ミレニアル世代、Z世代の悲哀を描く「タワマン文学」作家、麻布競馬場氏。2024年発表の『令和元年の人生ゲーム』が第171回直木賞の候補作に選出され、ますます勢いに乗る作家だが、会社員と二足のわらじを履く覆面作家でもある。同氏が描く世界は、まるでそこにあるかのような現実と人間の情けない感情が同時に描かれるが、センセーショナルな出来事は起こらない。麻布競馬場氏は「歴史的に大きな出来事も、元をたどれば小さな人間関係の物語だ」と語る。

人生に劇的なドラマなんて起こらない

 これまでたくさんの本を読んできた僕ですが、実はノンフィクション作品との距離感だけはうまくつかめていませんでした。 「タワマン文学作家・麻布競馬場を救った、学生時代に読んだ3冊の本」 でも触れたとおり、幼少期は児童文学、中学生で大江健三郎に出会い、大学では時代を切り取る小説にも触れてきた。社会人になると、ビジネス書や経営者に関する本や記事をよく読んでいたけれど、世の中に起きた事件の背景、あるいはその前後の足取りを辿るノンフィクションには、なかなか手を出せずにいたんです。

 そんな中で読んだのが、2013年に起きた山口連続殺人放火事件を扱った高橋ユキさんのルポルタージュ 『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(高橋ユキ著、2023年、小学館文庫) でした。

 「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と書かれた張り紙が放火殺人犯の家に貼られていたことが有名ですが、まるで「金田一少年シリーズ」に出てくるかのような、犯人の強いメッセージをつい感じてしまう。当時は、村八分的な要素が絡んでいるのではないか、という報道がされていて、怒った犯人が放火殺人に手を染めた、というのがメディアの論調だったと記憶しているし、僕もそうだと思っていた。だから、そんなおどろおどろしい事件の裏側をのぞけるんじゃないかという興味本位で手に取ってみたんです。

 でも、いい意味で完全に裏切られましたね。突き詰めるとこの本は、「人間関係にまつわる本」だったんです。

『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(高橋ユキ著、2023年、小学館文庫)/画像クリックでAmazonページへ
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 物語は、山奥の村から都会に出ていった男が、再び村に帰ってくるところから始まります。その日常では決して、派手な出来事は起こらない。ただ、村では小さな出来事がいくつも積み重なっていく。そうして、あの凄惨な事件へとつながっていくんです。

 『つけびの村』は、小さな人間関係や日常の出来事にこそ、本当のドラマがあるということを教えてくれる。僕の『令和元年の人生ゲーム』の書評では、誰かが「もっと派手なドラマを起こすべき」と書いていました。でも、本当にそうでしょうか。僕を含めて多くの人の日常には、歴史に残る仕事や世界を揺るがすような恋愛といった大きなドラマは起こりません。

「多くの人の人生には、社会に刺激を与えるような大きなドラマはそうそう起きませんよね」
「多くの人の人生には、社会に刺激を与えるような大きなドラマはそうそう起きませんよね」
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 センセーショナルなことが起きない日常は、当然メディアも取り上げない。新聞やテレビは、速報性や市民の幅広い関心に応える必要があるので、同じ事件を深掘りするのは難しいのでしょう。ただやっぱり、派手な出来事の裏にある「なんてことのない日常」に目を凝らすことって、すごく大事なんです。だからこそ、先行して新聞やテレビの報道があり、その後に『つけびの村』のような本が出てくるのは、すごく意味のあるシステムだと思います。

 後年になって初めて見えてくるものがあるというのは、それこそ本の役割だと感じました。世の中を単純化せずに捉えて、時間をかけて真実にたどり着こうとする姿勢が、ノンフィクションを書くことの本質なんだと。もちろんそれは、小説を書くことにも通じるものです。

理解し難い全共闘の時代を『レッド』で学ぶ意味

 優れたノンフィクションが持つ機能のひとつに、ある時点における社会の空気をつぶさに感じ取って保存する、ということがあります。学術的な歴史書は「神の視点」で書かれるのが一般的ですが、歴史を描くノンフィクションの場合は、その時代を生きた生身の人間が語り手となることも多い。神ではなく人間が語ることによって、ある出来事の詳細だけではなく、それを取り巻く時代の温度や湿度を感じることができる気がするのです。

 僕は最近、次回作の題材とすべく「全共闘」について調べています。一連の運動がどんな経緯を辿り、どんな結末を迎えたかという客観的事実については、様々な学術的研究が存在しますが、僕が知りたいのはむしろ、その時代を生きた人たちの主観です。学生運動の過渡期の空気を、平成生まれの僕自身は肌感覚として理解できるわけではありません。

 若者たちが、あの時代、何に駆り立てられたのか。本来正しい理念のもとに始まったはずの活動が、どうして悲劇的な結末を迎えることになったのか。それが知りたくて、改めて手に取ったのが、山本直樹さんの漫画 『レッド』 でした。

『定本レッド 1969-1972』(山本直樹著、新装版、太田出版)
『定本レッド 1969-1972』(山本直樹著、新装版、太田出版)

 『レッド』に登場する団体名や人物名は実在しないものですが、登場人物のモデルは連動赤軍をほうふつとさせ、「山岳ベース事件」や「浅間山荘事件」をモチーフにしていることは明白です。そしてこの本のすごいところは、歴史や出来事がただ大きな理念や理想によって動かされているわけではなく、人間の心に巣食うコンプレックスや、非常に人間的な感情が歴史を形作っている、という点を指摘していることです。

 作中で“中央”という言葉がたびたび出てきますが、これは理論派の東大生や京大生を指していて、彼らは“中央”に入り込むことができます。一方、地方の無名大学生たちは、その中心から排除され、次第に暴力的な闘争にのめり込んでゆく。そんな中で、リーダー格の人物が吹き出しいっぱいに「理論」を語って他を圧倒するシーンは、“中央”的なものへの歪んだ憧れの象徴といえるでしょう。

 この物語に登場する主要人物たちの多くは、中央ではありません。しかし、自分たちが“中央”に食い込めないことへのフラストレーションが、彼らを「正しさの暴走」へと駆り立てていくというふうにも読める。『レッド』は、歴史が大きく動いたあの時代の裏には、単なる理念や理論だけではなく、中央にたどり着けた人間たちと、たどり着けなかった人間たちの物語があった、ということを語っています。

 歴史を学ぶ意義というのは、そのとき人間がどう動いたのか、人間のどんな感情や思惑が歴史に影響を与えてきたのかを理解することにあると思います。単なる出来事の羅列として見るだけでは、本質的な理解には至りません。だから、一つの歴史を「動いている人間たちのドラマ」として捉え直した『レッド』のような作品には、大きな価値があるんです。

「歴史的に大きな出来事も、元をたどれば小さな人間関係の物語なんですよね」
「歴史的に大きな出来事も、元をたどれば小さな人間関係の物語なんですよね」
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「熱狂」と「冷笑」は繰り返す

 僕が 『令和元年の人生ゲーム』(文藝春秋) を書くときに、平成の終わりから令和の初めまでの約10年間という時代をとにかく事細かく描写することにしました。そこで見えてきた構図は、「熱狂」と「冷笑」だった。

 平成の終わりまではみんな、箕輪厚介さんが伝えてきたように「圧倒的成長」を目指して頑張っていた。けれど、頑張った結果幸せになれたかというと、その実感が持てていない、というのが正直なところじゃないでしょうか。

直木賞候補作にもなった麻布競馬場氏の『令和元年人生ゲーム』(文藝春秋)/画像クリックでAmazonページへ
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 マイケル・サンデル氏が書いた『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(2021年、早川書房)とか、上野千鶴子さんの東大入学式の祝辞のように、成功には本人の努力だけじゃなく、遺伝的要因や環境的要因も相当絡んでいる。そうすると「結局、親ガチャじゃん」と言って、努力をやめてしまう人もいるわけです。

 「努力が報われない」と感じると、今度は自分らしさや本質的な幸せにフォーカスするようになる。努力をするにも、コスパやタイパといったことばかりが意識されるようになる。「○○してる人、全員バカです」といったひろゆき氏“的”な冷笑主義が浮かび上がってくるのも、時代の自然な流れかもしれません。

 でも僕は、頑張ることを冷笑する時代の先には、また熱狂の時代が来るんじゃないか、とも感じていて。2023年に「yutori」というアパレル企業が東証のグロース市場に上場したんですが、yutoriが配信しているYouTube「ゆとらない日々 アパレル企業の裏側」を見ていると、昔の『¥マネーの虎』『ガチンコ!』とかに近いものを感じる。

 採用に携わっているベンチャーの人に聞くと、「激務でもいいから、早く一人前のビジネスパーソンになりたい」と思っている若者も結構いるらしいんです。でも、社会がそれを許さない、と。大学でも会社でも、大人が“パワハラ”と言われるのを恐れて、厳しく指導してくれないから。

「それに、頑張ることがどこか正しくないみたいな空気があって、みんながその雰囲気を感じ取っているといいます」
「それに、頑張ることがどこか正しくないみたいな空気があって、みんながその雰囲気を感じ取っているといいます」
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 その点、yutoriが配信しているYouTubeを見ていると、若い社員たちに対して、若い上司たちが忖度なしにぶつかっていくんです。こうした動画が若者たちの着火剤になって、平成の頃のように「頑張る若者」を生み出す、あるいは「圧倒的成長」の時代が戻ってくるのかもしれない、なんてことを僕は思ったりしています。

 全共闘の後に「しらけ世代」が誕生したように、時代には必ず揺り返しがくる。歴史というのは、別にAIがもたらす未来予測をなぞるために学ぶ必要はないんです。むしろ、僕らが人間で、他の人間と共に暮らす社会的な生き物だからこそ、歴史から人間を学んで、他者を理解しようとすることが重要なんじゃないでしょうか。

取材・文/金澤英恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也