1月から79年4月までコレージュ・ド・フランスで講義した内容を足掛かりに、国家の統治、人口、経済や市民社会に関するフーコーの論考を整理している。

『統治の抗争史 フーコー講義1978-79』(重田園江著/勁草書房)。ポリス、都市計画、人口、エコノミー……。キーワードとともに統治という概念の抗争史を描き、フーコー講義の核心に迫る
『統治の抗争史 フーコー講義1978-79』(重田園江著/勁草書房)。ポリス、都市計画、人口、エコノミー……。キーワードとともに統治という概念の抗争史を描き、フーコー講義の核心に迫る
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 同書によると、人口はフーコーにとって統治よりも前に考察対象となった枢要な概念であり、講義でも5回、言及している。まず、都市空間と環境とつながりが深い概念として取り上げ、食糧難、天然痘と接種、公衆衛生との関連でも人口問題を論じている。

 フーコーは、18世紀に「人口」の概念が出現し、同時に「経済的自由主義」、「自由主義的な統治」が出現したとの認識を示している。17~18世紀のフランスでは、産業構造の変化や人口移動、都市の膨張によって食糧難となり、欧州の穀物市場の自由化を推進すれば食糧難は解消すると説く自由化論者が勢いづく。フーコーによると、自由化論者にとっては不足も高値も悪ではなく、かといって善でもない。不足や高値といった一つ一つの現象に対処するのではなく、穀物の生産から流通・消費までのシステム全体を考慮に入れようとする。

「人口」にのみ込まれ、反乱を忘れた「人民」

 富の分析や一国の産業について考察する経済学が発展するにつれ、人への関心は、総数のカウントと数学的特性の分析へと収斂(しゅうれん)していく。「人口という水準」は特定の場所で人の数が増えたり減ったりする具体的な現象から分離し、独立する。食糧難に抗議して反乱を起こす「人民」が出てくる余地はなく、世界へと拡大する巨大市場の中で合理的にふるまい、利益を確保するホモ・エコノミクス(経済人)だけがシステムの中に入れる。フーコーは「人民が人口であることを拒否するなら、彼らはシステムを狂わせる者たちとなる」と指摘した。

 18世紀に出現した「自由主義的な統治」とは、ある前提に従って行動する限りでしか人間の自由を認めず、人間の欲望や自発性を組み込みながら誘導するタイプの統治だとフーコーは見抜いていた。

 野原慎司・東京大学准教授は『 人口の経済学 平等の構想と統治をめぐる思想史 』(講談社選書メチエ/2022年11月刊)で、17世紀の重商主義の時代から現在に至るまで、経済学者が人口をどのように取り扱ってきたのかを検証している。

『人口の経済学』(野原慎司著/講談社選書メチエ)。「人口減少社会」にいかに向き合うか? 地球規模の危機を乗り越える「理想」を歴史から学ぶ1冊
『人口の経済学』(野原慎司著/講談社選書メチエ)。「人口減少社会」にいかに向き合うか? 地球規模の危機を乗り越える「理想」を歴史から学ぶ1冊
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 経済学が発展した18世紀から20世紀までは世界人口は急増する一方であり、経済学者たちの関心は人口増加への対応に集中しがちだった。近年、多くの国が人口低迷(減少)の局面に突入し、人口減少への対応に注目するようになった。人口増加率の低迷による長期停滞への対策を巡る議論も活発になっている。

 現代の多くの経済学者は、人口問題を論じるときも、「経済内(内生的)要因」に分析を限定する。所得、経済成長と人口変動の関係に視角を絞り、既存の政治・経済・社会の諸制度の範囲内で経済学上の最適解を出す。局所での最適解に従って政策を実行するが、必ずしも社会全体としての最適解ではない。

社会のビジョンを描いた経済学者たち

 この点で参考になるのが、現代より前の経済学者の議論だという。経済学はある時代までは統治学や制度論に包摂されていた。過去の少なからぬ経済学者たちは「経済内要因」だけでは人口問題には対応できないとよく認識し、人口を論じる際に社会の根本的なビジョンを描こうとした。分析水準が粗い点があり、そのままでは現代に応用できないが、そうしたビジョンは現在でも見直すに値する。

 過去の経済学者は人口増加への対応を議論の中心に据えたが、重商主義者の一部、アダム・スミスやジョン・メイナード・ケインズらは人口減少について論じた。とりわけ20世紀初頭の英国で人口低迷に直面したケインズは、人口減少社会の処方箋として、金利政策とともに所得の平等化が対策になり得ると指摘した。

 人口問題は食・職・生殖をはじめ、価値観や政治制度など幅広い領域に関わる。野原氏は、既存の制度を前提としない、幅広い領域を包含した議論を呼びかける。そこでは社会の不平等を是正する制度の設計が重要なテーマになる。人口は単に数の増減の問題にとどまらない。人々の幸福に関係し、人々の幸福は社会の平等という理想と結び付いているためだ。

 人口問題を考えると同時に「どのような制度の資本主義が望ましいか」、「資本主義のグローバル化により痛手を受けた共同体をどう再建するか」、「共同体の再建により、どう助け合いの社会を再構築するか」を検討すべきだと説く野原氏。現代経済学の限界を見極め、殻を破る覚悟があれば、現代の経済学者たちも新たなビジョンを生み出せるのではないだろうか。