歴史を変えるリーダーには特別な資質があるのか? それとも、生まれ落ちた「場所」と「時代」が幸運だっただけなのか? 世界的なベストセラー『銃・病原菌・鉄』でヨーロッパが世界を征服した条件を示したジャレド・ダイアモンド博士が、「リーダーは本当に重要なのか」という問いに真正面から取り組んだ最新作『 商人・預言者・指導者・王 リーダーは本当に歴史を動かすのか 』(土方奈美訳/日本経済新聞出版)から「プロローグ」を抜粋・再構成し、5回に分けて公開する。今回は第1回。
第2回 もしヒトラーがいなかったら? ジャレド・ダイアモンド『商人・預言者・指導者・王』
第3回 リーダーを見きわめる2つの方法 ジャレド・ダイアモンド『商人・預言者・指導者・王』
第4回 CEOの高額報酬に根拠はあるか? ジャレド・ダイアモンド『商人・預言者・指導者・王』
第5回 チンギス・ハンはたまたま正しい時代に生まれた ジャレド・ダイアモンド『商人・預言者・指導者・王』
ヒトラーが事故死していたら、ホロコーストは起きなかったか?
1930年3月13日、アドルフ・ヒトラーの乗った乗用車が交差点に進入したとき、巨大なトラックが右手から突っ込んできた。そのまま進めば乗用車の右側に衝突する。ヒトラーはまさに右側、助手席に座っていた。トラックは乗用車に衝突し、その勢いで交差点の反対側まで押していったが、車体と乗客を押しつぶす直前に止まった。
ヒトラーと他の2人の乗客はケガをしたものの、死人は出なかった。
「みんな、生きてるか!」とヒトラーは叫んだ。
危うく難を逃れた3年後、ドイツ首相に就任し、やがて数千万人の命を奪う第二次世界大戦とホロコーストという未曾有(みぞう)の惨禍を引き起こすことになる。
あのときトラックが乗用車を押しつぶし、ヒトラーが死んでいたら、数千万人の死は避けられたのだろうか。邪悪極まりないヒトラーさえいなければ、歴史の流れは変わっていたと考える人は多い。
一方、第一次世界大戦を終結させたベルサイユ条約でドイツに課された厳しい条件と、1923年のハイパーインフレによるドイツ中産階級の崩壊によって、第二次世界大戦が勃発するのは不可避だったと見る人も多い。
ホロコーストの原動力となった反ユダヤ主義はヒトラーが台頭するずっと以前からドイツにはびこっていたのも事実だ。ヒトラーによって歴史は変わったと証明することはできるのか。
「世界史は偉人伝に過ぎない」のか?
「リーダーで歴史は変わるのか?」。第二次世界大戦とホロコーストにまつわるこの問いは、人間の営みのさまざまな分野にも当てはまる。歴史学者は3つの答えをめぐり、長年論争を続けてきた。
最も極端な答えが「偉人史観」と呼ばれるもので(「偉人」という表現の妥当性はともかく)、19世紀のイギリスの歴史家トーマス・カーライルが提唱した。人類史はオリバー・クロムウェル、フリードリヒ大王、ナポレオンといった傑出した英雄的リーダーが左右するという考えだ。カーライルの主張は「世界史は偉人伝に過ぎない」という一文に凝縮されている。
その対極にある答えは、リーダーは状況に制約され、物事の結果にほとんど影響をおよぼさないという主張だ。ロシアの作家レフ・トルストイが『戦争と平和』で示したもので、戦地から遠く離れた場所に陣取る将軍たちが命令を出すが、戦闘結果は制御不能なさまざまな事柄に左右される様子が描かれている。
トルストイはリーダーたちを「歴史の奴隷」と呼んだ。
「彼らの1つひとつの行動は(中略)永遠の昔から宿命づけられている」と。
フリードリヒ・エンゲルスはこう主張する。
「ナポレオンがいなかったら、別の誰かがその役割を務めていただろう。歴史上、何者かが必要となったときには常にうってつけの人物が見つかったという事実がそれを証明している。カエサルしかり、アウグスティヌス、クロムウェルしかり」
その中間となる答えは「リーダーで歴史は変わるのか」という単純な問いを否定し、またそれに対する普遍的答えがあるという前提も否定する。そうではなく、リーダー個人が結果に影響を与えることもあれば、与えないこともあると考える。
だから真に問うべきなのは「どのような状況でリーダーによって結果に差が出る可能性は最も高くなるのか」だ。
ザッカーバーグがいなければソーシャルメディアは存在しない?
同時代に生きるたった1人ではなく複数の人物が広い意味で同等の結果を出せるかもしれないが、そのかたちは違ったものになる可能性を認める。
たとえばマーク・ザッカーバーグが2004年にフェイスブックを立ち上げる前にも、複数の起業家がソーシャルメディア・サイトを創設していた。だからザッカーバーグがいなければソーシャルメディアは存在していなかったと主張することはできない。だがソーシャルメディアを今日のようなかたちに導いたという点において、ザッカーバーグは特異な人物だ。
私は最後に示した論争の中間の答えに立脚し、歴史、ビジネス、スポーツ、宗教という4つの分野で「(どんなときに)リーダーによって結果に差が出るのか」という問いと向き合っていく。
検討するのは次のような問いだ。
「(ヒトラーやマーガレット・サッチャーのような)1人の政治リーダーが歴史を変える可能性が高いのはどんなときか」
「ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスが生まれなかったら、コンピュータ革命やインターネット通販の爆発的成長に影響があっただろうか(あったとすれば、どんな影響か)」
「筆者が長年在籍したカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)は偉大な監督、ジョン・ウッデンがいなくても大学男子バスケットボール界の圧倒的リーダーになっていただろうか」
「イエスが存在せず、キリスト教を創始していなかったら、同時代に同じ地域で生まれ、イエスと同じように自分は神の使いだと主張していた別の誰かが世界最大の宗教を創始していただろうか」
言うまでもなく、リーダーシップの役割について同じ問いが生じるのはこの4分野に限らない。他にも軍事、抗議運動、音楽、芸術、科学などの分野が考えられる。アレクサンドロス大王、マハトマ・ガンジー、ベートーベン、ピカソ、ダーウィンは歴史に影響を与えたのか、それとも彼らがいなくても世界はおおよそ今と変わらなかったのだろうか。
企業、宗教、スポーツ、政治の4分野におけるリーダーシップ
本書では1つの分野だけではなく、4つの分野のリーダーシップを比較することにした。理由はいくつかある。第一に、4つはいずれも好奇心をそそり、とりわけ3つ(歴史、ビジネス、宗教)はきわめて重要な分野でもあるからだ。
第二に、これから見ていくとおり、ある分野のリーダーシップ(特にスポーツとビジネス)の問題を検討するために開発された手法は、他の分野の検討にも役立つことが多いからだ。そして最後に、本書の問いに対する異なる分野の答えの共通点と相違点を分析すると、多くの示唆が得られるからだ。
本書は有能なリーダーになる「方法」を説く本ではない。そういう本はすでに十分すぎるほど存在する。志高い学生たちにその答えを教えると主張するビジネススクールもごまんとある。
もちろん、それは副次的テーマとして本書にも登場する。あるリーダーが影響力を発揮できた状況を特定したうえで、なぜ「Y」ではなく「X」という人物がこの機会を活かすことができたのかを見ていく。たとえばかつてのローマ帝国の領土を越え、やがて世界に広がる宗教を立ち上げたのは、なぜエッセネ派の指導者「義の教師」ではなくイエスだったのか、といった具合に。
ただ、私はこの副次的テーマについて一般論を語るつもりはない。それはすでにたくさんの本がしているし、本書が注目するのは「機会」であって、それをつかんだ特定の人物ではないからだ。
歴史を変えるリーダーには特別な資質があるのだろうか。どんなときに、たった1人の人間が人類史を動かせるのだろうか。大ベストセラー『銃・病原菌・鉄』の著者、ダイアモンド博士が企業、宗教、スポーツ、歴史の4分野で人類の謎を壮大なスケールで解き明かす。
ジャレド・ダイアモンド著/土方奈美訳/日本経済新聞出版/2970円(税込み)

