正月の風物詩として国民に愛される箱根駅伝。2026年10月には池井戸潤氏原作の連続テレビドラマ「俺たちの箱根駅伝」(日本テレビ系)がスタートするなど、さまざまな物語の題材にもなっている。箱根駅伝の人気はどのように育まれたのか。駅伝を追い続けるスポーツジャーナリスト・生島淳氏が振り返る。日経ムック『昭和100年 スポーツ編 令和に受け継がれる熱狂と躍進』から抜粋・再構成。(文中は敬称略)

マラソンブームの時代

 生島淳氏が箱根駅伝を「聴き」始めたのは、昭和52年(1977)。瀬古利彦が早稲田大学1年生で箱根路を走った年だ。

 「当時のNHKラジオは完全中継ではなく、新春番組の合間に流れる1時間ごとの途中経過を聞きながら、メモを取っていました」

 もともと大学スポーツの野球とラグビーが好きで、その延長線上で駅伝に出合ったという。当時、日本の陸上長距離は低迷していたが、瀬古や宗兄弟らキャラクターの立った選手が現れて人気が一気に高まり、昭和59年(1984)のロサンゼルス五輪では女子マラソンも正式に採用された。ただ、この時代の主役はあくまでマラソンであり、箱根駅伝はまだ主に「東海道沿線の人々の楽しみ」だった。

最大のスターは「2代目山の神」柏原

 そんな箱根駅伝を国民的行事へと押し上げたのが、昭和62年(1987)に始まった日本テレビの生中継だ。それまではテレビ東京系が一部を放送していたが、全国ネットでの生中継は初めてのこと。テレビ局の上層部は「視聴率は取れない」と危ぶんだというが、蓋(ふた)を開けてみれば予想以上の高視聴率を記録した。

 「マラソン好きな土壌に、企業ではなく大学というのが効きました。若者が頑張る姿を見るのが好きという、甲子園と似た構造だと思います」

 もう1つの鍵が「暦」だ。「祝日とスポーツは相性がいいのです。箱根駅伝は出かけることが少ない1月2日、3日に昔から行われていた。お盆の甲子園と同じように、お正月にうまくはまったわけです。ずっと見続ける必要もなく、起きたら見どころだけ見ればいいですから」

 なじみの大学を応援しやすいことも、お茶の間への浸透を後押しした。番組のつくり方も独特だ。

 「日本テレビの編成は、スポーツ中継であると同時に人物を紹介する番組。すべてのたすきリレーを必ず中継するという文法を昭和62年(1987)から貫き、タレントは絶対に使わず選手が主役という軸をぶらさない。そこが他の競技中継と違うところです」

 出場は20校前後、走者は約200人で計11時間。「高校駅伝や都道府県駅伝と違い、視聴者が選手全員の顔がわかる塩梅(あんばい)の良さ」が、一人ひとりの物語を際立たせた。

 そこに登場したのが、東洋大学の柏原竜二。平成21年(2009)の第85回大会、1年生で5区の山登りに挑むと、首位と4分58秒差の9位からごぼう抜き。区間記録を47秒縮める快走で往路優勝のテープを切り、東洋大を初の総合優勝に導いた。以後4年連続で区間賞に輝き、在学中に区間記録を3度更新。“2代目山の神”と呼ばれた。

平成24年(2012)第88回箱根駅伝、山道である5区を駆ける東洋大学・柏原竜二。自身の区間記録を29秒更新する1時間16分39秒で4年連続区間賞。東洋大は大会新(当時)の10時間51分36秒で2年ぶり総合優勝を果たした(写真提供)産経新聞社
平成24年(2012)第88回箱根駅伝、山道である5区を駆ける東洋大学・柏原竜二。自身の区間記録を29秒更新する1時間16分39秒で4年連続区間賞。東洋大は大会新(当時)の10時間51分36秒で2年ぶり総合優勝を果たした (写真提供)産経新聞社
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 「箱根人気が完全に違う次元に突入しました。あれだけのキャラクターは100年を超える時間の中でもナンバーワンじゃないかな。カメラマンによれば、柏原君が登場してから山で待つ観客がすごく増えたそうです。僕にとって箱根駅伝最大のスターは、瀬古利彦さんと柏原君です」

青学・原監督と令和の駅伝が向かう先

 100年の歴史は名将の歴史でもある。生島氏がまず挙げるのが、瀬古を育てた早稲田大の中村清監督だ。

 「ニュージーランドの名コーチ、アーサー・リディアードの方式を基にトレーニングを組んでいたはず。昭和から海外の知見は入ってきていたんです」

 その教えは瀬古を経由し、渡辺康幸(住友電工)、花田勝彦(早稲田大)、櫛部静二(城西大)ら教え子の指導者たちへと受け継がれ、それぞれが現代の知見を加えながら進化させてきたという。

【うかがった人】
生島 淳(いくしま・じゅん)
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生島 淳(いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト

昭和42年(1967)、宮城県生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂勤務を経て独立。ラグビー、駅伝、野球からNBA、MLBまで国内外の多ジャンルでスポーツを追う。著書に『箱根駅伝に魅せられて』『奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ』ほか多数。みやぎ絆大使でもある。

 そして今、別格の地位を築くのが青山学院大学の原晋監督だ。

 「中国電力のサラリーマン時代の経験を生かし、すべてを監督が管理せず、学生に任せて回る組織をつくりました。学生による自主的な運営力に加え、真剣に競技に向き合い、レギュラーを勝ち取る競争力が必要。自由に見えて、競技環境としては実に厳しい。だから令和に入って圧勝しているのです」

 打倒青学を掲げる早稲田など各校は、トラックでスピードを磨き、力で上回る勝ち方を目指すという。

 令和の駅伝は、その先へも動き始めている。駒澤大学の大八木弘明総監督はプロジェクト「Ggoat」を立ち上げ、駒大OBの田澤廉や、1万m日本記録を持つ鈴木芽吹を卒業後も指導する。企業が雇用しつつ大学の指導者と連携する、一貫指導の形が現れたのだ。青学にも、卒業後も原監督に指導を仰ぐ選手が何人もいる。

 「駅伝からマラソンやトラックへ続く流れができ始めました。今後は早稲田や中央も同じように、卒業後に大学の監督に指導を受ける選手が出てくるのではないでしょうか。大学がハブとなり、実業団と連携していく。この形態がどんな結果を生むのか、見ていきたいですね」

 箱根路の物語は、次の100年へと続いていく。

【箱根駅伝 各区の区間記録保持者】

■1区21.3km:東京・大手町・読売新聞社前からスタート
國學院大学・青木瑠郁
第102回(2026年)1時間00分28秒

(写真提供:共同通信社)
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■2区23.1km:神奈川県鶴見から戸塚へ
城西大学・ヴィクター・キムタイ
第102回(2026年)1時間05分09秒

(写真提供:共同通信社)
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■3区21.4km:戸塚から平塚へ
東京国際大学・イェゴン・ヴィンセント
第96回(2020年)59分25秒

(写真提供:産経新聞社)
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■4区20.9km:平塚から小田原へ
東京国際大学・イェゴン・ヴィンセント
第99回(2023年)1時間00分00秒

(写真提供:産経新聞社)
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■5区20.8km:小田原から箱根・芦ノ湖へ
青山学院大学・黒田朝日
第102回(2026年)1時間07分16秒

(写真提供:共同通信社)
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■6区20.8km:箱根・芦ノ湖から小田原へ
青山学院大学・野村昭夢
第101回(2025年)56分47秒

(写真提供:共同通信社)
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■7区21.3km:小田原から平塚へ
駒澤大学・佐藤圭汰
第101回(2025年)1時間00分43秒

(写真提供:共同通信社)
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■8区21.4km:平塚から戸塚へ
青山学院大学・塩出翔太
第102回(2026年)1時間03分45秒

(写真提供:共同通信社)
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■9区23.1km:戸塚から鶴見へ
青山学院大学・中村唯翔
第98回(2022年)1時間07分15秒

(写真提供:共同通信社)
(写真提供:共同通信社)
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■10区23.0km:鶴見から大手町へ
駒澤大学・佐藤圭汰
第102回(2026年)1時間07分31秒

(写真提供:アフロ)
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取材・文/山野井春絵

時代を切り拓いた、あの“一戦”を忘れない。

千代の富士vs.大乃国、船木和喜の大ジャンプ、山下泰裕の寝技、伊藤みどりのトリプルアクセル、江夏豊の9連続奪三振、Jリーグ開幕、新日鉄釜石の7連覇、「山の神」柏原竜二の激走……令和の日本の強さにつながるものとは? アスリートへの取材、有識者の知見、豊富な写真で振り返る。

日本経済新聞出版編/日本経済新聞出版/2200円(税込み)