その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はA.T. カーニー(編)の『 A.T. カーニー 業界別 経営アジェンダ 2027 』です。
【はじめに】
国家と経営が再び交錯する時代
2026年1月3日未明、米軍はベネズエラの首都カラカスを含む複数地点を攻撃し、マドゥロ大統領夫妻を拘束・国外移送しました。年明け早々のこの軍事作戦を正確に予見し、備えることができた人は、ほとんど存在しなかったのではないでしょうか。さらに2月28日には米国とイスラエルがイランへの大規模攻撃に踏み切り、最高指導者ハメネイ師の死亡が伝えられました。イランは3月2日、ホルムズ海峡を通航する船舶への攻撃を警告し、同海峡は事実上の封鎖状態に陥り、ブレント原油価格は4年ぶりに1バレル100ドルを超えて急騰しました。
ホルムズ海峡は、いまなお世界で最も重要なエネルギー輸送の要衝の一つです。米国エネルギー情報局によれば、2025年上期には日量約2,090万バレルの石油が同海峡を通過し、世界の石油消費のおよそ2割、海上輸送石油の4分の1を占め、その多くはアジア向けです。それゆえ日本企業にとって同海峡の不安定化は、エネルギー調達コストにとどまらず、物流、在庫、価格転嫁、設備投資判断にまで波及する問題であり、実際に邦船大手3社の通航停止が報じられ、国内エチレン設備の稼働率低下という形で、産業のすみずみに影響が及びました。その後も米国は、2026年1月のベネズエラ関連の制裁枠組みを更新する大統領令や、5月のホルムズ海峡の航行の自由確保に向けた国連安保理決議案の提起など、制度面での関与を続けています。
こうした動きが示しているのは、安全保障がもはや外交・防衛の周辺論点ではなく、企業活動そのものを規定する中核要素になったということです。日本でも、2022年5月に成立した経済安全保障推進法は2024年5月までに四つの制度すべての運用が始まり、さらに政府は、AI・半導体に加え、造船、量子、重要鉱物などを含む「17の戦略分野」において、危機管理投資や成長投資を進めるとともに、防衛調達を含む官公庁調達や規制改革によって具体的な需要を創出する方針を明示しています。市場を見るだけでは足りず、国家の意思、制度、調達、規制の方向を読むことが、経営そのものの一部になったと言えるでしょう。
AIをめぐる論点も、効率化や投資テーマの域を超え、国家と産業の力学に組み込まれ始めています。2026年6月9日にAnthropicは最上位AIモデルClaude Fable 5を一般提供しましたが、わずか3日後の6月12日、米国政府による輸出規制の適用を受けて利用が制限され、6月30日の規制解除を経て7月1日にアクセスが再開されました。ここで浮かび上がったのは、AIが単なるソフトウェアではなく、輸出管理や安全保障の対象となる「力」そのものだという現実です。その結果、経営におけるAIの論点も二層化しています。一つは、既に存在するモデルをどう使い、業務・意思決定・顧客接点をどう変えるかという「活用」の論点。もう一つは、計算資源、電力、半導体、データ、人材といった基盤を、誰が、どのように確保するかという「確保」の論点です。前者だけでは競争優位は続かず、後者だけでは価値に転化しません。両者を一体で捉える段階に入ったのだと考えています。
そして、AIが知識の整理や分析の高速化を担うほど人が関与することの付加価値も改めて問われるようになると思います。私自身は、AIでは代替が難しいコンサルタントの価値として、「問いを立てる」「経営者の意思決定を促す」「現場を動かす」の3つを掲げていますが、AIが圧倒的な生産性で各種の情報やアイデアを提供するようになるからこそ、何を問い、何を決め、誰をどう動かすかは、むしろ人に一層厳しく問われるようになります。これはコンサルタントに限らず、あらゆる経営リーダーに共通する変化ではないでしょうか。
地政学、国家の関与、AI、労働の再定義。これらは一見すると別個の潮流に見えて、実は「力の所在が組み替えられている」という一つの大きなうねりの表れであると、我々は捉えています。だからこそ、自社が事業を展開する産業の動向だけを注視していては変化の本質を捉え損ねかねません。幅広い産業を横断的に俯瞰し、その連関の中から自社への含意を読み解く。その営みを支えたいという思いが、本書を毎年世に問い続けている理由です。
A.T. カーニーとは
A.T. カーニー(グローバル・ブランドはKearney)は、本質的な正しさ(Essential Rightness)を追求する創業者アンドリュー・トーマス・カーニーのリーダーシップのもと、1926年に米国シカゴに創立され、2026年、創業100周年を迎えました。グローバルでは約5,900名の経営コンサルタントのネットワークを擁し、フォーチュングローバル500企業のうち4分の3以上をクライアント企業とし、謙虚かつ大胆に目に見える成果(Tangible Results)をお届けすることにこだわってきました。また、1992年に設立したシンクタンクGlobal Business Policy Council(GBPC)では各国の政府関係者や主要企業の経営陣と地政学・マクロトレンドの研究を行い、ダボス会議の戦略パートナーも務めています。
日本では、1972年に東京にアジア初の拠点を設けて以来、半世紀超の歴史を有しています。2050年までに“日本を変える、世界が変わる”というビジョンを掲げ、日本を代表する大企業20社、世界に向けて価値創造する新興企業・スタートアップ企業200社との創造と変革のプロジェクトに注力しています。
本書の位置づけと狙い
本書は、日本のクライアント企業の皆さまの経営課題に日々向き合っているA.T. カーニーのシニアパートナー、パートナー、プリンシパル、マネージャーが共同で執筆したものです。冒頭に述べた問題意識を踏まえ、今回の改訂では、従来から重視してきた地政学や防衛の論点を引き続き扱うとともに、AI・フィジカルAI、データセンター・半導体、ロビイングといったテーマを中心に改訂・追加を行いました。国家の関与が強まり、AIが力の源泉となる時代において、いずれも自社の事業領域に閉じることなくお読みいただきたいテーマです。
本書は、可能な限り幅広い産業・サービスを俯瞰し、最新のトレンドを捉えることに重きを置いています。一業種あたりに割ける文字数には限りがあるため、より深い議論をご希望の場合は、弊社ホームページ上の論考をご覧いただくか、各章の執筆者に直接ご相談をいただけましたら幸いです。興味のある産業を空き時間にクイックにキャッチアップいただくも良し、複数業界を通読して通底するメガトレンドを考察いただくも良し、読者の皆さまの置かれた状況に応じて柔軟にご活用いただければと考えています。
創業から100年、Kearneyは世界恐慌、戦争、オイルショック、冷戦の終結、金融危機と、常に大きな転換点のただ中にある企業とともに歩んできました。世界が再び大きな転換点にあるいま、国や産業を変え得るだけの力を、私たち自身も鍛え続け、持たなければならないと痛感しています。本書が、変化のただ中にある読者の皆さまにとって、足元の不確実性を読み解くだけでなく、自社は何を守り、どこで勝ち、どのような力を自らの内に築くべきかを考えるための羅針盤となれば幸いです。
最後になりましたが、本書の出版にあたりご尽力いただいたすべての方々に、この場を借りて心より御礼申し上げます。
A.T. カーニー株式会社
日本代表 マネージングディレクタージャパン
針ヶ谷 武文
2026年10月
【目次】

