「ものの値段と売り先が“密室”で決められている」。公共事業の不当な価格での受発注がしばしばニュースになる陰には、こうした「ものの売り方」があります。透明で、公平性のある売り方とは? 最新の経済学から考えます。
米国やヨーロッパなど、ビジネスへの経済学の実装が各国で進んでいます。では、ビジネスに経済学を実装するとは、どういうことなのでしょうか。また、経済学を実装することで大きな利を得られるのは、どんな分野なのでしょうか。
『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』 の発売を記念して、2022年6月2日、三省堂書店有楽町店とエコノミクスデザインにより、オンラインで共同開催された「同時競り上げ式オークション体験イベント」。同書の著者で、エコノミクスデザイン代表取締役の今井誠氏と、大阪大学大学院准教授の安田洋祐氏が、オークションのデモンストレーションをしながら、経済学のビジネス実装のリアルを参加者と体験しました。イベントでのデモンストレーションの様子と、今、注目されているビジネスと経済学の関係について解説します。
「値段」を決めるのは売り手だけの役割ではない
安田洋祐氏(以下、安田) 2020年のノーベル経済学賞は、米スタンフォード大学のポール・ミルグロム教授と、ロバート・ウィルソン名誉教授の2人に贈られました。2人は、「オークション(競売)」の理論的発展や実用化への貢献が評価されたのです。オークションは、既に、経済を動かす様々なビジネスの局面で取り入れられています。
今回は、同時競り上げ式オークションのデモンストレーションを通して、なぜ、「オークション」という「ものの売り方」が世界で注目されているのか、またオークションにはどんな特徴があって、どんなメリットがあるのかを見ていきます。
今井誠氏(以下、今井) 今回の同時競り上げ式オークションは、次のようなルールで行います。
オークションへの参加者は5人で、それぞれには事前に予算の上限を知らせています。参加者は、他の参加者の予算額を知ることはできません。このような条件で、自分の予算内で、欲しいアイテムに入札して、落札することができます。
皆さんに入札してもらうアイテムは、「経済学者から60分、個別授業を受ける権利」です。エコノミクスデザインの創業メンバーである坂井豊貴さん(S)、星野崇宏さん(H)、安田洋祐さん(Y)の誰かに入札し、もし落札することができればその経済学者から個別授業を受けることができる、というわけです。
その他のルールは、次の通りです。
2.1回の入札につき、1人1入札のみが可能。
3.それぞれのアイテムにつき、一番高く入札した人はそのまま残す。次のラウンドはそれ以外の人で入札し、再びアイテムごとに一番高く入札した人を残す形で、入札を繰り返す。新規の入札がなくなるまで、入札を続行する。
安田 3つのアイテムのオークションを同時に行うこと、そして落札できるのは、1人1アイテムまで、というのがポイントですね。
それでは、オークションを開始しましょう。では、参加者の皆さん、入札価格を出してください。
「値段」はどう決まっていくのか
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | Eさん |
---|---|---|---|---|
Y 2万5000円 | H 2万1000円 | Y 1万6000円 | Y 1万8000円 | H 1万5000円 |
安田 おお、意外に最初から高いですね。暫定的な勝者は、Aさん(Y2万5000円)とBさん(H2万1000円)。Sには入札がありませんでした。
AさんとBさんはそのままで、次のラウンドの入札はCさん、Dさん、Eさんの3人で行います。今提示されている金額よりも1000円以上高い金額を書いてください。
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | Eさん |
---|---|---|---|---|
Y 2万5000円 | H 2万1000円 | Y 1万9000円 | Y 2万5000円 | H 2万8000円 |
安田 先ほどはYに3人入札していましたが、ここでCさんはSに、DさんはHに入札先を変えましたね。EさんはHへの入札のまま、金額を上げました。Aさん(Y2万5000円)、Eさん(H2万8000円)、Cさん(S1万9000円)が暫定的な勝者です。第3ラウンドはこの3人を除いた、BさんとDさんの2人で行います。
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | Eさん |
---|---|---|---|---|
Y 2万5000円 | H 3万円 | S 1万9000円 | H 2万4000円 | H 2万8000円 |
安田 BさんがHへの入札額を上げて、DさんはSへの入札に変更しました。暫定的な勝者は、Aさん(Y2万5000円)、Bさん(H3万円)、Dさん(S2万4000円)になります。
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | Eさん |
---|---|---|---|---|
Y 2万5000円 | H 3万円 | × | S 2万4000円 | Y 3万2000円 |
安田 おっと、ここでCさんは、もうこれ以上、入札を続けられない、ということで脱落となりました。EさんはYへの入札に変更しましたね。暫定的な勝者は、Eさん(Y3万2000円)、Bさん(H3万円)、Dさん(S2万4000円)となります。
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | Eさん |
---|---|---|---|---|
S 3万円 | H 3万円 | × | S 2万4000円 | Y 3万2000円 |
安田 AさんがSへの入札に変更しました。暫定的な勝者は、Eさん(Y3万2000円)、Bさん(H3万円)、Aさん(S3万円)。
Aさん | Bさん | Cさん | Dさん | Eさん |
---|---|---|---|---|
S 3万円 | H 3万円 | × | × | Y 3万2000円 |
安田 ついにここでDさんが脱落しました。結果的に新規の入札は起こらず、どのアイテムも入札額が上がりませんでした。これで、オークションは終了です。余興的なイベントですが、自分の講義が一番高値で売れたのがちょっぴりうれしいですね(笑)。
今、皆さんに参加していただいたのは、「同時競り上げ式オークション」と呼ばれる方式です。ただし、皆さんが「オークション」と聞いてイメージするものとは、だいぶ違ったのではないでしょうか。なぜこの方式が注目されているのかを、その特徴から考えていきたいと思います。
ウェビナー「経済学はビジネスに役立つか?」
ニュージーランドの電波オークションが失敗したわけ
安田 まず、このオークションの第1の特徴は、「他の人たちの入札行動が見える」ということです。オークションは、封印型と公開型の2タイプに大きく分かれます。封印型は誰がいくらで入札したのかを参加者同士で知ることができない仕組みですが、今回は公開型で、他の人の入札状況を見ることができました。
オークションの参加者としては、できるだけ安く入札したい心理があると思いますが、この方式ならば、周囲の人がいくらで入札しているのかを見ながら、自分の入札行動をアップデートすることができます。
2020年に「ノーベル経済学賞」を受賞したミルグロムとウィルソンが、この「同時競り上げ式オークション」を実装した一番大きい事例は、電波の周波数帯免許を割り当てるオークションでした。新しい携帯電話の規格がスタートするときなどには、あらかじめ免許を申請していないと事業が展開できません。その免許を獲得するためのオークションです。
各事業者はオークションに参加したいと思っていますが、その免許の将来の価値はよく分からないところがあります。そうした不確定要素があるものに関しては、ライバルたちの動向を見ながら自分の見積もりを変えていけることが、大きな安心材料となるわけです。
第2の特徴は、「同時に競り上げる」ということです。今回のデモンストレーションでは、最初、Yにそこそこ高い入札が行われた後、しばらくYへの入札は停滞していました。一見、Yへの入札は終わったように見えるので、その時点で打ち切ってしまってもいいように思うかもしれません。しかしオークションの終盤になって再びYへの入札があり、結果としてより高い価格で落札されることになりました。このように、他のアイテムを落札できなかった人が、別のアイテムの入札に移ることを許容するのが、この方法のポイントです。
実は、電波オークションでは、同時に競り上げないものもありました。世界で初めて電波のオークションが行われたのはニュージーランドで、1990年のこと。このときはミルグロムやウィルソンは設計に関わっておらず、各免許を1つずつバラバラに、しかも封印型のセカンドプライスオークション(2位価格オークション)で販売しました。セカンドプライスオークションとは、一番高い入札をした人が勝者となって、2番目に高い入札額を支払う、という仕組みです。
結果を端的に言うと、売り上げはかなり低調に終わりました。ある入札では、最高入札額は10万NZ(ニュージーランド)ドルなのに対して、実際の落札額はたった6NZドルでした。当時は1NZドルが80円くらいでしたので、ひょっとしたら800万円くらいで売れる可能性があるものを約500円で売ってしまったことになります。支払い意欲がとても高い参加者がいたのに、十分な競争が起こらなかったことで、タダ同然で売ることになってしまったのですね。他にも同様に、最高入札価格が700万NZドルだったのに、2位価格が5000NZドルという、大きな開きが出たケースもありました。
競争が起こりにくかった理由としては、バラバラに行われている入札の中でどの周波数帯域を落札すればいいのかが分かりにくかったことや、どこで競争が起こっているかが見えない不安から、積極的な入札をしにくく、結果的にどの免許に対しても一生懸命になれない、ということがありました。
さらに、経済的価値がほとんど同じ周波数免許を、異なる価格で落札することになるので、結果が不公平になるという問題も生じました。事業者からすると、ライバル企業と同じような免許を獲得するために、何倍も多く払わなければならないのであれば、不公平感が残るのも当然でしょう。
今井 ライバルがいることで、値段が高く収束し得る可能性が生まれるわけですね。
安田 このニュージーランドの電波オークションについては、入札前に、あるコンサルティング会社が入札前に、政府の収益がトータルで2億5000万NZドルになると予測していました。にもかかわらず、実際には一桁少ない3600万NZドルにとどまってしまったのです。このことからも、いかにこのオークションが低調に終わったかが分かると思います。ざっくり言ってしまうと、ぐだぐだな結果に終わってしまったわけです。
「先人の失敗を繰り返さない」ための経済学
安田 ミルグロムやウィルソンはこの事例から、失敗の理由を分析したわけです。「バラバラに売るのがまずい」「電波のような、参加者同士でもその価値を理解しきれていない財に封印入札は向かない」といった点ですね。そして提案されたドラスティックな方法が、今回イベントで体験してもらった「同時競り上げ式オークション」でした。
この方式にはいくつか変わった特徴があり、誰でもすぐに思いつくものではありません。学者が学知を使って制度設計をしたことで生み出された売り方で、こうした仕組みの設計は「マーケットデザイン」とも呼ばれています。
1994年には米国で、州ごと、地域ごとに免許を販売する電波オークションが、この「同時競り上げ式オークション」の方式で行われ、数十億ドルの収益を上げました。収益面で見ても、オークションの成功事例といえるでしょう。現在はさらにバージョンアップして、複数の免許を組み合わせたパッケージに対する入札も考案され、欧州などでも社会実装されています。「同時競り上げ式オークション」が生まれなければ、こうした電波オークションの実装や進化も恐らく実現しなかったでしょう。その意味で、現実への学知の実装を大きく前進させた、偉大なアイデアだといえます。
オークションの可能性と意外なメリット
今井 さて、今回のイベントは、すべてのアイテムが3万円台で落札されました。でも実は、予算の最大額はEさんで、5万円でした。つまり、Eさんは予算のうち1万8000円を使わずに済んでしまったわけです。
実務家としては、もっと競ってもらう仕組みを考えたいですね。そうすると、もっと収益が増えたはずです。オークションの制度設計は、さらに工夫の余地がありそうですね。
安田 そうですね。また、今井さんがおっしゃったオークションでの収益を最大化したい場合だけでなく、例えば電波事業のように、オークション後の事業運営における事業者間の競争や効率性を重視する場合にも、別の形での工夫の余地があると思います。オークション自体の収益が増えたとしても、落札企業数が減ってオークション後の市場が独占・寡占化してしまうと、経済全体にとっては悪い影響が出てしまう危険性があるからです。学知さえ持っていれば、こうした課題に応じて入札のフォーマットを自由に調整していけるのもポイントです。
今井 私は、オークションの実務に日々触れています。オークション販売に向いているものは、まだまだたくさんあるという印象です。
安田 同感です。例えば、講演の謝礼や書籍の印税など「相場があるようでないもの」や、「なんとなく取り引きされてきたサービスや権利」などは、うまくデザインすればオークションで売れるかもしれませんよね。もちろん、オークションで値段をつけないからこそうまく回っている仕組みも世の中にはたくさんありますが、オークションが合うものを探してみるのも良いと思います。
オークションが実現するのは、取引の透明性と公平性です。先人たちの失敗例や学知を生かして、よりよい販売方法が、日本でも広がっていくといいですね。
文・構成=宮本沙織(第1編集部)