令和3年(2021)東京五輪で混合ダブルスを組んだ伊藤美誠氏と共に、日本卓球界に初の金メダルをもたらした水谷隼氏にインタビュー。日本の卓球レベルを押し上げる原動力となり、世界の頂点に到達できた理由とは? 日経ムック『昭和100年 スポーツ編 令和に受け継がれる熱狂と躍進』から抜粋・再構成。

全日本選手権を史上最年少で制覇

 打った球が返球されるコンマ数秒の間に、相手の位置や弱点を見極め、数手先の展開を先読みし、攻撃を組み立てる。「100m走しつつチェスをするような競技」とも称される卓球。「疲れるのは体よりも頭。考えない選手は勝てません」と水谷隼氏。昭和後期に低迷した日本の卓球を世界レベルに引き上げた立役者にして、「強くなるために何をすべきか」を、引退する32歳まで探究し続けた求道者だ。

 平成元年(1989)、静岡県生まれ。卓球教室を営む両親のもと5歳でラケットを握り、8歳で全日本選手権小2以下の部で優勝。「1歳上に福原愛ちゃんがいた。当時おかっぱヘアだった私を見て『女子の手強いライバル出現』と勘違いしたそうです(笑)」

 10歳頃には、大人の選手を撃破。「球の回転に対応すること、相手の心理を読んで想定外のコースを突くことが勝利の鍵とすでに理解していました」。一方で、卓球人気の低さに本気で悩み、「自分が強くなり人気競技にするぞと思っていました」。

水谷 隼(みずたに じゅん)
画像のクリックで拡大表示
水谷 隼(みずたに じゅん)
元プロ卓球選手
平成元年(1989)生まれ。木下グループ所属。静岡県出身。5歳から卓球を始め、17歳で全日本卓球選手権優勝。当時の史上最年少チャンピオンとなり、その後前人未到の10回優勝を達成。4大会連続五輪出場。平成28年(2016)リオデジャネイロ大会の男子シングルスでは日本人初の銅メダルを獲得。令和3年(2021)東京大会の混合ダブルスで日本卓球界史上初の金メダルを獲得し初代チャンピオンに。同年現役を引退し現在はタレント、スポーツキャスター、卓球解説、講演活動など多方面で活動中。(写真:大河内禎)

 中2で強豪・青森山田中に転校したのも「計算ずく」。「地元に残っていては埋もれてしまう」と案じていたとき、ジュニア日本代表のドイツ人コーチにドイツ留学を勧められた。ただ費用が高い。そこで青森山田から支援を受け14歳で渡独。ブンデスリーガ傘下の名門クラブに入った。

 それまで日本で受けてきたのは、全員同じ練習に励む長時間の特訓。ドイツでは課題に沿ったメニューを与えられ、「短時間でも1球に集中する質重視の練習」をたたき込まれた。

 その結果、全日本選手権男子シングルスを17歳7カ月で史上最年少制覇。この勝利は日本卓球界に一大変革をもたらした。ドイツで覚醒した天才少年にならうのが近道と、昭和から続く根性論的な練習法は一掃され、短時間集中・個人最適型の練習メニューが主流に。また海外のプロリーグに早くから身を置く重要性も認識され、欧州リーグへ武者修行に出るジュニア世代が激増した。水谷氏が切り開いた“強くなるためのルート”は、日本の卓球レベルを押し上げる原動力となった。

逆転の発想で中国ペアに勝利

 初制覇後も全日本選手権での優勝を積み重ね、10代後半で日本のエースとなった水谷氏。半面、「世界との差は歴然としていた」という。「差を縮めるため、各国のトップ選手がしのぎを削る、よりハイレベルな海外リーグで自分に足りないエッセンスを吸収しようと決めました」

 19歳で世界最高峰の中国スーパーリーグに挑み、24歳からはロシア・プレミアリーグに参戦。通算10シーズンを2つのリーグで戦うなかで得たのは、数々の戦術面の引き出し。そして“人生を賭けて卓球に向き合う覚悟”だった。

 「中国選手のメンタルがなぜあれほど強いのか、移籍前はわからなかったのですが、(当時)中国では『同じ選手に2敗したら代表を外されるらしい』という噂を聞いたこともあって、ふに落ちた。ロシアで海外のトップ選手から学んだのは、短い休日すら試合の反省会やコンディショニングに充てるプロ意識の高さ。彼らと過ごすうち、甘えや雑念が消え、卓球だけにより深く向き合えるようになりました」

全日本卓球選手権 男子シングルス10回目の優勝/令和元年(2019) 平成19年(2007)の全日本選手権シングルス初制覇以来、水谷さんが13年間に重ねた優勝回数は10回。優勝を逃した3回も、決勝に駒を進めての惜敗。「ミスター全日本」と呼ぶにふさわしい無類の強さを発揮した (写真提供)産経新聞社
全日本卓球選手権 男子シングルス10回目の優勝(令和元年[2019])
平成19年(2007)の全日本選手権シングルス初制覇以来、水谷さんが13年間に重ねた優勝回数は10回。優勝を逃した3回も、決勝に駒を進めての惜敗。「ミスター全日本」と呼ぶにふさわしい無類の強さを発揮した (写真提供)産経新聞社
画像のクリックで拡大表示

 北京、ロンドンに続く3度目の五輪出場となった平成28年(2016)のリオデジャネイロ大会で、水谷さんは日本人初のシングルス銅メダルを獲得。団体戦決勝は中国に敗れ2位となるも、自身は当時世界3位の中国選手を退け、成長を実感した。翌平成29年(2017)にはキャリア史上最高の世界ランク4位に到達。名実ともに世界のトップオブトップに昇りつめた。

 そして迎えたキャリアの集大成が、「遠慮なく思いをぶつけ合える最高の相棒」伊藤美誠氏と組んだ令和3年(2021)の東京五輪混合ダブルス決勝。相手は過去4度対戦し、全敗していた第1シードの中国ペア。同ペアが対戦相手と知ったとき、「むしろ4連敗中の自分たちに利があると拳を握った」と水谷氏。「たとえ最強ペアでも五輪決勝という大舞台で冒険はしづらく、過去に我々に通用した戦術をぶつけたいはず。そうした心理の裏を突けばチャンスはあると考え、相手ペアの配球パターンを徹底研究し、頭にたたき込みました」

 試合の序盤は2ゲームを先取されたが、「勝負はここからとひるまなかった」。3ゲーム目以降、中国ペアが放つ意表を突いたコースへの決め球を先読みし、カウンター攻撃で狙い撃ちする作戦が次々に的中。中国ペアが動揺し始めた。ゲームカウント3対3に追い上げた最終第7ゲーム、水谷・伊藤ペアは神がかったプレーを連発し、ついに歴史的な逆転勝利を挙げた。その瞬間、「引退」の2文字が脳裏に浮かんだ。

 「自国開催の五輪という夢舞台で、連敗続きの相手を破って頂点に立ち、観客を総立ちにさせた。これ以上の高揚感は二度と味わえないと思ったためです」

 それから5年、日本の卓球界は今、世界ランクトップ5に張本智和・松島輝空の2選手が名を連ねる快挙に沸いている。「『水谷の築いた土台が若い世代に受け継がれた』との見方をされることもありますが、私自身は『継承ではなく、新たな黄金期が始動した』という思いです。令和世代なら、私たち昭和・平成世代が到達できなかった五輪の団体やシングルスの頂点に立てる可能性は大! 期待して見守りたいですね」

取材・文/籏智優子

時代を切り拓いた、あの“一戦”を忘れない。

千代の富士vs.大乃国、船木和喜の大ジャンプ、山下泰裕の寝技、伊藤みどりのトリプルアクセル、江夏豊の9連続奪三振、Jリーグ開幕、新日鉄釜石の7連覇、「山の神」柏原竜二の激走……令和の日本の強さにつながるものとは? アスリートへの取材、有識者の知見、豊富な写真で振り返る。

日本経済新聞出版編/日本経済新聞出版/2200円(税込み)