京都は794年の平安京遷都以降、約1000年にわたって政治・文化ともに日本の中心的な土地でした。京都芸術大学が開講する「京都学」は、京都市・京都新聞・京都芸術大学の共催による市民講座で、京都で育まれた日本の伝統と文化をテーマに、京都の魅力を改めて捉え直すものです。『 エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術 』の著者・中野信子氏が行った京都学講座から、一部内容を抜粋・編集してレポートします。テーマは、今こそ京都式のコミュニケーションを身に付けたい理由。「本音を言うのがいいことだ」「はっきりものが言える人のほうが素晴らしい」という最近の風潮を再考します。
「ちょっとイヤだな」そのときあなたはどう返す?
京都の方から伺った話から、1つ皆さんに質問をしたいと思います。
お土産を持ってきてくれるときに、「どうしてこういうチョイスなのかな」という方、いませんか。
頂いても困ってしまう。でも、気持ちで持ってきてくださるわけですし、「いらない」とは言いにくい。「ありがとうございます」と受け取って、後で捨てちゃうのも悪い……。こうしたことが2回も3回もとなると、本当に困ってしまいます。
そういうとき、どうされますか。①~③の中から考えてみてください。
①「いつもありがとうございます」と、いい顔して我慢する
②「ちょっと毎回これは困ります」とはっきり言う
③「お礼もきちんとできていませんのに、また頂いたらお母さんに叱られます」と言う
アメリカのコーチングの人が考えたビジネススキルの1つで、最近、脚光を浴びているものに、「アサーショントレーニング」があります。「アサーショントレーニング」では、自分が言いたいことをどううまく表現するかということを扱いますが、その中で、自分の意に沿わないことを言われたときの返し方として、3つのパターンがあるといわれています。
1つ目は、自分が折れて受け入れる。受容的なやり方です。先ほどの三択で①に当たるものですね。
2つ目は、キレる姿をあえて見せて威嚇する方法です。自分の考えをはっきり言っちゃうパターンで、これは攻撃的なアグレッシブなやり方で、三択では②に当たります。
3つ目がアサーションに当たるもので、「いつもありがとうございます。でも……」というやり方です。
このシチュエーションについて、いわゆる狭義の京都の方に伺ってみましたところ、
「いつもありがとうございます。でも、お礼もきちんとできていませんのに、また頂いたら◯◯に叱られます」
と、都合よく名前を持ち出しても怒られない関係性の身内を◯◯に当てはめて返すとお話しされていました。
このアサーティブな返し方は、厳密に嘘になってしまうことがあるかもしれませんけれども、関係性を正確性よりも重視して、相手も自分も傷つけない、優しい嘘といえるでしょう。こういうことをコミュニケーションというのだなと、京都の人はこういうことをずっとトレーニングされているのだな、すごいなと感銘を受けたものです。
でも、よく考えてみれば、京都の方はこうしたコミュニケーションを、アサーティブなんて銘打ったりせず、1000年以上前から自然と行ってきたのではないでしょうか。
今こそ「京都人に学ぶ」ことが必要なわけ
新刊の『エレガントな毒の吐き方』という本は、実は最初のタイトルは『京都人に学ぶエレガントな毒の吐き方』というものでした。
私は京都の人ではなく、先祖も5世代くらい前には東京に住んでいたという調べがついているくらいの東京人です。しかし、国際関係論でイギリス人がフランスの研究をするように、違う視点から京都について考察するのも面白いのではないか、ということでまとめさせていただきました。
インターネットでよく、「京都の人がこんなことを言いました」ということが話題になりますよね。その、二重に意味を持たせたような言い回しに日本中がどよめくわけです。
ただ、この本を執筆するために取材させていただいたところ、「そういうふうに思われるのは心外だ」と、「京都出身だというだけで腹黒いと思われるのはつらい」ということを口々におっしゃっていました。それは確かにそうだろうと思います。京都に住んでいるだけで腹黒いといわれては、いい気持ちはしないですよね。
京都の人が、京都出身というだけで腹黒いというのは違うと思いますが、でも、京都のコミュニケーションは非常に洗練されていると感じます。
自分の家は代々江戸なものですから、物事をすごくはっきり言います。家族とのやり取りでも、自分の言いたいことを投げ合って、時には逆なでし合うような展開にもなる。でも、明日にはもう、水に流して忘れましょうね、というやり方です。時には「あの人にあんなことを言われた」などとなり、大変な事態を引き起こしたりもしますし、敵が増える一方になってしまうこともある。
そうしたこともあって、こういうコミュニケーションは、あまりよろしくないのではないか、という思いが自分の中にありました。代々東京に住んでいて、しかも私は自然科学系の研究室に進んだため、つねに「はっきりものを言う文化」の中にいました。コミュニケーションの力が磨かれず、貧困であることが長くコンプレックスになっていました。
その後、アートに興味を持って勉強をし出したときに、芸術領域に関わりの深い京都の人たちの巧みなコミュニケーションに触れたんですね。どういうふうに巧みかというと、「敵をつくらない」ということを非常に大事にされていることに気づくわけです。そうなると、もはやイケズを言われても、「ああ、これは歴史に磨かれてきた言葉のアートなんだ」と、どこかうれしささえ覚えてしまうほどです。
そして、私がこれまで取ってきたコミュニケーションとどこがどう違うのかを、実際にインタビューしてまとめたのがこの本なのです。
関係性は一瞬で壊れ、しかも元には戻らない
さらに、この本を書こうと思ったきっかけに、京都にルーツのある、ある方から聞いた話がありました。その方は、「京都のコミュニケーションは、誰とも仲良くし過ぎず、誰とも敵にならない。そういう知恵のたまものだ」とおっしゃるんですね。「その背景には、長らく政治と文化の中心であり、多くの人をひき付けてきた京都という場所の性質がある」ともおっしゃっていました。
ここで、社会心理学や行動学の観点に重要な示唆を与えた研究の概略をご紹介します。
ごく普通の学校のクラスの生徒を、ランダムに2つに分けます。例えば赤いシャツと青いシャツを同じ枚数ずつ用意して、誰がどっちの色かを気にせずにランダムに配って、だいたい半分半分に分けます。
ある日は、赤いシャツの生徒だけを、先生が何でもないことですごく褒めます。その内容は本当にささいなことで、「赤いシャツグループの◯◯さんが落ちていたゴミを拾いました。素晴らしい」などと褒めます。
次の日は打って変わって、「昨日先生が言ったことは少し間違っていたかもしれない。赤いシャツのグループよりも、青いシャツのグループのほうが素晴らしいね」と言って青いシャツのグループを褒めます。
このように、どんどん差を付けるように片方だけを褒め、片方をけなしていくと、1週間もたたないうちに、この2つのグループは、互いに顔も見たくないというぐらいに、すごく仲が悪くなります。
同様の実験は様々な形で行われていて、経済力にも学力にも年齢にも差がないグループ同士でも、1個を過剰に褒めてもう1個を過剰にけなすことを繰り返すと、本当にあっという間に仲が悪くなる。この「仲が悪くなる」というのは、どうも人間の性質のようなんですね。そばにいたからといって仲が良くなるわけではない。グループ内の仲が良くなるのと、グループ間の仲が悪くなることが、同時に、裏表に進行します。
こうして仲が悪くなってしまった2つのグループをどうすれば仲良くさせることができるのかという実験も行われているのですが、それは非常に大変だといいます。一緒に食事をするなどは一般的によく行われますが、実験では全く効果が出ませんでした。一緒に食事をさせた子どもたちが、その最中に暴力的なけんかを始めてしまった実験もあったようです。
大人たちも同様で、実験が終わってもその枠を超えて、気持ちのわだかまりが残ってしまうこともあります。
そのくらい、人間は誰かに対して悪感情を持ちやすく、本当にささいなことでも後を引くものなのだということが、この実験の大事なところかと思います。
研究者はこういうことを知っている割にはっきりとものを言うというのも興味深いところですよね。研究結果を実体験に還元して生かすというのはなかなか難しいものです。そうした意味でも、現実のほうが実験よりも先に進んでいるというのをよく感じます。
「関係性の維持」をもっと大切にしたほうがいい
人間は本当にすぐに仲が悪くなるし、一度仲が悪くなった関係を元に戻すのは難しい。ならば、そもそも相手に悪感情を与えないようにコミュニケーションを取るのが、もっとも賢く、コストが少なく済む方法だと思います。
このときに考えなければいけないのは、このコストが、人口の流動性によって変わってくるということです。ここに京都と江戸の違いがあるわけですね。江戸というのは、ご存じの通り400年くらいの歴史しかありません。太田道灌くらいまで遡ればもう少しありますけれども、政治的な中心地であるのは400年程度。急激に造成されて人口が増えました。
この400年という時間が何と比較されるかというと、アメリカの歴史です。歴史の長さでいえば、江戸というのはアメリカのようなものなんですね。
そういうところに全国各地から人が集まってできたものですから、コミュニケーションとしては、「隣の人は何する人か分からない」「共通のコミュニケーション基盤がない」となるため、空気の読みようがない。一を言って十が分かるということにもなりません。
そうなると、何でもはっきり言う文化になっていくし、しかも隣の人がいつ引っ越すかも分からないので、隣の人と仲が悪くなっても「いつか違う人が来るだろう」といって禍根も残りにくいわけです。
これは、京都とはまったく条件が違いますよね。京都では、「お隣さんは300年間、隣です」ということもあるわけですね。となると、1回仲が悪くなるととても大変なことになります。つまり、コミュニケーション上の失敗をしたときのコストというのは、江戸とは比較にならないといいますか、相手を敵に回してしまうことのしんどさも比べものにならないわけです。
このように、地理条件や流動性とコミュニケーションには、密接な関係性があるのです。
■開催日時:2023年6月10日(土)16:45~17:25
■参加:事前登録制(無料)
■会場:渋谷ヒカリエ ヒカリエホール
■ WOMAN EXPO 2023
「分からない人には分からない」でいい。その曖昧さを使いこなす
こういうところで最も重要になってくるのは、これが本書のキーワードでもある「戦略的曖昧性」です。
現代文明でははっきりさせることのほうが価値が高いと思われているのですが、これはアメリカ式の考え方です。一方、「これは灰色にしておいたほうがいい」と決めたならば、白黒はっきりさせない、イエスともノーとも言わない状態でそこに置いておくということを、意識的に、あえてわざとやるというのが、戦略的曖昧性です。イエス寄りの、ノーとも言えないイエスです、などの、二重否定・三重否定を使ってイエスとノーの間の55%くらいのところに置いておく。しかもその55%も、相手がそう受け取っただけというふうにいつでも言い逃れできるようにしておく状態をあえてつくるというのが、コミュニケーションの知恵である、と言えるでしょう。
こうしたコミュニケーションの知恵は、今はあまり言われてはいませんが、あえて、これを言う必要があると思っています。
特に「本音を言うのはいいことだ」というのがSNS時代の価値観とされていますけれども、そうではない灰色の答えというのがいいものだということを、今、主張する必要があるのではないかと思います。
答えをうっすらとにじませるという技術は一朝一夕にはできないものですね。子ども時代から鍛え上げてこないと、なかなか言えないものです。
人間の脳の中には、相手が今どういう意志を持っていて、社会通念上はどうだ、というのを扱う前頭前野というところがあります。そしてそれと別に言語野というところが存在していて、それと左側の側頭葉に上側頭という溝があるのですけれども、その部分で言語と空気を読むという処理をしています。この部分が子ども時代にまず出来始めるのですが、最終的に完成されるのはいつかというと、30歳くらいにならないと出来ないんですね。
30歳くらいまでの間に、どういうコミュニケーションを学んでくるか、触れてくるかによって、その人がどういうふうに表現するか、というスキルが決まってきます。
何としてもコミュニケーションをうまく取らないとリスクが高くなってしまう京都というのは、この脳の部分が鍛えられる環境にあるといえるのではないかと思います。
人と人とは、考えていることがまったく一致するということはありません。遺伝子がほぼ同じはずの双子ですら意志が一致しないことはいくらでもあります。
そのときに、ちょっとしたイヤな思いをしてしまうことが、必ずあります。相手が「アホやなあ」と言ったものを自分は好きだと思っていたり、自分が好きなものを選んだときに相手はイヤな顔をしていたかもしれないと感じたり。そうした心理的負荷がかかったときにどうしたらいいか。
関係を壊してしまえば修復するのは大変なコストがかかってしまう。関係性は壊せないというときに、「自分さえ我慢すれば」と思ってしまうかもしれません。
でも、「自分さえ我慢すれば」も、どんな形で感情が爆発してしまうか分からないという点では、とてもリスクの高い考え方です。こうした心的負荷がたまってきたときに、身内や一番近くにいる人に当たってしまったり。それもしない人は健康上のリスクが高くなる可能性もある。
そういうときにこそ、京都の方が磨いてきた戦略的曖昧さ、そのコミュニケーションのとり方を選ぶのがいいのではないか、もっと広めていくのがいいのではないかと思います。それを培ってこなかった私としては、羨ましさ込みで、そう思っています。
構成・文/宮本沙織(日経BP・第1編集部)
■開催日時:2023年6月10日(土)16:45~17:25
■参加:事前登録制(無料)
■会場:渋谷ヒカリエ ヒカリエホール
■詳細・お申し込みはこちら ⇒ WOMAN EXPO 2023

