『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』 の発売を記念して、2022年6月2日、三省堂書店有楽町店とエコノミクスデザインにより共同開催された「同時競り上げ式オークション体験イベント」。

 同書の著者で、エコノミクスデザイン代表取締役の今井誠氏と、大阪大学大学院准教授の安田洋祐氏が、オークションデモンストレーションをしながら、経済学のビジネス実装のリアルを参加者と体験しました。後編の今回は、「お金を使わずに参加者の満足度を上げる交換方法」について。米国では臓器提供や公立学校の進学先を決める際に用いられている仕組みを、デモンストレーションで体験します。

実は、経済学は広範な領域で役立つ
実は、経済学は広範な領域で役立つ

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 「せーの」で指さして、一番欲しいもの同士を交換する――こんなシンプルな「交換」が、実は最大の幸福を生み出し得るといいます。全体のハッピー度が上がり、誰も損をせず、嘘をついても得をしない。最新の経済学が教える「理想的な取引法」とはどんなものか。経済学をビジネスに活用するとはどういうことなのか。イベントでのデモンストレーションの様子をリポートします。
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「お金」は経済活動の必須アイテムではない

安田洋祐氏(以下、安田) 今回のイベントでの 1つ目の実験 は、透明性と公平性を実現するためのオークションという販売方法の実験でした。2つ目は、お金は使わずに、よりシンプルに物々交換をするという実験をします。

 先ほどオークションに参加してもらった5人と今井さん、つまり6人の方にそれぞれ1冊ずつ、「お薦めの本」を持参してもらいました。それらの本の魅力を簡単にプレゼンしてもらった後で、持ち寄った本をそれぞれ欲しいものと交換します。(※注 本記事では「おすすめの本」のプレゼンは割愛します)

 さて、どうすれば、望ましい物々交換を実現できるか。ここでは「トップ・トレーディング・サイクル(TTC)・メカニズム」を使います。字面を見るといかにも難しそうですが、やろうとしていることは至極簡単です。

 参加者それぞれが自分の「お薦めの本」を持って、お互いに「せーの」で一番欲しい本を指さしてもらうだけ。もし、他の人の「お薦めの本」がピンとこなければ、自分の本を指さしてもかまいません。では、やってみましょう。「せーの」!

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 1回目は、AさんがBさんの本を指さし、BさんがAさんを指さすという「輪っか」(サイクル)ができました。それ以外の方はAさん・Bさんの本を指さしています。AさんとBさんは、取引成立ですので、交換してください。

 ここで注意点です。自分自身の持ってきた本を指さした場合も「輪っか」とカウントします。すると、TTCですべての参加者が指をさし合ったときに、必ず1つは「輪っか」ができることになります。そして、実現した「輪っか」の中で交換をすると、お互いに第1希望のアイテムを受け取れる、というわけです。

 第1希望がかなわなかった人も、参加前よりも状況が悪くなっていることがない、というのもこの仕組みの特徴です。今回、交換できなかった人は、第1希望のものをゲットできなかった。それは残念だけれども、よくよく考えれば、自分の「おすすめの本」はまだ持っていて、このあとで交換できるチャンスは残っているわけですから、それで「不幸になった」ということはありませんね。

 では、この状態で、Aさん、Bさん以外の4人で、2度目の交換を行いましょう。「せーの」!

全員がこれ以上ハッピーにならない状態

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安田 今度は、CさんがDさんの本を指さし、DさんがEさんの本を指さし、EさんがCさんを指さすという、3人の「輪っか」ができましたね。今井さんはEさんを指さしていますが、残念ながら「輪っか」ができませんでした。では、「輪っか」になった3人で交換してください。

安田 これで残りは1人ですから、交換は終了となります。この交換も、一見すると奇妙な方法に思われるかもしれません。しかしこちらも、行き当たりばったりで交換する場合と比べて、望ましい性質があることが知られています。

 経済学でいう「効率性」、より正確には「パレート効率性」――誰の満足度を下げることなく参加者の一部の満足度を高めることができる状態――が成り立つのです。

 参加者の皆さんがこの先どのような形で交換を行っても、これ以上ウィンウィンの取引が成立することはない、つまり全員がこれ以上ハッピーになれる交換が絶対に起こりません。

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 加えて、もう1つ見過ごしてはいけない特徴として、どの参加者も嘘をついて得することが絶対にできない、という点も挙げられます。もし参加者の誰かが嘘をついて、その時点で一番欲しいものとは違う本を指さしたとしても、そのメリットはまったくありません。

つまり、「正直に指さすことで、ウソをついたときに選んだアイテムと同じかそれ以上のものを獲得できることが保証されている。一番欲しいものを指さすことが、一番得な戦略である」。この特徴は、実社会での交換を設計する際にはとても大切で、経済学では、戦略的に嘘をつく余地がないことから、「耐戦略性」といわれています。

本日20時開催! 成田悠輔×安田洋祐が激論
ウェビナー「経済学はビジネスに役立つか?」
本当に役立つ経済学を、ビジネスに取り入れるにはどうすればいいか。経済学の活用を通じて企業はどんなメリットを得られるのか。気鋭の経済学者による議論をお届けします。

学校選択や臓器移植にも使われている

安田 このようにTTCの仕組みを分析していくと、「選ぼうと思えば自分を選べる」ということが意外に重要なポイントであることも見えてきますね。何かの交換会に参加するとして、ちょっと奮発していいアイテムを持ってきたのに、他の人のアイテムがいまいちだった…なんて経験がある人もいるのではないでしょうか。ウィンウィンの交換を期待していたのに損をしてしまうわけですね。

 そんな状況でも、TTCを使えば自分で自分のアイテムを選ぶことができます。結果的に、交換しないで自分が持ってきたアイテムを持って退席できる。プレゼント交換に参加して、「ひょっとしたら損するかもしれない」「要らないものを受け取って帰ってくるかもしれない」というリスクがまったくないわけです。

 もちろん、世の中のプレゼント交換は、効率的に物々交換をしようという目的では行われていないかもしれません。ただ、先ほどお伝えした3つの性質――1.必ず効率的になる、2.誰一人として損をすることはない、3.正直に振る舞えばいい――というのは、実はある文脈の交換においては、非常に重要です。

 例えば、実際にTTCが使われているのは、米国シアトルなどの一部の公立学校の学校選択制度です。「地元に住んでいる」などの優先順位の高い子どもは、あたかもその学校を所有しているような状態を想定し、もし他の地域の学校に通いたければ、その地域に住んでいる子どもと入学権を交換すればよい。そして、TTCで「輪っか」ができれば実際に交換できるというわけです。

 今回のイベントでは、参加者が実際に集まって指をさしていく、という直感的な方法で物々交換を行いました。対象者が一堂に会することが難しい学校選択問題などでは、あらかじめ「どの選択肢が望ましいのか」という順位付きのリストを提出してもらい、第三者やコンピュータ・アルゴリズムが指さしを代行する、といった工夫を施してTTCを行っています。

 学校選択よりもドラスティックな例でいえば、臓器交換でも使われています。腎臓などの臓器は、生体間の移植が可能です。そして、深刻な腎臓の病を患っている人は、臓器移植をしないと助からなかったり、臓器移植をすることで劇的に健康状態が改善したりすることが知られています。

 腎臓の臓器移植の方法は、亡くなった方から移植するか、生きている人から2つある腎臓のうちの1つを移植するということですが、なかでもよくあるのは、腎患者の身内――配偶者であったり、親子であったりという方が、臓器提供を申し出るケースです。

 ただ、皆さんもご存じの通り、どの腎臓でも移植できるわけではありません。血液型をはじめとする適合条件があり、「ドナー希望者はいるものの、腎臓移植ができない」ということが起こり得ます。患者とドナーを希望する人はいるのに、臓器が適合せず移植ができない。そんな状況で、このTTCは役立てられているのです。

 「不幸なペア」をたくさん集めて、できるだけ適合条件に合う形で患者とドナーを交換しようというのがアイデアの肝で、今回イベントで使ったTTCを少し工夫して拡張した仕組みが実装されています。米国東部の一部の病院をきっかけにこの臓器交換プログラムはスタートし、現時点では米国内外で1000件以上、このプログラムを活用した臓器移植が行われています。

今井誠氏(以下、今井) 仕組みとしては「指をさして交換するだけ」というシンプルで単純な発想ですが、社会実装が進んでいるんですね。

安田 個人的には、ビジネスでもかなり活用できるポテンシャルがある方法だと思いますよ。「使っていない別荘を貸し出す」シェアリングエコノミーとか、「マンション内での駐車スペースの交換」「学校の席替えや企業での部署異動」「自然災害時の避難所での救援物資の配分」…。何かしらを交換するという局面であれば、TTCは使える余地が大きい。このイベントをきっかけに、こうした実践について考えていただけるとうれしいですね。

「経済学をビジネスで使う」とは?

今井 最後に、視聴者の方から、ご質問をいただいています。

 「私も経済を勉強したのですが、世の中の人たちが思い描いている経済学と、実際の経済学との違いやギャップはありますか?」

 安田さん、いかがでしょうか?

安田 そうですね、2通りのギャップがあるように感じています。

 経済学に限らず、理論や学問は、現実を大胆に単純化しています。例えば地図は、現実を単純化しているからこそ意味があるもので、等身大の地図は持ち歩けないし、全く役に立ちませんよね。ここで大事なのは、「どの要素をそぎ落とすか」。そぎ落とされて残ったものこそが、理論や学問なのです。

 どんな評判のいい理論を持ってきても、現実への当てはまりがパーフェクトということはあり得ません。特に経済学をはじめとする、人間や社会が対象の人文社会科学系の学問は、ある時点でどれだけ当てはまりがよくても、状況が変わると全然当てはまらなくなるようなことが容易に起こります。特定の時代背景や特定の集団では経済行動を予測できても、少し違う集団では当てはまらない、なんてことが珍しくないのです。

 このように、「そもそもギャップが存在すること」「限界があること」を専門家はもっと伝えないといけないと思います。「現実は理論通りだ」という過剰な期待を持たせてはいけません。現実とのギャップは百も承知しつつ、どこを大胆に切り捨てて、どこを妥協しないか、というアート的な要素が大事で、それを把握している人が優れたエキスパートではないでしょうか。

 メディアでは、「こういう条件の下では、こういうことが導かれます」といった回りくどい解説は嫌われるので、分かりやすい極論や、慎重な分析の結論の部分だけが独り歩きしてしまいがちです。皆さんも、経済学者による極度に単純化された政策提言や現状分析に違和感を持つことがあると思います。そのときには、その原因が、言っている人の筋の悪い仮説や見立てのせいなのか、それとも背後に慎重な議論や前提条件が潜んでいるけれど省略されているだけなのか、といった点に気をつけると、ギャップとうまく付き合えるかもしれません。

 2つ目のギャップとして感じるのは、ビジネスに経済学知を活用する場合、経済学を使ったからといってたちどころに完璧な答えが出ることはほぼないということです。現実には複雑な要素があり、どこか重要な要素を取りこぼしている危険性が常にある。しかし、経済学を一切使わない場合と比べて、少しでも収益や重要業績評価指標(KPI)などを現状より改善し得る、ということが、経済学知がもたらす可能性だと思います。

 視聴者の中には、自分の会社は経済学知を使っていないという人もいるかもしれません。そういう方こそ、「学知を使うと、最適なものや最善なソリューションが提供できる」と思い込んでしまうかもしれませんが、完璧さを追求していると、学問がビジネスに提供できるものはほぼなくなってしまうと思います。ベストな解決策をピンポイントで狙っていくのではなくて、どうすれば今の状態と比べてベターな方向に持っていけるか。「1回のベストではなく、ベターを積み重ねる」という視点で考えると、経済学は広範な領域で役立つし、この本『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』もお役立ていただけると思います。

 それだけではやっぱり物足りない、もっと深掘りして、よりピンポイントな形で経済学を我が社のビジネス戦略に役立てたい、という場合は、ぜひエコノミクスデザインにコンサルティングを依頼していただければ幸いです(笑)。

文・構成=宮本沙織(第1編集部)