「相手から急に直接的な嫌味を言われた」ということまではいかなくても、「会話の中で何か見下されているようなニュアンスを感じた」経験は、ありませんか? 『 ロンドン紳士と脳科学に学ぶ 品格のあるマウントのとり方 』では、あからさまな反撃で自分の品位を落とすのではなく、静かで洗練された振る舞いによって自分を軽んじさせない方法について脳科学者の中野信子さんが解説しています。連載の1回目は、「マウントをとられた、とりたいと感じる脳の性質」について抜粋して紹介します。
「人類特有の病」としてのマウント
「今の言葉、私への当てつけかしら?」
「あの人がわざわざ学歴を口にしたのは、遠回しに自分を見下すためではないか」
現代日本において、「マウンティング」「マウント」という言葉はもはや単なる流行語を超え、私たちの思考を支配するフレームワークのひとつとなりました。しかし、その概念が浸透した副作用として、私たちの感度は異常なまでに研(と)ぎ澄(す)まされ、今や疑心暗鬼とでもいうような社会病理と化しています。
かつては単なる「世間話」や「不器用な発言」として流されていたものまでが、今ではすべて「隠された攻撃」として解析され、敵意の対象となってしまうのです。
その過敏さは、ときとして滑稽(こっけい)なほどの悲劇を生みます。
たとえば、とある著者が漏らした「編集者に怒られちゃって」という単なる状況報告。本人は純粋な泣き言のつもりでも、受け手側は「本を出せる立場にある自分」という特権を誇示されたと解釈し、激しい嫌悪感を抱く。
あるいは、高学歴者が口にする「一応、東大ですが」といった謙遜(けんそん)。これはもはや、火に油を注ぐ儀式でしかありません。謙虚であればあるほど、「マウントだと思われないように予防線を張っている自分」というメタ認知(自分の思考を客観視する能力)の余裕すらもが、相手の劣等感を逆(さか)なでするナイフに変わります。
さらに残酷なのは、純粋な「善意」が「暴力」に変換される瞬間です。
重い荷物を持とうとする年上の女性に対して、良かれと思って「私、若いんで大丈夫ですよ!」と笑顔で申し出た瞬間に、場が氷点下まで凍りつく。申し出た側は「相手を助けたい」という善意でいっぱいだったはずですが、受け取った側は、自分が失いつつある「若さ」という資源を目の前で残酷に突きつけられ、それを「若さマウント」として半ば自動的に処理させられてしまい、ひきつった表情を晒(さら)すことになってしまいかねません。
マウントアラートが鳴り始めてしまう脳
なぜ、私たちはしばしば、これほどまでに繊細に、他人の言動を「自分を貶(おとし)める攻撃」として解釈してしまうのでしょうか。
これは、単に「性格が細かい」といった個人の資質によるものとして片付けるにはあまりに根深い問題です。人類が過酷な自然界を生き延びる過程で、集団内での自分の順位(ランク)を常に把握し、生存確率を高めようとして身につけてしまった、いわば「生存のためのバグ」とも呼ぶべき業(ごう)なのです。
人類の原初の社会において、集団内での地位の低下は、食料分配の優先順位の低下、ひいては死を意味しました。そのため、私たちの脳には、他者の言動から自分への評価を読み解くための高度なシミュレーション回路が組み込まれました。
現代において、古(いにしえ)の社会におけるものと同じような死のリスクは減ったものの、脳は依然として「地位低下の脅威」に対して、猛獣に襲われたときと同じレベルのアラートを鳴らし続けているのです。
私たちは今、文明という仮面で自らを覆い隠しながら、脳内では常に「誰が上で、誰が下か」を血眼(ちまなこ)になって監視し合う、古代の生存競争の残火に焼かれている。この過剰なセンサーこそが、現代人を疲弊させるステルス・マウント地獄の正体なのです。
マウントをやめられない人が持つ3つの性質
客観的に見て、脳の暴走を止められず、コントロール不能状態で他人にマウンティングする姿は、よほど気をつけて工夫するのでなければ、普通はかなり見苦しいものです。
脳の報酬系は、一度その「全能感」や「快楽」を学習してしまうと、耐性がつき、より強い刺激を求めてエスカレートする性質を持っています。まさに「脳内麻薬の中毒症状」です。
マウンティングをやめられない人々の脳内で起きていることを、少し意地悪に、かつ科学的に解剖してみましょう。
1 ドーパミンの「もっと、もっと」という渇望
マウントに成功し、相手が屈辱に顔を歪(ゆが)めたり、自分が「有能である」と再確認したりした瞬間、脳の側坐核(そくざかく)からドーパミンが放出されます。
これは「生存に有利な行動をした」という誤った報酬信号です。厄介(やっかい)なのは、ドーパミンによる刺激には耐性があることです。同じ程度のマウントでは次第に満足できなくなり、より高い頻度、より残酷な言葉、より大きな観衆(SNSなど)を求めるようになります。
2 「勝者の全能感」というテストステロンの罠(わな)
相手を下に見ることで、一時的に男性ホルモンであるテストステロンの分泌が高まることが示唆(しさ)されています。
テストステロンは自信を高めますが、過剰になると眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)などの共感性をつかさどる脳領域の働きを抑制します。つまり、「マウント中毒者」は、自分がどれだけ嫌われているかに気づけない「共感能力ゼロの粗大ゴミ」へと退行していくのです。
3 前頭葉(ぜんとうよう)によるブレーキの故障
通常、私たちは「こんなことを言ったら品位を下げる」という理性のブレーキを持っています。これは前頭前野がつかさどる機能です。しかし、ドーパミンの強すぎる刺激に長く晒され続けると、このブレーキが焼き切れます。
「ここで言わなきゃいいのに」という場面で、わざわざ相手の神経を逆なでする一言を言ってしまうのは、もはや前頭葉が報酬系に乗っ取られた依存症患者の振る舞いです。
中野信子(著)、日経BP、1540円(税込み)


