「昔のように仕事に打ち込む気力がない」「優秀な後輩の活躍をなぜか心から喜べない」「もう少し違う人生があったんじゃないか」…そんな感情に心当たりはないでしょうか。

 40代前後は、社会的立場や体などのさまざまな変化が重なる時期。そうした変化を背景に、これまでの生き方や自分の将来に不安や葛藤を抱える状態を、「ミッドライフクライシス」、いわゆる“中年の危機”と呼ぶことがあります。人生の折り返し地点に立てば、誰でも少なからず、「このままでいいのだろうか」と考えることがあるかもしれません。

 そんなふうに立ち止まってしまったとき、私たちはどうしたらいいのでしょうか。今回は、ミドルエイジが“これからの人生”を考える上で思索の種となる5冊を、読書のプロである荒木博行さんに選んでもらいました。脱力系のベストセラーエッセーから、哲学者ニーチェの最後の著作まで、自分の人生と向き合うためのヒントを探ります。

「頑張る」をやめたら、何が起きる?

1. 『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン著、岡崎暢子訳、ダイヤモンド社)

『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン著、岡崎暢子訳、ダイヤモンド社)/画像クリックでAmazonページへ
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 人生に停滞を感じると、僕らは自分自身を責めがちです。特に40代などで目標を見失いかけたとき、「モチベーションが湧かないのは、自分がおかしいんじゃないか」「みんな頑張っているのに、なんで自分だけダメなんだ」と、真面目な人ほど自分を追い込んでしまう。だから今回のテーマの入り口として、まずは“肩の力を抜くための1冊”を選びました。

 僕たちは、「頑張ることは善だ」という価値観を深く内面化していて、立ち止まることを、まるで“人生の故障”かのように感じてしまいます。でも、この本の著者であるハ・ワンさんは、40歳を目前に会社を辞めてしまう。そして、舞い込んできたイラストレーターとしての仕事も断ってしまう。彼はあえて、「頑張らない生き方」を選択することにしたのです。

 本の中で、彼はこんな疑問を投げかけます。“一生懸命生きた人生がこの程度だったなら、そもそも「頑張る」という前提自体が間違っていたんじゃないか”。40年、「頑張る」を実践してもうまくいかない。それなら、逆に「頑張らない」に徹してみよう、というわけです。そんなのは怠惰だ、と感じる人もいるかもしれません。でも、肩の力を抜く練習は、40代前後で必要になる人も多いと思うのです。

 「頑張らない」ことをユーモアたっぷりにつづった本書ですが、読み進めるうちに「こんなに全部手放して、この人は大丈夫なのか?」と、だんだん心配になってくるのもポイントです(笑)。ところがそんな心配をよそに、この本は韓国で25万部を超えるベストセラーになった。ハ・ワンさんは脱力したことで、作家として成功をつかんだのです。

 これまで頑張ってこなかった人が、この先も頑張らないまま過ごしたところで、何かが変わるとは限りません。でも、これまで一生懸命頑張ってきた人なら、減速へとギアチェンジすることで、何か新しいものを得られるかもしれない。ハ・ワンさんの例はもちろん結果論にすぎませんが、この本にはそんな希望を与えてくれる力があります。

「弱さ」を克服しない、という選択

2. 『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』(井上慎平著、ダイヤモンド社)

『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』(井上慎平著、ダイヤモンド社)/画像クリックでAmazonページへ
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 NewsPicksパブリッシングの編集長として第一線を走っていた井上慎平さんが、ある日突然、うつ病で働けなくなった——。本書には、そんな井上さんの生々しくも貴重な経験がつづられています。この本の最大の特徴は、「弱さ」を単に克服すべきものとして扱っていないことにあります。

 そもそも、「弱さ」とは何なのでしょうか。僕らは40代くらいになると、いろいろな鎧を身につけて社会生活を送っています。立場のある人は特に、「弱い」と見られることはある種の“恥”、あるいは“ディスアドバンテージ”のように感じてしまう。ゆえに、自分が「弱っているな」と感じたら、一刻も早く元の自分に戻ろうとするのが自然な反応だと思います。でも井上さんは、弱さの中にとどまり、その弱さが「何を意味しているのか」を考えようとしました。

 社会には、「強さ」を前提に設計された働き方や、「成長」を無条件に礼賛するような価値観が根強く残っています。ただ、40代前後からは、そうした価値観を考え直さなければいけないのかもしれません。例えば、「モチベーションが湧かない」と感じたとき。それはもしかしたら、「もうその走り方は違うんじゃない?」という、自分からのメッセージかもしれない。これは、先ほどの『あやうく一生懸命生きるところだった』ともつながる話ですよね。

 特に、頭で考えることを優先しがちな人は、体からのメッセージを無視しがちです。疲労困憊(こんぱい)で体が悲鳴を上げていても、「まだ走れるはず」「走るべきだ」と、“べき論”でその声をかき消してしまう。でもこの本が言っているのは、そんな体の声にもちゃんと耳を傾けよう、ということ。年齢を重ねるにつれ、無尽蔵のように思えた体力も、実はそうでなかったことに気づき始める。前のように走れなくても、それは決して「弱さ」ではない。むしろ体の声に従い、「無理をしないことも一つの強さ」なのだと、井上さんは教えてくれます。

「社会に自分を合わせる」から降りてみる

3. 『人生にコンセプトを』(澤田智洋著、ちくまプリマー新書)

『人生にコンセプトを』(澤田智洋著、ちくまプリマー新書)/画像クリックでAmazonページへ
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 突然ですが、あなたの生き方に「コンセプト」はありますか? きっと、「自分のコンセプトはこれ!」と言える人のほうが、圧倒的に少ないですよね。そこで、40代前後の人に薦めたいのが、澤田智洋さんの『人生にコンセプトを』です。

 澤田さんは「ゆるスポーツ」の仕掛け人です。ゆるスポーツとは、年齢や性別、運動神経の良しあしにかかわらず、さまざまな人が楽しめる新しいスポーツのことで、これまでに130以上の競技が生まれているそうです。そんな多彩なゆるスポーツのように、澤田さんは本書でも、生き方の指針となり得るさまざまな「コンセプト」を紹介しています。

 本のタイトルにもある「人生にコンセプトを」というのは、単なる思いつきから生まれたものではありません。ゆるスポーツが生まれたきっかけは、澤田さんのお子さんが、全盲の視覚障害・知的障害・ASD(自閉スペクトラム症)という、3つの障害を持って生まれてきたことでした。澤田さんは当時、頼れる情報や人も少なく「世界から見捨てられたような絶望感」に襲われたといいます。でも、その絶望を味わった上で、これからどう生きていくかを考えたとき、自分を立て直してくれたのが「コンセプト」だった。本書では、そんな自身の経験が語られています。

 澤田さんのお子さんは、既存のスポーツがしたくても、思うようにできない。でも、このような社会とのズレは、本人のせいなのか? 障害があるとできないスポーツのほうに、問題があるんじゃないのか? と澤田さんは考えました。こうした発想の転換を経て、「スポーツ弱者を、世界からなくす。」という、澤田さんのコンセプトが生まれました。

 自分と社会がかみ合わないと感じたとき、僕らはつい「社会に自分を適合させよう」と必死になります。社会は動かしようのないもので、自分が合わせるしかないと考えてしまう。そしてうまくいかないと、「この社会は無理ゲーだ」と絶望してしまう。澤田さんは、そんな社会適合ゲームから降りて、自分たちのほうに社会を近づけようと、自身のコンセプトに従って働きかけました。

 社会にうまく適合できているうちは、流れに乗っていればいい。そこでは、「コンセプト」の必要性を感じないかもしれません。でも、ある種の絶望や限界、理不尽にぶつかり、これまでの「社会適合ゲーム」が通用しなくなったとき。そこから先の人生に、新しい選択肢をつくるのが「コンセプト」なのだと思います。

「自分にあわせる顔」がない人はどうなるか

4. 『生きがいについて』(神谷美恵子著、柳田邦男解説、みすず書房)

『生きがいについて』(神谷美恵子著、柳田邦男解説、みすず書房)/画像クリックでAmazonページへ
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 初版は1966年に刊行され、半世紀以上読み継がれてきた本です。著者の神谷美恵子さんは、ハンセン病療養所に通い続けた精神科医。そこで出会った人々の姿を通して、「生きがいとは何か」を深く考察し続けました。そんな本書の中で、僕にグサリと突き刺さったのが次の一節です。

 「社会的にどんなに立派にやっているひとでも、自己に対してあわせる顔のないひとは次第に自己と対面することを避けるようになる。」(『生きがいについて』p.40)

 神谷さんはさらに、そういう人は一人静かにしている時間にも耐えられなくなり、心の奥のうめき声に耳を貸すのがつらいからこそ、あえて生活を忙しくして、聞こえないふりをするようになるのだ、と続けます。

 たとえ外向きには立派な顔をつくれても、鏡の中の自分、あるいは一人で過ごしているときの自分に対して「あわせる顔」がない。この内面的な不一致は、40代くらいになると陥りやすい、一種の“病”のようなものだとも感じます。

 効率化が進んだ現代では、かつて時間を取られていた作業を短時間で済ませられる場面も増えました。でも、そこで生まれた余白は、ある意味では恐怖にもなり得ます。「自分自身と向き合う時間」ができてしまうからです。だから、せっかくできた余白にも予定を詰め込んでしまう。「忙しさ」が、自分と向き合わないための手段になっている人もいるのではないでしょうか。

 17世紀の哲学者・数学者のパスカルも著書『パンセ』の中で、人間の不幸はすべて、一人で部屋に静かに座っていられないことに由来する、という趣旨のことを書いています。どれだけ効率的かつ合理的に生きても、自分自身と向き合うことから逃げ続けていたら、どこかで内面との乖離(かいり)が生じてしまう。神谷さんの言葉は、そんな人間の危うさを半世紀以上も前から問いかけているのです。

 外に見せる立派な顔ではなく、「自分にあわせる顔」を持っているか。40代ごろに一度立ち止まったときにこそ、自分に問いかけてみたい言葉です。

あなたに「別の人生」はない

5. 『この人を見よ』(ニーチェ著、手塚富雄訳、岩波文庫)

『この人を見よ』(ニーチェ著、手塚富雄訳、岩波文庫)/画像クリックでAmazonページへ
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 「なぜわたしはこんなに賢明なのか」「なぜわたしはこんなに利発なのか」「なぜわたしはこんなによい本を書くのか」——かなり挑発的な問いかけですが、実はこれが目次の一部。著者は、ドイツの哲学者・ニーチェです。自伝的な位置付けとなるこの本を書いたのち、ニーチェは精神に変調をきたし、これが最後の著作となりました。

 病気や孤独を抱えながら生きたニーチェは本書で、自らの人生を丸ごと引き受け、壮絶なまでに自己を肯定しようとします。その根底にあるのが、「アモール・ファティ(運命愛)」という考え方です。僕なりに解釈すれば、運命愛とは「別の人生を理想として追い求めるのではなく、今ある人生を受け入れる」ということ。もっとこんなふうに生きていれば、あのとき別の選択をしていれば…と考えることは、40代くらいの人にはよくあることでしょう。しかし現実には、別の人生を生きることなどできません。

 ニーチェの思想には、「永劫回帰」という考え方もあります。自分の人生が何周も繰り返されたとしても、それでもこの人生に「イエス」と言えるか。中途半端に別の人生を夢見るのではなく、生まれてきたこの人生を最大限肯定する。僕は、『この人を見よ』を読むと、そんな強烈なメッセージを感じます。他人の人生でもかなわぬ理想でもなく、今、目の前にある“自分の持ち駒”で生きていくしかない。

 誰しもが、「なぜこうなってしまったのか」「あのときこうすればよかった」と後悔する瞬間はあるでしょう。しかし、そう考えているうちは、目の前の人生を生き切ることはできません。自分に「別の人生」はない。すべてひっくるめて、この人生を肯定していくしかない。そんなニーチェからの叱咤(しった)激励を、あなたはどう受け止めるでしょうか。

取材・文/金澤英恵 構成/大松佳代(日経BOOKプラス編集部) 編集協力/山崎綾