あまり知られていないが、農業はマイクロプラスチックの主な発生源の一つだ。例えば、肥料をポリマーでコーティングした被覆肥料は、農作業の効率化には欠かせない存在だが、使用後、土壌の中にプラスチック殻が残ってしまう。伊藤耕三・東大特別教授たちの研究チームは、釣り糸だけでなく被覆肥料問題の解決にも取り組んでいる。同氏の近刊『 プラスチック・クライシス 日本発の新発見と技術革新が世界を救う 』の抜粋からそのエッセンスをお届けする。その第3回。
人手不足の救世主、被覆肥料とは何か
被覆肥料(コーティング肥料)は、肥料の粒の外側がポリマーで薄く覆われています。農地にまいたあとにじわじわと成分が出るように設計された製品で、世界中で使われています。
このタイプの肥料が重宝されているのは、肥料をまく回数を大幅に減らせるからです。被覆されていない通常の肥料は、まいた後は効き目がありますが、雨などの水分に溶けて地中に浸透したり、流れ出したりして効果が薄れていくため、追肥の必要があります。一方、被覆肥料は、コーティングされているおかげで、じわじわと染み出し、作物の生育に応じて肥料成分が溶け出すように設計できるため、肥料をまく回数と使用量を大幅に減らせるという大きな恩恵を農家にもたらしてくれます。日本では水田の約6割でこの被覆肥料が使われています。

一般の肥料は作物に吸収されるのが約3割にとどまり、残りは土壌・水系に逃げやすい一方、被覆肥料は吸収率が約8割まで上がるとされています。また、肥料の使用量を減らせるので、土壌の富栄養化の防止にもなることがわかっています。
日本の農業では、担い手の高齢化と人手不足が急速に進んでいます。農業を主に担う基幹的農業従事者の数は、2000年には約240万人いましたが、以降は減り続け、2024年には約111万人と、約20年でほぼ半減しました。しかもその内訳は、65歳以上が71.7%、平均年齢は69.2歳という状況です。
こうした深刻な人手不足の現場では、追肥の手間を省ける被覆肥料の価値がますます大きくなっています。田植えの際に一度まくだけで、稲の生育に合わせて肥料成分がじわじわ溶け出す仕組みは、少人数で広い農地を管理しなければならない農家にとって、まさに欠かせないものです。農業の現場の実情を知れば知るほど、被覆肥料を単純に「やめればいい」とは言えない事情が見えてきます。

便利さの代償──殻は残り続ける
しかし、その貢献の裏で、問題も大きくなっています。
被覆肥料は、ポリエチレンやポリウレタンでできた殻で覆われています。この殻は、中身の肥料が溶け出したあとも、分解されずに地中に残ってしまい、それが河川や海に流れ出せば、いずれマイクロプラスチック化していきます。
近年では、水田の代かきの方法の工夫(浅水代かき)や排水口付近に網などを設置し、殻を捕集することなどにより、流出が減り水田にとどまる傾向にあるとのことですが、殻が自然界に残留するという根本的な問題は解決されていません。肥料を減らしたいがプラ汚染は増やしたくない。被覆肥料の代替品もなかなか見つからない。これが現在の状況です。
この問題に対し、世界で最も踏み込んだ規制を打ち出したのがEUです。2023年、EUはマイクロプラスチック規制を発効させました。この規制によると、2028年には被覆肥料の使用が原則禁止となります。
ムーンショットでは、生分解性プラスチックの開発・研究を進めています。肥料や農薬をコーティングしている樹脂を生分解性素材に置き換えれば、問題解決に大きく近づきます。技術開発のポイントは「放出の制御」と「分解の制御」を両立させることです。
相反する特性を両立させる
このプロジェクトで特に注目しているのが、PBS(ポリブチレンサクシネート)です。
PBSは、コハク酸と1,4ブタンジオールという原料からつくられる生分解性のポリエステルで、土中の微生物によって水と二酸化炭素に分解されます。耐熱性や加工性がよく、環境への負荷を大幅に減らせる素材として世界的に注目されており、三菱ケミカルなどの国内メーカーが商業生産を行っています。
ただし、PBSには被覆肥料の素材として使うにあたって、大きく二つの壁があります。
一つ目は「引き裂き物性」の問題です。
PBSは柔軟性があるように見えますが、一度小さな穴や亀裂が入ると、そこから一気に破れてしまう性質があります。これは「引き裂き物性が低い」という言い方をしますが、被覆肥料の観点からは非常に困った特性です。コーティングに穴が開いた瞬間に肥料が一気に溶け出してしまい、「じわじわ放出(徐放)」という被覆肥料の最大の利点が失われてしまうのです。
二つ目は「防湿性」の問題です。被覆肥料のコーティング材には、水をゆっくりと通す適度な防湿性が求められます。ポリエチレンやポリウレタンは水を通しにくい素材なので、内部にゆっくりと水が浸透し、じわじわと肥料成分が溶け出します。
この防湿性の問題があると何が起きるか。田植え後に水を張った水田にPBSコーティングの被覆肥料をまくと、PBSが急激に水を吸い込み、内部が膨張して殻が破裂してしまいます。肥料が一気に溶け出してしまえば、稲の成長期に合わせた「徐放」という仕組みが成立しません。これは、被覆肥料としての根本的な機能不全を意味します。
現在、ムーンショットではこの防湿性と引き裂き物性の問題を同時に解決すべく、PBS素材の改良に取り組んでいます。生分解性を保ちながら防湿性と引き裂き強度を高めるという、相反する要求を同時に満たす素材を見つけることが、この開発の核心にあります。
伊藤耕三(著)/日経BP/2750円(税込み)
