米澤穂信著『 談話室米澤 』(日本経済新聞出版)は、今年デビュー25周年を迎えたミステリ作家・米澤穂信さんのエッセイ集です。タイトルの「談話室」ほか、「キッチン」「半個室」「電話台」などの章に分かれています。第一章の「談話室」は、2022年に日本経済新聞に連載したエッセイで構成されています。

〈一・談話室〉
 ここには、2022年7月から12月にかけて日本経済新聞夕刊「プロムナード」欄に掲載されたエッセイを収録する。「最適解」のみ初出だが、これは行き違いで一回分多く書いてしまったものを、今回のために掘り起こした。「プロムナード」のご依頼を受けたとき、私は担当記者氏に、もっぱら生活雑記風の柔らかいものがいいか、調べ物などを盛り込んだ硬いものがいいか尋ねた。後者が望ましいという返答を得て、私は嬉しくも意外だった。そうとなればと覚悟を決めたが、とはいえ硬くなりすぎないよう、ふだんの文章を心掛けていた。後日、他社の編集者氏に、なぜ私の「プロムナード」は硬いのかと尋ねられた。私は答えたものだ──それがご依頼だったんです!

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ここで頼まなかったら、どこで硬いエッセイを読める?

 「担当記者」氏は、なぜ硬いものを望んだのか? 単行本化のこの機会に、当の日本経済新聞記者・くらし経済グループの河井萌さんに聞いてみました。

河井さん、米澤穂信さんの「プロムナード」が本になりました!

日本経済新聞 くらし経済グループ・河井萌記者(以下、河井) とてもうれしいです。私にお話できることなら何でも聞いてください。

ではさっそく。なぜ「硬いもの」をリクエストされたのでしょう。

河井 もちろん、すごく悩みました。半年間と長期ですし、柔らかいもののほうが読者に喜んでもらえるかな、とも考えました。でも、ここで頼まなかったら、米澤さんの硬いエッセイをどこで読める? と、最終的に「硬いもの」をお願いしました。

なるほど。では、河井さんの印象深い一篇を挙げていただけますか。

河井 たくさんあって絞るのは難しいのですが……ひとつ選ぶなら、〈落穂拾いと地の掟〉です。

〈落穂拾いと地の掟〉

 先日、訳あって『アブナー伯父の事件簿』(菊池光訳)を読み返しました。著者はM・D・ポースト、優れたミステリであると同時に初期アメリカの精神性、特にキリスト教精神との結びつきが読み取れる、極めて興味深い小説です。

 再読の中で私は、思いがけない文章に出会いました。「地の掟」と題された短篇に、こう書かれていたのです。

大地は、刈り入れることは許してくれるが、落穂拾いは許さない。人は麦の穂を一つ残らず拾い集めてはならないのだ。(中略)そのことは聖書に書いてある。

 そこで旧約聖書に当たると、確かにそのようにありました。

汝らの地の穀物を穫ときは汝その穫るにのぞみて汝の田野の隅々までをことごとく穫つくすべからず又汝の穀物の遺穂を拾ふべからず
(「レビ記」二十三章二十二節)

 それは何故なのか。レビ記はこう続けます。

之を貧しき者と客旅とに遺しおくべし

 落穂は困っている人の取り分である、というのです。ルツ記では、実際に落穂を拾って命を繫ぐ女性が描かれます。

ジャン=フランソワ・ミレー《落穂拾い》1857年 背景には山のように積まれた豊かな実りが見える。「落ち穂」は畑を持たない農民のために残されていたことを描いている。 © Musée d'Orsay, Dist. GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF
ジャン=フランソワ・ミレー《落穂拾い》1857年 背景には山のように積まれた豊かな実りが見える。「落ち穂」は畑を持たない農民のために残されていたことを描いている。 © Musée d'Orsay, Dist. GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF
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 これは聖書ならではの考え方かというとそうではなく、詩経の小雅、大田という詩に、ほとんど同じ内容があります。

彼有不穫穉 此有不斂穧
彼有遺秉  此有滯穗
伊寡婦之利


 おおむねこんな意味になるでしょう。むこうに穫らなかった未熟な稲、こちらに拾わなかった刈り稲、あっちに置きっぱなしの稲束、こっちに落穂、これらは寡婦のものだ――と。

 では、日本ではどうだったか。伊勢物語の五八段では、刈り入れを指揮する男を女たちがからかいます。落穂を拾いましょうという女たちに、男は歌を詠みます。

うちわびて落穂ひろふと聞かませばわれも田づらに行かましものを

 坂口由美子氏は、「あなた方が暮らしに困り果てて落ち穂を拾うと聞くならば、私も田んぼへ行きたいものですが(でもお困りのはずはないから、私は行きませんよ)」と訳しています。ここでも、暮らしに困った人が落穂を拾うことは、習俗として認められていることが窺えます。

 こうなりますと、大地に種まき、実りを刈り入れて生きる民のあいだで、落穂は困窮者の取り分である――すなわち耕作者のものではないという常識は、広く共有されていたように思われてきます。であれば、耕作者がそれを拾うことは貪りと見なされたでしょう。実際、ポーストの「地の掟」では、度を越した吝嗇家がこう非難されます。

何びとも、大地を使いながら作物をすべて一人占めにしてはならないことは、わかっている。
そんなことをしようとした人間はいないが、おまえだけは、やろうとした!


 そういえば、こんなことがありました。

 私の祖父は、生涯を米作りに捧げました。病に侵され、弱音を口にするところなど想像も出来なかった彼ですら耐えかねる痛みに襲われながら、祖父はその年の米だけは作らねばならないと働き続け、仕事を済まして世を去りました。私は幼い頃、この祖父を手伝おうとして、拒まれたことがあります。収穫後の刈り田で落穂を拾っていたところ、祖父は柔らかな物言いで、それはしなくてもいいと言ったのです。私は不服でした――しかし、いまならわかる気がします。

 祖父は、実りをすべて穫り尽くすことに、何かしらよくないものを感じていたのでしょう。旧約聖書によってではなく、詩経によってでもなく、大地の実りによって生涯を送った人間の、それが自然な皮膚感覚だったのではないでしょうか。

 いまとなっては真意を聞く術もありません。ただ小説の一文に祖父の面影を見て、あの秋の日を懐かしく思うばかりです。


米国ミステリに始まり、旧約聖書、詩経、伊勢物語と、文化も時空も横断しての調べる楽しさがぎゅっと詰まったエッセイですよね。

河井 そして最後には、おじいさまのお話が出てきて。米澤さんの小さなころが頭に浮かびました。

作者本人の姿が想像できるのは、小説家が書くエッセイの醍醐味でもありますよね。その観点から印象深いものはありますか。

河井 これもいろいろあるのですが、〈そこにマイセン〉を挙げたいと思います。

文/桂 星子(日本経済新聞文化グループ兼日経BP第1編集部) 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子

日本で三番目ぐらいにうまい麻婆豆腐を作り、丘の上の図書館に絶大な信頼を置き、スコーンを食べ比べ、私のものではない恋の思い出を持つ――。日本経済新聞連載「プロムナード」ほか、各媒体で執筆したエッセイを厳選して収録。『黒牢城』米澤穂信、デビュー25周年記念エッセイ集。

米澤穂信/日本経済新聞出版/1980円(税込み)