スキルは教えられるが、センスはどうすれば身につくのか。ビートたけしはその答えを「客の前に出ること」に求め、モーツァルトは流行の音楽と観客が集まるウィーンにそれを見いだした。2人に共通するのは、需要の最前線に身を置き、人々の欲望や期待を感じ取り続けたことだ。経営学者の楠木建氏と独立研究者の山口周氏が語り合う。書籍『知的生産のセンス』(楠木建、山口周著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成。

楠木建氏(右)と山口周氏
楠木建氏(右)と山口周氏
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ビートたけしが語る「バカ」と「間抜け」の違い

楠木建氏(以下、楠木) ビートたけしさんが『間抜けの構造』(新潮新書)という本で語っていることが、スキルとセンス、あるいは知的生産の供給と需要の関係をうまく説明していると思ったので紹介させてください。

 「バカ」と「間抜け」は似て非なるものだというのがビートたけしさんの論点です。「バカ」にはつける薬がない。どんな状況であろうとバカはバカ。ところが「間抜け」は違う。一定の認知能力はあるかもしれないが、「間」が悪い。間を外してしまうのが間抜け。つまり、バカは状況や文脈から独立した「オールウェイズ・バカ」であるのに対し、間抜けは文脈依存的であるというのが彼の主張です。

 この二つの区別がなぜ重要かというと、「バカ」とはスキルの欠如、「間抜け」とはセンスの欠如だと理解できるからです。

 どうすれば間を外さずにすむのか、ビートたけしさんは「客の前に出ていかないヤツは絶対にダメだ」と言います。いくら1人で練習していてもダメ。あらゆる芸事は人前でやらなければ身につかない。たった3人でもいい。客の前に出て芸をやることが大切だというのです。全身丸ごと需要にさらされ、そこで何らかの直接経験を得ること。これがセンスの獲得において極めて重要だということです。

楠木 建
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楠木 建(くすのき・けん)
経営学者、一橋大学PDS寄付講座・シグマクシス寄付講座特任教授
専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院客員教授、一橋ビジネススクール教授を経て2023年から現職。

山口周(以下、山口) なるほど、膝を打つ話ですね。

楠木 芸の世界に限らず、生成AIの世界にどっぷり浸かると、人と向き合って生身のコミュニケーションをする機会が減ってしまう。すると、決してバカではないにせよ、「間抜け」になってしまう。

 センスは状況や文脈に強く依存しています。営業の仕事でも、よく売れる人と売れない人の差で決定的なのは、目の前のお客さんが今、何を欲しがっているのかを察知するセンスの有無です。やはり「間抜け」な人は売れないんですね。人と会って話す、人を見るということは、センスを磨くための基本中の基本です。自分の周囲にいるセンスに優れた人をよく見る。特定の状況でその人がなぜそのような行動をとったのか、その理由を考えながら見て、見破る。この積み重ねでセンスが習得できるのだと思います。

 ビートたけしさんは下積み生活が長い人で、往時の悪戦苦闘の成り行きを振り返った自伝的青春記に『 浅草キッド 』(講談社文庫)があります。大学を中退し、浅草六区のストリップ劇場「フランス座」に入団。喜劇役者を目指し、ストリップ劇場の幕間のコントで修業します。この時の師匠が深見千三郎。芸はもちろん、スタイルやセンス、生き方それ自体が完成された浅草芸人でした。

 ビートたけしさんがフランス座を修業場所として選んだのも深見千三郎がいたからです。「たたみ込んでいくそのスピードとリズム感。センスの良さと時代感覚の鋭さ。使い古したような昔風の台詞(せりふ)でも決して色褪(あ)せて見せないお洒落さ、粋さ。舞台の上の師匠は、だから相手役を演じている若い弟子たちよりも何倍も若くカッコよく見えた」──著者のその後の長い芸人人生ですべてにわたって、深見から深い影響を受けたセンスが基盤になっていることがうかがえます。

山口 いみじくも「センス」という言葉は、外部の情報を感じ取る「センシング(Sensing)」能力に関わっていますからね。センスとは自分自身の内部で完結している能力ではなく、外側にあるものを感じ取る力であり、だからこそ現場に出て環境にさらされることで鍛えられるものだということですね。

楠木 生成AIを相手にした壁打ちも、話が早くて気遣い無用なので便利ですが、AIに依存しすぎると「客の前に出る回数」が減ってしまいます。

モーツァルトがウィーンにこだわった背景

山口 お話を伺っていてモーツァルトのことを思い出しました。モーツァルトは、アインシュタインと並んで「天才の代名詞」のように言われますね。5歳で作曲し、11歳でオペラを書いたという一種の伝説によってそういうイメージが付いているわけですが、実際のところは先ほどのビートたけしさんの言う「直接経験の蓄積」が大きかったのだと思います。

 モーツァルトは非常に筆まめな人でたくさんの手紙が残っているんです。で、その手紙を読んで非常に面白いと思ったのは、何か流行している音楽があるとモーツァルトは必ずそれを聴きに行くんです。そして観客の反応も見ながら、「ここは良いな」というところを覚えておいて、家に帰ってから楽譜に書き写すということをやっています。要するにパクっているわけです。これはピカソなんかも同じですけど、天才はオリジナルより上手にパクるので、天才と言われるんですね。

 これは確信犯だったみたいで、モーツァルト自身も「流行の音楽が聴ける場所」にいることの重要性を分かっていたようです。というのも、モーツァルトの父親はザルツブルクにいて、モーツァルト自身もザルツブルクの大司教が雇い主ですから「おまえ、ザルツブルクに戻ってこい」と手紙で言ってくるのですが、モーツァルトは「自分の音楽的才能は流行の音楽をたくさん聴けるウィーンにいてこそ花ひらく」と手紙に書いて父に反対しているんです。

山口 周
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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。ライプニッツ代表。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン コンサルティング グループなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。

楠木 単に才能のある音楽家を見たり聴いたりできるだけでなく、需要の最前線に触れられるからですね。

山口 その通りです。今、何が耳の肥えたウィーンの観客からウケているのかを皮膚感覚でつかめる場所、流行の最先端に触れられる環境が必要だったのです。当時のザルツブルクのような田舎で、1世代前の曲ばかり演奏していたら、自分の音楽的才能が枯渇してしまうということを、彼は直観的に理解していたのでしょう。

 音楽家のセンスをどうやって花ひらかせ、シャープな状態に保ち続けられるのか。モーツァルトはこのゲームのルールを本当によく分かっていたのだと思います。

楠木 スキルには「こうすればできるようになる」という教科書があり、定型的な開発方法が用意されています。だからこそ、多くの人がスキルの習得に向かう。一方のセンスは先天的なものだと思われがちですが、決してそんなことはない。仕事経験の中で自分で磨いていくものです。ただし、センスの磨き方に定型的な方法はありません。

 モーツァルトにしてもビートルズにしても、最終的なボトルネックである「需要」をつかむために、自ら実践を通じてセンスを磨いていったわけです。そこでは五感を使った直接経験が不可欠です。本来、モーツァルトやビートルズのように貪欲に需要に対してオープンでなければならないのに、そこが閉じてしまう。逆に、自分の中に持っておくべき判断基準を外に求めてしまう。生成AIどっぷりだと、知的生産における「開くべきところ」と「閉じるべきところ」が反転してしまう恐れがあると思います。

写真/斎藤弥里

経営学者の楠木建氏と独立研究者の山口周氏による白熱の対談録。2人の知性が示す「仕事の原理原則」。知的生産のプロセスである「入力」「保存」「変換」「出力」の各段階における、両氏の思考と実践をひもとく。

楠木建、山口周著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)