経済アナリストとしてアメリカについての情報を発信している安田佐和子さんが紹介する「2024年大統領選挙前に読んでおきたいアメリカの本」、1回目は、『アメリカのデモクラシー』。本書は1830年代初頭、フランス人法律家が執筆したアメリカ論。民主主義への執着や「粗野」といわれるアメリカ人気質は190年たった今も変わらない。

フランス人が見た新興国アメリカ

 そもそもアメリカとはどういう国で、アメリカ人とはどういう気質の人たちなのか。原点に立ち返ってそれを知るには、『 アメリカのデモクラシー 』(トクヴィル著/松本礼二訳/岩波文庫)が最適だと思います。書かれたのは建国から半世紀を経た1830年代初頭。トクヴィルはフランスの貴族出身で、当時20代半ばの法律家です。約1年にわたってアメリカに滞在し、その政治体制や世相、文化、習俗、個々人の考え方まで、ヨーロッパの現状と比較しながら克明に記録した大著です。

『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル著/岩波文庫)
『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル著/岩波文庫)
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 およそ190年前に書かれたものを、なぜ今読む必要があるのか。それは、本書には当時の見聞録にとどまらず、今日のアメリカにも通じる部分が多分にあるからです。トクヴィルの探究心に裏打ちされた見識であるとともに、アメリカという国の特殊性でもあると思います。

 まず特筆すべきは、民主主義に対するあくなき執着です。アメリカには貴族制や王政がありません。ヨーロッパの階級社会から離脱した人々がつくった国です。だから、彼らにとって民主主義は勝ち取ったものではなく、自由や平等とともに最初から当たり前に存在するものでした。トクヴィルは「利点」と評していますが、良かれ悪しかれこれがアメリカの端的な特徴でしょう。

 当時のアメリカを今日に当てはめるなら、新興国のリープフロッグ(Leap Frog:遅れた状況から一気に最新の技術を導入すること)に近いと思います。新興国では、例えば携帯電話が爆発的に普及し、銀行を経由しない送金システムが浸透しました。もはや生活の中で欠かせない存在でしょう。同様に、ヨーロッパが長年の戦いの末に獲得した民主主義を、アメリカは最初から手に入れていた。だからこそ執着するし、平等と自由を熱望することに正直であるし、それによってしばしば衝突も起こるということが、本書を読んでいるとよく分かります。

民主主義が生む「多数の暴政」

 本書にしばしば登場するのが「多数の暴政」という言葉です。多数派に権力の源泉があるというのが民主主義の原則です。これは、見方を変えれば少数の意思が虐げられやすいということです。ヨーロッパ社会でもいえることですが、少数の意思は時として貴族や国王などの権威によって擁護されます。しかし、民主主義に執着するアメリカでは、誰もが多数に従わざるを得ません。その分、「多数の暴政」が横行しやすいとトクヴィルは説きました。

 「多数の暴政」という言葉が近年よく聞かれるようになったのは、2016年の大統領選挙でトランプが勝利したときでした。白人労働者層の支持を集めたトランプは、黒人やヒスパニックのような少数派を虐げるのではないか、あるいは女性の中絶の権利が脅かされるのではないかと懸念されました。言い換えるなら、当時のアメリカの多数者像は白人で、郊外に住み、どちらかというと保守的な価値観を持ち、同性愛者は不自然と考える人たちでした。実際、トランプ政権はある意味で彼らの意向に沿った政策運営を行ったように思います。

 ところが、次のバイデン政権になると、多数派の立場は一転しました。先々代のオバマ政権の時代に最高裁も同性婚を認めるなど種がまかれていましたが、DEI(Diversity:多様性、Equity:公平性、Inclusion:包括性)が重視され、政権高官にはいわゆるLGBTQI+(性的少数者)の方が歴代最多の200人以上も登用されました。

 つまり、もともと少数派だった黒人やLGBTQI+の人たちの地位や権利を、バイデン政権は向上させたわけです。裏を返せば、それは従来の多数派にある程度の我慢を強いることでもあります。いわば「少数の専制」です。このように逆転の時代が来るとは、さすがのトクヴィル先生も見抜けなかったことでしょう。

 もっとも、こうしたバイデン政権の方針には、いわゆるポリティカル・コレクトネス(人種や信条などによる偏見や差別を生まないような、中立的な政策や表現。政治的正しさ)の行き過ぎではないかという批判もあります。例えば日本でも、トランスジェンダーの女性が女子更衣室や女子トイレを使っていいのかという議論が沸き起こりました。そういう社会を望まない、今までどちらかというと無党派寄りだった人々が、足元でトランプ支持に傾いているといえるでしょう。「少数の専制」に対し、「多数による反動」が起きています。

 ただし、2020年の大統領選挙でバイデンが勝利したのは、多数派の支持を得たからに他なりません。「多数の暴政」は極めて的を射た表現ですが、それは独裁を意味するのではありません。ことアメリカにおいては、多数派がしばしば入れ替わり、それによって時代が変わることを意味するのではないかと思います。したがって、単純に右寄り・左寄りといった議論で切り分けることはできません。共和党も民主党も、平等と自由を希求する点では同じで、その行き着く先が違うだけです。

 では今後、どちらに傾くのでしょうか。なかなか予測はつきません。ポリコレの反動によって保守化に向かうのもアメリカらしいですが、だとすればそれは時計の針が戻ることなのか、あるいはそれこそが普遍的な姿なのか。ある意味で今、アメリカはその実験をしているといえるかもしれません。

黒人とアメリカ先住民との大きな違い

 トクヴィルの慧眼(けいがん)は、黒人奴隷に対しても発揮されます。トクヴィル滞在時、北部の各州ではすでに奴隷の売買は禁止されていました。奴隷だった黒人は自由の身になりました。しかし自由になったとしても、結局は自らオーナーを求めて奴隷制が残る南部へ移動するだろうとトクヴィルは指摘します。

 その理由は、黒人はルーツもアイデンティティーも奪われているからです。アフリカから強制的に連れてこられたか、あるいはその子孫のため、黒人にはよって立つものがありません。したがって自立心が芽生えず、隷属的にしか生きられないというわけです。

 対照的なのが、アメリカ先住民です。同じく白人から迫害を受けていますが、もともとアメリカ大陸に住んでおり、アイデンティティーを持ち、それを守り続けています。

「第二巻上だけでも読むことをおすすめします」と話す安田佐和子さん
「第二巻上だけでも読むことをおすすめします」と話す安田佐和子さん
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 トクヴィルはそれを象徴するような場面に遭遇しています。南部アラバマ州のある森を歩いていたとき、先住民の女性が、おそらくその雇い主の娘と思われる白人の小さな女の子の手を引き歩いている姿を見かけます。女性はきれいに着飾り、女の子とはまるで母子のように親しく接していたそうです。その様子を「自由で誇り高く、ほとんど野獣のような雰囲気が漂っていた」と描写しています。

 実はここにもう1人、2人、つき従うように歩く黒人女性がいました。その服装はみすぼらしく、女の子に対して非常に気をつかっている様子でした。同じ被支配層でありながら、アイデンティティーの有無によってこうも違うというわけです。

 この問題は、今日の黒人差別の問題にも通じるものがあります。それについては、また別の本を紹介しながら述べることにします。

アメリカ人気質を鋭く描写

 本書は、岩波文庫版なら全4冊の大著です。第一巻と第二巻にそれぞれ上下があります。第一巻ではアメリカの政治体制や司法制度について紹介、第二巻ではアメリカ人の気質そのものに迫ります。全巻読むに越したことはないのですが、時間のない方は、第二巻上だけでも読むことをおすすめします。

 そこで描かれるのは、まさに今日のアメリカ人です。章のタイトルを見るだけでも、例えば、「アメリカ人はなぜ理論より学問の実用にこだわるのか」、「アメリカ人はなぜあれほど小さな記念碑と、あれほど大きな記念碑を同時に建てるのか」、「アメリカ人は安楽の生活の中でなぜあのように落ち着きがないのか」など、興味を引くと思います。忖度(そんたく)のない鋭い指摘は、とても190年前に書かれたものとは思えません。アメリカ人と付き合いのある方なら、思い当たるフシがたくさんあることでしょう。

 根底にあるのは、ヨーロッパ人とアメリカ人の知識の素地の違い、そしてやはり貴族制の有無の違いです。今もアメリカ人はヨーロッパ人に比べて粗野だと評されることがありますが、言い換えるなら、190年前の気質が今日まで連綿と受け継がれてきたということです。

 いずれにせよ、民主主義が最初から存在していた社会で、各制度や慣習がどのようにつくられ、アメリカ人の気質がどのように醸成されたのかがよく分かります。今年11月の大統領選挙はもちろん、アメリカという国が話題にならない日はありませんが、本書を読まずしてアメリカを語るなかれ、という気さえします。

取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝