東欧からやってきたユダヤ系移民の家庭に育ったジャレド・ダイアモンド博士は、子供のころから「(どんなときに)リーダーによって結果に差が出るのか」に強い関心があった。ヒトラーが指導者になってさえいなければ、第二次世界大戦の惨禍は起きなかったのか? 悪事はリーダー個人が引き起こすのか、それとも他の指導者の下でも起きるのか? 世界的なベストセラー『銃・病原菌・鉄』のジャレド・ダイアモンド博士の最新作『 商人・預言者・指導者・王 リーダーは本当に歴史を動かすのか 』(土方奈美訳/日本経済新聞出版)から「プロローグ」を抜粋・再構成し、5回に分けて公開する。今回は第2回。


リーダーは個人の人生に大きな影響を与える

 私は子供のころから「(どんなときに)リーダーによって結果に差が出るのか」に強い関心があった。それは私自身の人生、そして親族や友人たちの人生に、良くも悪くもリーダーたちが大きな影響を与えるように思えたからだ。

 私は1937年のアメリカで、東欧からやってきたユダヤ系移民の家庭に生まれた。妻の家族は第二次世界大戦直後にアメリカにやってきたポーランド系移民だ。だから私の人生にはヒトラーの世界がずっと影を落としてきた。ヨーロッパにいた親族のなかにはナチスの軍隊が登場する以前に逃げおおせた者もいれば、逃げられなかった者もいる。

 後者のなかにはアウシュビッツや別の強制収容所で殺された者もいる。何年も収容所で、あるいは身を隠して生き延び、その後ずっとトラウマを抱えて生きてきた者もいる。彼らが親になったとき、そのトラウマは子供にも影響を与えた。

 それでも私はティーンエイジャーのころからドイツの音楽、文学、そしてドイツ人とのふれあいを大いに楽しんできた。この楽しい経験とアウシュビッツで起きたことの折り合いをどうつければよいのか。ヒトラーが指導者になってさえいなければ、第二次世界大戦の惨禍は起きなかったのか。

 23歳のとき、バッハとゲーテとヒトラーの世界を理解するため、ドイツに移り住んだ。そこで親友になった同世代のドイツ人が、ヒトラー政権の影響を直(じか)に受けてきたことを知った。アメリカで育った私はそれを免れてきた。だが友人たちは親を失い、きょうだいを失い、あるいは実家が爆撃される様子を目の当たりにしたり、戦時中は空襲によって死なないように毎晩橋の下で眠ったりといった経験をしていた。ホロコーストそのものを認めないドイツ人もいた。ヒトラー親衛隊(SS)にいたドイツ人、SS以外の部隊に軍人として所属していた人々が何をしたかを知った。

 ヒトラーがリーダーの座にあったことが、これらのドイツ人の行動や友人たちの苦しみの原因だろうか。あるいはヒトラーがいなくても、「ドイツ人の国民性」なるものが同じ結果を引き起こしただろうか。

邪悪なリーダーが登場すれば、あっという間に独裁制になってしまうのか?

 その後私は、他の国々でも邪悪なリーダーの負の遺産を目の当たりにすることになった。1967年にはしばらく南米のチリで暮らした。南米で最も民主的で、最もヨーロッパ的で、最も政治的に安定し、軍事クーデターの経験が最も少ない国だった。

 だが1973年にアウグスト・ピノチェト将軍が民主的政府を倒し、17年にわたる軍事独裁政権を樹立。現代世界で例を見ないほど残虐な拷問を行った。その凄惨さはとてもここには書けないほどだ。仲間の軍人を含め、ピノチェトの下で何が起こるかを予見できた者は1人もいなかった。

 もちろんピノチェト自身が拷問に手を染めたわけではない。下手人は秘密警察で、雇われた数千人のサディストがピノチェトの指示を実行した。

 ピノチェト政権下の残虐行為はピノチェトのせいか、それとも彼がいなくても起きていたのか。チリと同じようにアメリカも長期間にわたって民主制が続いてきた。そのアメリカも邪悪なリーダーが登場すれば、あっという間に独裁制になってしまうのだろうか。

 私は47年前から、国立公園を設計するために何度もインドネシアを訪れている。私が初めて同国を訪れる十数年前には、スハルト将軍率いる軍事政権が50万~200万人の同胞を殺害した。確かな数字はわからない。

 10年前には妻と東南アジアのカンボジアを訪れたが、そこではポル・ポト率いる共産党政権が国民の4分の1を殺害した。標的となったのは都市に住む人、教育水準の高い人、外国語を話せる人、眼鏡をかけた人その他の「不穏分子」だ。インドネシアとカンボジアの大虐殺はスハルト、ポル・ポトというリーダー個人が引き起こしたのか。それとも他の指導者の下でも起きていたのだろうか。

よいリーダーは、キャリアを強力に後押ししてくれる

 一方、さまざまな大学の多くのリーダーが私のキャリアを強力に後押ししてくれた。たとえばケンブリッジ大学生理学部の大学院生だったとき、私は実験室で試料を処理するために一晩中ゴムホースで水を出しっぱなしにしていた。だが私のいない間にホースが破裂し、階下の実験室を水浸しにしてしまった。よりによってその実験室は私の指導教官の義父にあたる、とあるノーベル賞受賞学者のものだった。

 翌朝、学部長のブライアン・マシューズ卿のオフィスに呼び出された私は恐怖で縮み上がっていた。だが厳しい叱責は受けたものの、大学院にとどまることは許された。学部長が別の人物だったら退学処分になり、科学者としてのキャリアは閉ざされていたかもしれない。

 初めての就職先としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部の生理学教授のポストに応募した際には、面接でどうしても聞きたいことがあった。毎年数カ月、ニューギニアに滞在して鳥の進化を研究することを認めてもらえるだろうか、と。

 たいていの医学部長なら憤然として私の要望を拒絶しただろう。教員を採用するのは医学部生を教えるためであって、僻地(へきち)に鳥の観察に出かけるためではない。

 だが当時の医学部長はアメリカで最も長きにわたって医学部長を務め、広く敬愛されていたシャーマン・メリンコフ博士だった。私の質問へのシャーマンの答えは忘れられない。

 「ジャレド、UCLA医学部はニューギニアの鳥に夢中なんだ」

 そしてこちらからお願いしなくても、毎年私がニューギニアに向かうための研究費を与えてくれた。

 私がさまざまな関心を追求できたのはこの会話のおかげで、それは私のキャリアにきわめて重要なものだった。他の多くの大学でも(すべてとは言わないが)多くのリーダーが、私の行動を阻止あるいは無視してもおかしくない場面で味方してくれた。私が個人的にリーダーの与える影響について考えつづけてきたのは、こうした理由からだ。

人類史を変える者の誕生は 偶然か、必然か。

歴史を変えるリーダーには特別な資質があるのだろうか。どんなときに、たった1人の人間が人類史を動かせるのだろうか。大ベストセラー『銃・病原菌・鉄』の著者、ダイアモンド博士が企業、宗教、スポーツ、歴史の4分野で人類の謎を壮大なスケールで解き明かす。

ジャレド・ダイアモンド著/土方奈美訳/日本経済新聞出版/2970円(税込み)