「伝説のバンカー」と呼ばれた男がいる。その名は「大櫃(おおひつ)直人」。みずほ銀行の常務執行役員を務めた人物だ。NHKで放映された『プロフェッショナル 仕事の流儀』で大反響を呼んだ“リアル半沢直樹”の初の著書『「伝説のバンカー」と呼ばれた男 スタートアップを圧倒的に成長させる仕事術』が発売になりました。本書の抜粋・再構成でお届けする第3回は何を聞いてもパーフェクトに答えるタイミーの小川代表について。

 スポットワーク(スキマバイト)の仲介アプリを運営するタイミーを創業した小川嶺さんも、私にとっては印象深い経営者の一人だ。初めて会ったのは確か2018年ごろで、小川さんはまだ立教大学の学生だった。

 話を聞いたところ、アルバイトとお店をつなぐマッチングアプリをこれから立ち上げるという。「すごい若者やな」と感じたのは、ビジネスモデルに対して私がどんな角度から質問しても、すらすらと的確な答えを返してきたことだ。

 普通の起業家なら私の意地悪な質問には「まだそこまで考えていません」などと、どこかで詰まってしまうものだ。でも小川さんはほぼパーフェクトに答えてきた。アルバイトの応募者のドタキャン防止対策なども含め、タイミーのビジネスモデルは立ち上げ前から非常に深く練り込まれていた。

 小川さんにとってはすでに2社目の起業で、経験値が豊富だったということもあるかもしれない。

 めったにやらないことだが、私はその場でVCのジェネシア・ベンチャーズ代表を務める田島聡一さんに電話をかけ、「こんな面白い経営者がいるんだけど」と紹介した。田島さんは後日、すぐに出資を決めた。

 小川さんはサイバーエージェント創業者の藤田晋さんからも出資を受けるなど、優秀な若手起業家の代表格として注目されていった。

 タイミーのサービスのすごさはスキマ時間を利用して単発のアルバイトができるスポットワークの市場を日本で一気に拡大させたことだ。その先駆者としてタイミーのビジネスは順調に成長し、みずほ銀行からの融資額も次第に増えていった。

タイミーの小川嶺さんは学生時代から起業し、スポットワーク市場を一気に拡大させた=同社提供
タイミーの小川嶺さんは学生時代から起業し、スポットワーク市場を一気に拡大させた=同社提供
画像のクリックで拡大表示

 ただ、私には気がかりな点が1つあった。小川さんが本業には関係なさそうな雑誌にも華々しく登場するなどしてもてはやされ、徐々に天狗(てんぐ)になっているような感じがしたのだ。

 イベントなどでも会うたびに「もう成功者だと勘違いしてないか?」と思わせるような雰囲気が伝わってきた。少なくとも当時の私はそう感じた。

 いろいろなメディアに登場すれば、確かにタイミーのアプリのユーザーである若者に対しては良いアピールになる。一方で、タイミーはアプリに求人を出してもらう企業や飲食店といった顧客との信頼関係の構築も重要だ。そうした大人たちの目に「なんかチャラチャラした経営者だな」と映ってしまうことはマイナスでしかない。

 一時的な成功に慢心し、そこから転落していった経営者を私はたくさん見てきた。また、何より私が若手時代に同じような失敗をし、どん底を味わった。小川さんにはそうなってほしくないという親心があった。

 そこで私は嫌われることを覚悟で、あえて小川さんの天狗の鼻を折りに行く作戦に出た。「あんた、天狗になってない?」とはストレートには言わなかったが、言葉の端々ににじませ、忠告しようとした。

「いまは本業に集中する時期だよね」
「周囲の大人たちからどう見えるかっていうのを意識することも大切だよね」
こんな言葉でやんわりと伝えようとした。

 気づいてほしいという一心で、あえて怒っているふりもした。渋谷の路上ですれ違った際に、わざと無視してさっと通り過ぎたりもした。小川さんから「大櫃さん、何か怒ってます?」と直接聞かれたこともあった。

 でも最終的に小川さんは私の思いを察してくれた。「大櫃さん、気づかされました。僕はもう一度謙虚になります」みたいなことを言ってくれたと記憶している。それが本人の姿勢にもどんどん表れていった。そのとき私は「この人は一回りも二回りも大きくなる経営者だな」と心から実感した。

 小川さんに後から聞いた話では、雑誌に登場したのはタイミーの取引先である飲食業界への宣伝効果を狙ったということで、私が考えていたようなチャラチャラした理由ではなかったということだった。

 それでも小川さんは「自分が周囲や世間からどのような目で見られているのかを常に意識することの大切さを学べました。僕みたいな若造に、おせっかいでわざわざ忠告してくれる人は少ない。その愛情はうれしかったです」と言ってくれた。

「お金の話はいっさいしない」「おせっかいおばちゃんを演じる」「提案は必ず3つ用意しておく」──。「伝説のバンカー」と呼ばれた男は、メルカリ、マネーフォワード、タイミー等、日本の名だたるスタートアップと出合い、成長を支援してきた。著者はどのように伸びる企業を見極め、また、経営者から何を学んだのか。その驚きの仕事術を余すところなく公開するとともに、日本の未来像についても語る注目の書。

大櫃直人著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)