日経ビジネス電子版連載の「ヤマザキマリの『マリユミ世の中胸算用対談』」などを基に、大幅に加筆編集した新刊『 蛮族の襲来 ヤマザキマリが大いに語る 』が2026年10月26日に発刊しました。SNSが先導する世論、力が支配する国際関係、あふれるインバウンド。日本人が大事にしてきたものが崩れていく……。今の日本に漂う閉塞感、不安感は、あたかもゲルマン民族の大移動を目の前にした、ローマ帝国の人々のよう。そんなぐらつく社会を「蛮族の襲来」というメタファーで痛快に切る、ヤマザキマリの快刀乱麻! ジャーナリストの清野由美さんを共著者として縦横無尽に話題が広がる本書から一部を抜粋、再編集して掲載します。その第2回。ヤマザキさんの大ヒット作『テルマエ・ロマエ』は、舞台であるイタリアよりフランスで人気が高いそうなのですが、その理由とは?
清野由美(以下、由美):イタリアでは、マンガ・フェスティバルも盛り上がっているそうですね。
ヤマザキマリ(以下、マリ):大小含め各地で開催されています。イタリアでも大きなフェスだと、街中、もうマンガ一色になりますよ。
イタリアでは『ルパン三世』のコスプレが大人気
由美:池袋のハロウィンコスプレ・フェスみたいに、コスプレも盛んなのですか。
マリ:私はかつて「ルッカ・コミックス&ゲームズ(通称ルッカ・マンガ・フェスティバル)」に行ったことがありますが、これはもう、街全体がマンガ・フェスティバルに染まるという、大規模な祭典で。東京コミック・マーケットに次ぐ世界第二位、ヨーロッパ最大のマンガ・フェスだそうです。日本みたいに限られた場所だけに集まるというのではなくて、老若男女ありとあらゆる人たちが街のあちこちに集まってコスプレを披露しています。
由美:カーニバルみたい。
マリ:そう、おじいちゃんが初音ミクの格好をしたお孫さんを連れて歩いている、とか、みんなのお祭りという感じなんです。多かったのは『ルパン三世』のコスプレですね。
由美:確かに次元大介なんて、髭をはやして帽子をかぶればそのままですものね。
マリ:石川五ェ門以外はキャラの容姿が欧米圏ですからね。峰不二子だって、ボンデージみたいな服を着ればいいだけだし、ルパン三世だって黒いシガレットパンツに、緑や赤のジャケットをはおればいいだけですから。
そもそも作中の「ルパン三世」は、アルセーヌ・ルパンの孫という設定でしょう。ルパンはフランス人だけど、イタリアのファンは実写版のファンムービーまで撮っているんですよ。アニメを見ているうちに、自分でも演じたくなっちゃうのが『ルパン三世』というマンガなんですね。
由美:そこには日本に対する偏見とか、そういう感情はないのでしょうか。
マリ:私が感じた限りでは、まったくありません。むしろ、憧れの方が大きい。
ルッカのほかに有名なものだと、シチリア島では「エトナ・コミックス」というマニアックなフェスティバルもあります。
由美:シチリアというと反射的に映画「ゴッドファーザー」となりますが、シチリアにもそんなポップなお祭りがあるんですね。
マリ:実は、シチリアに関しては私の第二の故郷だ、みたいな強い思い入れが私にはありまして。「ナポリを見て死ね」じゃなくて、「シチリアを見ないで死ぬな」と、それはあまりにもったいないと思っています。
人口が増えすぎたギリシャ本土から、新天地を求めた人々がシチリア島に移住して、文化も経済も本土を凌(しの)ぐほど繁栄したので、「本土(小ヘラス)よりも巨大な、もう一つのギリシャ世界」という意味を込めて「マグナ・グラエキア」と呼ばれました。現代の国家に置き換えていうと、ギリシャがイギリスなら、シチリア島はアメリカ。今でもギリシャにあるよりも大きなギリシャ神殿が残っています。
ちなみにアルキメデスが「ユリイカ!(分かった)」と叫んだのはアテネではなく、シチリアのシラクサです。アルキメデスはシラクサに住んでいたのですよ。シチリアは古代交易の中継地点だったということで、フェニキアの文化を筆頭に、いろいろな文化が渾然一体となっているんです。
由美:そういう土地なんですね。まさにユリイカ!
マリ:17歳でフィレンツェのアカデミア美術学院に留学した時から、いちばん仲のいい家族はシチリアのファミリーだったし、その後も何だかんだで非常に縁があって、今までに十回以上は行っています。地中海文明を深く知りたいのであれば、イタリア本土よりもシチリアに行くべきですね。
アングレームのマンガ祭、権威の背景は「BD」
由美:コミック・フェスティバルに戻ると、フランスのアングレームという街でも、「アングレーム国際漫画祭」という有名なマンガ・フェスティバルがありますね。
マリ:アングレームは権威があって、マンガ界におけるカンヌ国際映画祭なんていわれています。伝統があるのですが、53回目になる26年は、運営会社に不透明な会計処理などのスキャンダルが起きて、中止になりました。
由美:アングレームのマンガ祭はなぜ、権威を付けることができたのでしょうか。
マリ:フランスには「BD(バンド・デシネ)」という、芸術性の高い独自のアートがあるからですね。『タンタンの冒険』『アステリックス』あたりが日本でも知られていると思いますが、それらBDを主体にしたお祭りが、アングレームの始まりだったんです。
BDを中心に置く人たちが高い評価を与える日本のマンガは、『キャプテン翼』よりは、『ねじ式』のつげ義春さん、『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさん、それから、劇画の世界を開いた辰巳ヨシヒロさん、『孤独のグルメ』の谷口ジローさん、などです。メインストリームというより、芸術性が高いマンガ家に高い評価が与えられているんです。
『テルマエ・ロマエ』も、実は13年にカネコアツシさんの『SOIL』と、花沢健吾さんの『アイアムアヒーロー』と一緒にアングレームでノミネートされていました。画力重視系というか、絵をすごく描き込んでいたり、基礎画力があったりする作家が、好んで選ばれている感じです。自分はともかくとして、このお二人と名前を連ねてもらえただけでうれしかったですね。
由美:そういうマリさんは、17年にはとり・みきさんとの共作『プリニウス』が評価されて、公式ゲストでも招待されています。フランスとイタリアには、共通して日本のマンガを評価する気風があるのでしょうか。
『テルマエ・ロマエ』はイタリアよりフランスで人気
マリ:どんなマンガが好まれるかは、フランスとイタリアではまったく異なると思いますよ。
たとえば『テルマエ・ロマエ』もフランスで強い支持を受けましたが、イタリアではそこまでいかない。谷口ジローさんはフランスでもイタリアでも「神」です。でも、出版部数などで見る限り、フランスでの人気の方が高いようです。
由美:そうなんだ。『テルマエ・ロマエ』はイタリアが舞台なのにね。
マリ:いや、むしろそこですよ。イタリア人はなんといっても、自分の国の歴史に強いプライドを持っていますから、自分たちの先祖のマンガを日本人が描いただと? と、ある種の予断というか、厳しい目をもって見るんじゃないかと思うんですね。
実際にイタリア人の読者がYouTubeで「古代ローマ人が日本からものを学ぶ、という設定に異議があります」と言っている人がいました。「分かってる。でも、これはマンガなんだから、あなたの国の歴史で遊ぶくらい大目に見て」って、返したくなりましたけどね(笑)。顔出しで感想を堂々と語るところがまたイタリア人らしくて、むしろすがすがしかったです。
由美:ではフランス人は『テルマエ・ロマエ』を、どうとらえたのでしょうか。
マリ:由美さん、さっきも触れましたけれどフランスで大人気のBD『アステリックス』ってご存じですか?
由美:いえ、寡聞にして存じませんが。
マリ:これはガリア人がローマ人と戦うギャグマンガなのですが、フランスの歴史をさかのぼると、ローマに自分の国(ガリア)を征服されちゃった時代があるわけです。その時代を舞台に、魔法の薬を飲んだガリア人、アステリックスがローマ人をおちょくる。つまり、自分たちを征服した古代ローマ人が困るマンガが好きなんじゃないかと。私の主観ですけどね。
由美:ということは、『テルマエ・ロマエ』は、古代ローマ人が現代日本にワープして、困っているから、すばらしいマンガだ、と。
マリ:はい、多分そういうことじゃないかと(笑)。
由美:ちなみに『ベルサイユのばら』は、フランスではどのような位置づけですか。
あの大ヒットマンガがイタリアでは不人気
マリ:「ベルばら」はイタリアでもフランスでも大流行しました。『レディ・オスカル』というタイトルで呼ばれています。フランス革命に関しては、フランスでもイタリアでも、学校で歴史をがっちり学ぶので、関心が高いし、客観的に評価できるんです。
それでいうとイタリアでまったく評価されなかったのが『ドラえもん』です。主人公が何かというとドラえもんに頼るところが、イタリア人には受け入れられない。
由美:「のび太のような子どもになっちゃダメだ、他人に頼るな」と。
マリ:そうです。一方、同じラテン系でも『ドラえもん』が大流行したのがスペインです。彼ら・彼女らにとっては、のび太はむしろ人間らしい。「何かを頼りに生きることの何が悪いんだ」という感覚なのでしょう。
由美:なんとなく近しいイメージがある国でも、一括りにはできないんですね。
マリ:それぞれが抱えている社会的な背景や歴史によって、一つのことがらに対する反応は変わっていきますね。
スペインというのはちょっと変なところで、『クレヨンしんちゃん』も大人気なんです。『クレヨンしんちゃん』は、すぐパンツを脱いで、お尻を丸出しにしちゃう子どもということで、たとえばアメリカあたりでは難しいんです。こうした差異はどこに起因するのか、比較文化論として掘り下げると面白そうですね。
ヤマザキマリ、清野由美(著)/日経BP/2530円(税込み)

