文芸評論家・三宅香帆さんの新刊『推したちとどう生きるか』(新潮新書)刊行に合わせ、東京・下北沢の本屋B&Bで読書会イベント「Miyake Book Club」が開催されました。参加者は90分かけてその場で本を読み、その後、トークと質疑応答が行われました。質疑応答では参加者から「推し」に関する質問が数多く寄せられました。
推し活は持続可能であるべき
本屋B&B代表取締役・内沼晋太郎さん(以下、内沼) 「推し」に関する質問が数多く寄せられていますので、三宅さんに聞いていきましょう。
Q1 推し活は「未完成なものに意味を見いだす」「未完成なものに美しさを感じる」ことから茶道や禅のわび、寂びに通じると思いますが、どうでしょうか。
文芸評論家・三宅香帆さん(以下、三宅) 私も『 推したちとどう生きるか 』ではその辺りについて書くことになると思っていました。この本は「推しとハレ」というタイトルの連載がもとになっているので、「ハレとケ」に関連して民芸や民俗学に触れたいと考えていたのですが、いつの間にか近代文化の話になってしまいました。
茶道や禅、わび、寂びは江戸以前の歴史をきちんと勉強しないと書けないですね。そこがまだ自分の中では未履修というか、資料になる本を読めていません。日本には余白の美があったり、枯れ山水で川の流れを表したりします。それはまだ桜が咲いていない時期から、散ってしまう桜を思って涙する──という「妄想和歌文化」とも近いので、いつかそうしたものを書きたいのですが、今の私の知識では何も語れることがない…という感じです。
内沼 なるほど。推し活では推しの卒業を想像して涙するわけですね。
三宅 そうなんです。秋元康さんはデビューしたてのAKBに桜が散る歌を歌わせるわけです。デビュー当時からずっとその歌を歌ってきて、「ああ、いつか桜が散るんだ」「いつかこの子は卒業するんだ」と積み重ねてきた時間が、ファンを泣かせるんです。推し活の構造としてはよくできていますが、デビューしたてのメンバーに卒業ソングを歌わせるって、すごくないですか。すみません…つい、語ってしまいました。
Q2 『推したちとどう生きるか』は、なぜ題名が「推したち」と複数形なのですか。意味が知りたいです。
三宅 「推したち」と言うと、たくさん推しがいるイメージになりますが、個人的には「推し変」(編集部注:これまで応援していた「推し」のファンをやめ、別の対象を新たに「推し」として応援し始めること)も含めての「推し活」だと思っています。ずっと推しと一緒に生きるのは、推し文化とともに生きること。最初はこの子が好きで、でも卒業したから違う子を好きになって…というのは持続可能な推し活の形です。
けっこうタイトルは悩んだのですが、「持続可能な推し活」という意味で「推したち」と複数形にしました。
内沼 『君たちはどう生きるか』を意識したのかと。
三宅 似ていますよね。『推しとどう生きるか』『推しと〇〇』といろいろ考えたのですが、「推し変も含めての推し活だ」という気持ちを「推したち」に込めました。
パートナーが推しにのめり込んでいるときどう向き合うか?
Q3 パートナーが推しにのめり込んでいます。どう受け止めればいいですか。
三宅 これは『推したちとどう生きるか』よりも同じく新刊の『「夫婦」不在社会』を読んでいただいたほうがいいかも…。
内沼 「どう受け止めるか」というよりも、きっと嫌なんでしょうね。受け止め方が分からないというか。
三宅 でも、やっぱり個人一人ひとりが楽しめる領域があるのは素晴らしいことだと思います。『夫婦不在社会』の中で書いたのですが、夫婦は密室になりやすいというか、1対1で煮詰まりやすいですよね。そこに推しがあると風穴になってくれる。夫婦げんかをしているときに、一方が推しのライブに行くと、その間に頭を冷やせる…ということがあると思います。あんまり課金しすぎると「夫婦の財布はどうするんだ」「アクスタ(アクリルスタンド)を置かれたくない」という問題になりますが。でも、そこも含めて「お互いに趣味はあったほうがいい」派です。
内沼 なるほど。でも、受け止めきれないのは男女の問題というか、ある種の嫉妬心というか。
三宅 確かに。ただ、推しの場合は「彼氏」「彼女」というよりも「わが子」に近い感覚かなと。もちろん、その人によりますが、恋愛感情とはまた違うもののような気がします。ぜひ、パートナーの方とうまくやっていただきたいと思います。
Q4 SNSでは推しとの距離がすごく近く感じられます。近すぎることのデメリットはあると思いますか。
三宅 やっぱり「推しに会いに行く!」という「ハレの日」的なものをつくりづらいですよね。最初は銀幕のスターだったのに、日常的に見られるようになると「ケ」に近づいてしまう。SNSで「ケ」の部分である舞台裏を見せたり、ずっと配信をしてくれたりすると「日常をともにしている」感覚になります。
本来、国民みんなが知っているスターは裏側を知らなくても楽しめる存在のはず。でも今は、スターに関するすべての文脈を共有している「ファンだけが楽しめるコンテンツ」が拡散されやすい状況です。現在は「みんなが何となく知っているだけでも楽しめるコンテンツ」が生まれづらい状況ですよね。
内沼 なるほど。今や「国民的」という言葉がないですもんね。
三宅 今は同じ文脈を共有している人がファンになっているので、「○○くんは料理上手」と言っても「みんな知ってるよ」となってしまう。そうすると「お、〇〇くんって意外と料理上手!」というコンテンツがつくれなくなりますよね。「そこまで知らなくてもよかった」というぐらいの距離感のほうがいい気がします。
Q5 三宅さんは過去の著書で「推しについてSNSで感想を発信すること」を推奨されていたので、本書で「推しをたった一人で語る勇気」と書かれていて、驚きました。三宅さんの中ではSNSで誰かに向けて発信することと、たった一人で推しを語ることにはどんな違いがありますか?
三宅 私としては「SNSでたった一人で語る勇気」をずっと伝えてきたつもりでしたが、今までうまく伝わっていませんでした。それが今回の本を書いたきっかけでもあります。おそらく「たった一人で語る」=「SNSで共感を求めて語る」と思われていたのかと。
みんながそれぞれに好きなことを語っていて、それがSNS上に存在している。誰の感想であっても読めるし、立場の違う人がいてもいい。人の感想に合わせなくていいんだよ、というのが私の理想です。
内沼 「SNSで共感を得よう」ということではない?
三宅 共感を得ようとしてもいいんですけど、「共感してもらえなさそうだから」と自分の意見を引っ込めなくてもいいと思います。
Q6 うっかり間違えて、今回のイベント前に『推したちとどう生きるか』ではなく、『「夫婦」不在社会』を読んできてしまいました。でも、実は重なる部分があるのではと感じています。
三宅 はい。実はこの2冊、私の中ではA面とB面のような感じです。『「夫婦」不在社会』では、日本では親子愛、親子の葛藤や毒親は語られやすいけど、パートナーシップについてはまだ話しづらいということを書いています。
『推したちとどう生きるか』では、推し活の「推す側」と「推される側」は親子愛のメタファーで語られると説きました。そうなると日本で親子愛が流行しているのではないかと。私の中ではどちらも「日本社会の縦強すぎ問題」です。
「本当に言いたいこと」を書くときは長文に限る
Q7 私は推しができたことがなく、推しをつくりたいと悩んでいます。三宅さんが推し活に目覚めたきっかけや、推しをつくる方法があったら教えてください。
三宅 推し活にのめり込めるのは、たとえるなら「恋愛体質」「数学が得意」「国語が得意」といった、もともとの性質が関係していると思います。推し活寄りの身体があるんじゃないかと。そして、推し活寄りの身体がある人は「就活がつらくなったとき」「ブラックな環境で働いたとき」などに推しを見つけやすくなります。統計を取ったわけではなく、私の周囲の例なので根拠はないのですが…。
内沼 頷いている参加者の人が多いですよ。では、推し活寄りの身体を持っていない人はどうしたらいいですか。
三宅 いろんな催し物に行ってみるのがお勧めです。ライブに誘われたら行ってみる、好きなアーティストがいたらライブのチケットを取ってみる。「生で見るとやっぱりいいな」と思うかもしれません。
内沼 リサーチを始めると、のめり込みやすくなりますね。あとは行動あるのみ、ということで。
Q8 私はアイドルが好きで、SNSで推しについて書いています。でも、「共感が得られなかったら、どうしよう」「自分の見解でほかのファンに嫌な思いをさせたらどうしよう」と思うと怖くて、書くのをやめてしまうことがあります。三宅さんはどのようにそういった気持ちを乗り越えていますか。
三宅 この問題には永遠の難しさがありますよね。本の中では「勇気を持って」と書きましたが、実際に批判を浴びたら、しんどくなってしまう。でも、私としては何かを言いづらい世の中が変わってほしいと願っています。
だから、「何でも書いちゃっていいですよ」とは言えませんが、「長文にチャレンジしてみる」という手があります。たとえば、Xよりもnoteに長文で書くと、理解が得られやすい。noteはXよりも長文を読むのが大変な分、そこにたどり着いた人は言わんとすることを分かってくれることが多いです。
私が本を書く理由でもありますが、「本当に言いたいこと」を書くときは、長文に限ると思います。
Q9 今回の「推し」という「問い」はどのようなタイミングで見つけたのでしょうか。たくさん本を読まれている中で、問いをどのように見つけ、書くことで解決されているのでしょうか。問いが先か、書きたいと思う気持ちが先なのかについても教えてください。
三宅 私のなかで「問い」は常にあって、その問いに合いそうな本を選んで読むことが多いです。問いが生まれる瞬間は、「こんな描写は今までの物語では見たことがないな」「最近、こういう物語をよく見るな」というとき。それから友達と話しているとき、自分の実生活の中で「すぐに解決しない問題」に出合ったときですね。
『推したちとどう生きるか』は「結局、推し活は日本特有の文化と何か関わりがあるのか」「何か日本論と関係があるのかな」という問いから始まりました。
本として書きたいテーマはたくさんあるので、それが1冊の本になってみなさんのところに届けることができると「この問いが成仏してよかったね」という気持ちになります。
取材・文/三浦香代子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也




