その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は鈴木哲也さんの『 超・渋沢論(日経ビジネス人文庫) 』です。

【はじめに】

 「『1万円札の肖像になった偉人』ということで終わらせるのは、もったいない」

 本書に登場するスタートアップ、ヘラルボニーの創業者の松田崇弥氏は、インタビューでこう語った。30代の若手経営者から見ても、渋沢栄一の生き方と言葉からあふれ出るエネルギーは強烈なものであり、今を生きるうえでの示唆に富んでいる。
 渋沢という人物は「日本資本主義の父」と称される「偉人」であることは間違いないが、額に入れて飾っておくだけでは惜しいほど、おもしろい人生を送り、豊かな思想を残した。本書は、その魅力を読者の皆さんに伝えるためにつくった。様々な業界で活躍する著名企業の経営者に、渋沢栄一について語ってもらったインタビュー集である。

 現役で経営にあたり日々の課題と格闘するリーダーの目に、渋沢という人物はどう映るのか。どんなところに共感し、何を学ぼうとするのか──。それぞれの視点から自由に語り尽くした言葉は、渋沢の思想とシンクロしながら、リーダー自身の経営哲学も浮かび上がらせる。『超・渋沢論』というタイトルの通り、思いの丈を自由に語ってもらった。渋沢の多様な魅力を伝えるには、それが近道だと考えたからだ。
 ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、安定した大蔵省の職を辞して、あえて実業に生涯をかけた渋沢の姿勢に共感するとともに「ユニクロ」のグローバル戦略とのつながりも語った。伊藤忠商事の岡藤正広・会長最高経営責任者(CEO)は、財閥をつくらずに、オープンな発想で多数の会社を立ち上げた渋沢の功績を強調した。現在、三菱商事や三井物産といった旧財閥系商社と業界盟主の座をめぐってしのぎを削る、伊藤忠商事の立ち位置とも重なり合う。

 様々な視点から語ってもらうことで、渋沢のおもしろさを多面的に掘り下げたい。そんな思いで、多くの人に取材を申し込んだ。野球の日本代表で監督を務めた栗山英樹氏は、かねて渋沢の代表的な講演集『論語と算盤(そろばん)』を読み込んでいて、野球界のリーダーとしての視点からその本質をとらえていた。第1章を読んでいただくと、米大リーグへ行った大谷翔平選手や村上宗隆選手がなぜ活躍できているか、その一端が分かると思う。
 著名コピーライターとして一時代を築いた糸井重里氏は独特の視点で渋沢を語るなかで、彼自身の人生の歩みについても話題が及んだ。

 筆者は日本経済新聞社で長くビジネス関連の取材を担当し、多くの企業経営者に話を聞いてきた。記者として、事業の状況や課題はどうか、どんな戦略で成長を目指すかといった内容を押さえる必要がある。だがその一方で、約30年の取材経験を重ねるほどに関心が強まった問いがある。取材の対象にしている、この人を根底で突き動かしている思いは何なのか、ということだ。
 なぜ激務に身を投じるのか。モチベーションは何なのか。仕事にどんな意義を見出しているのか、といった心のありようを知りたい。経営者に限らず、人々はどんな思いを抱えて日々仕事をしているのかということが、筆者の取材に通底する関心事である。

 産業や資本主義の歴史も踏まえながら、経営者らの「精神」に関わる取材を、さらに深めたいと考えていた。そんな視点から渋沢栄一に関心を持っていたところ、世の中の注目も急速に高まっていった。2024年は1万円札の肖像に採用されるタイミングであった。
 この機会をとらえて、企業のトップに渋沢について語ってもらおうと、日本経済新聞で企画したのが「超・渋沢論」というインタビューシリーズで、筆者が取材・執筆した。経営者自身の哲学もあわせて伝わる記事になるよう心がけて、同年夏に連載した。今回、これらを大幅に加筆したほか、書きおろしなどを含めて、文庫本として書籍化した。

 渋沢は500もの会社の設立・運営に携わった。本書には渋沢が関わった会社の現トップへのインタビューも収録している。東急、帝国ホテル、キリンホールディングス、王子ホールディングス、東京ガスといった、現在の生活者に身近でなじみの深い大手企業だ。「資本主義の父」といわれるにふさわしい功績を残した渋沢だが、さらに興味深いのは、そうした呼び名に収まらない思考の広がりにある。
 よく知られているのは「論語と算盤」あるいは「道徳経済合一説」という思想である。論語と算盤。道徳とビジネス。一見、相容れない2つの要素を一致させる。建前でなく本気でやり抜こうとするのは型破りな発想だっただろう。ここに現代にも通じるユニークさがある。2010年前後から世界的に議論が起きた、資本主義の暴走への対処という大きな文脈のなかでも、渋沢の思想に注目が集まった。
 2008年のリーマン・ショックの後、行きすぎた金融資本主義に対する反省が生まれたが、その後も環境破壊や世界的な格差の拡大など、資本主義の負の側面は大きな改善がみられない。こうした問題にいかに対処するのかを考えるうえで、渋沢の先見性から学べることは多い。
 世界の混迷が深まり、既存の価値観が崩れていく。人々が不安になるなかで、結局は力の強い人、声の大きな人の意見が通ってしまう。世界情勢のみならず、日本国内にもそんな雰囲気が強まっている。それでも自分の考えを持って生きていこう、誰かの言いなりでなく自分らしい仕事をしようと望む人は多いはずだ。そこで多くのヒントと勇気を与えてくれるのが渋沢栄一だ。

 本書を手にとっていただいた方には、経営者の言葉から、理想と現実のはざまで葛藤する思いを感じとってもらいたい。短期志向の投資家の要求は、渋沢の考え方とは相反する。渋沢に共感しながら、現実の問題にどう対処するか。奮闘する経営者の姿が浮かび上がる。
 これは立場が違っても、社会生活を送る誰もが直面するジレンマだ。
 講演や談話などのかたちで多くの渋沢の言葉が残っているが、そこには飾らない「人間味」が感じられる。偉人として奉られるのは、本人も望まないだろう。本書のインタビューからも浮かび上がる渋沢の思想のエッセンスは、頭のなかで構築された理論ではなく、どのように仕事と向き合い、どんな人生を生きるかという問いだ。
 私たち一人ひとりが生き生きと暮らしてこそ、国も世界も栄えるはずなのだが、このところ国内外問わず目につくのは、国家や政治家が「主役」であるかのように物事を決めていく傾向だ。「民の力」を信じて決然と行動した渋沢のメッセージは、今こそ大きな意義を持っている。卓越した起業家精神を、今の時代に引き継ぐことができるかどうかが問われている。

 本書の構成は、第Ⅰ部(第1~3章)に栗山英樹氏、伊藤忠商事の岡藤正広会長CEO、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長という、渋沢への関心が深い3人へのインタビューを収めた。
 第Ⅱ部(第4~8章)は、渋沢が創設や運営に携わった5社の経営トップへのインタビューだ。東急の野本弘文会長、帝国ホテルの定保英弥社長(現・会長)、キリンホールディングスの磯崎功典会長CEO、王子ホールディングスの磯野裕之社長、東京ガスの笹山晋一社長といった顔ぶれが語る。
 第Ⅲ部(第9~11章)は、スタートアップ企業の経営者が3人登場する。第9章には栄一の玄孫(孫の孫)で、渋沢栄一記念財団の副理事長を務める渋沢田鶴子氏と、同財団と協業したヘラルボニーの共同代表、松田崇弥氏へのインタビューを収めた。福祉など社会公共事業に力を尽くした渋沢栄一の活動も語られる。
 第10章は「食べチョク」を運営するビビッドガーデン(東京・港)の秋元里奈社長、第11章は、水循環システムのWOTA(東京・中央)の前田瑶介CEOという構成だ。
 第Ⅳ部(第12~14章)は、より多様な視点を取り入れながら、本書のまとめの意味を持つ。第12章で「ほぼ日」を創業し社長(現・会長)を務める糸井重里氏が語る。第13章は栄一の玄孫で、シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役の渋澤健氏へのインタビュー。長年、経営塾を開いて渋沢栄一の思想の伝道師の役割を担ってきた同氏に、改めて現代社会における意義について聞いた。
 最後の第14章はインタビューではなく、松下電器産業(現パナソニックホールディングス)創業者の松下幸之助、京セラ創業者の稲盛和夫といった独自の経営思想が影響力を持った経営者と比較しつつ、社会学者マックス・ヴェーバーの概念もからめて筆者が多角的に渋沢を論じた。

 各章は基本的に2024年6月から7月にかけて『日経電子版』などで連載した「超・渋沢論」に、その後の動向について触れた「フォローアップ」などを大幅に加筆し、編集したものだが、第9章は同年11月17日付、日本経済新聞朝刊のThe STYLE「文化時評 渋沢栄一とLVMHを魅了する会社」という記事に際して実施したインタビューや取材内容を掲載した。第13章は同年6月30日付の同朝刊、「複眼 渋沢栄一の思想を生かすには」の記事に向けた渋澤健氏への取材に基づいて加筆するとともに、21年2月8日に『日経MJ』に掲載したインタビュー記事の一部も取り入れた。
 本書における『論語と算盤』からの引用は、角川ソフィア文庫版に基づく。
 渋沢にからめつつ自らの事業を語ってもらうことで、経営者自身の熱意や奮闘ぶりも、にじみ出るインタビューになるよう努めた。それを味わいながら読んでいただければと思う。この書を手に取っていただいた方にとって、何か明日へのヒントがあれば、これ以上の喜びはない。

【目次】

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