読書は人を成長させる、本を読む人は知的だ。そんな読書礼賛の価値観は、いつ、どのように生まれたのか。『 本とは何か 』(新潮新書)の著者で美学者の難波優輝さんに、「本を読むこと」をパフォーマンスとして捉える視点から話を聞いた。
美学者
『本とは何か』(新潮新書)を執筆されたきっかけを教えていただけますか。
自分は本を読むのが好きで、本屋さんに行くのも好きなのですが、最近読書論の本がいっぱいあるなあと不思議に思っていました。
文庫や新書、ビジネス、教養、実用書コーナーにもありますね。成功する人はこれを読んできたとか、ビジネスに効くとか、読書で差がつくとか。
本好きなので、読書が褒められていると悪い気はしないわけですが、違和感もありました。成功するための本の読み方とか、読書で人に差をつけようという発想って、ちょっと強い言い方をすると、なんかさもしいなあと思ったのです。はて、本ってそんなもののためにあったのかしらと。とはいえ、読書が役に立つと言っていること自体を、わざわざ否定することもないかなあと思っていました。
デビュー作を発売した後に書店さんにご挨拶に伺ったときに、別々の書店でお二人の方から同じことを言われました。「本を売っている身だけれど、読書ってそんなに偉いのか疑っています」「読書のすばらしさばっかり言う本に飽きてきたんですよね」と。
読書のポジティブキャンペーンばかりだけれど、自分が感じていた「読書って本当にいいことなのか」という疑問を、書店員さんも口にするのを聞いて、そのときからいつかこのテーマを書こうと決心がつきました。
本を読むことがいいことなのかどうかは、そもそも「本を読むとはどういうことなのか」が分からなかったら分からない。それで本を読むことってどういうことなんだろうと立ち返ってみることにしたんです。
本書で、「私たちが本を読む、ということは、本で何かパフォーマンスをしている、ということだ」としています。その見方はどうして生まれたのですか?
自分は音楽の演奏が好きで、ギターで弾き語りをすることも好きなのですが、楽譜があってコードがあって演奏するわけです。好きなミュージシャンが歌っている曲を、違うギターで自分の声で歌い直せる。違う人がカバーしたり、音楽好きがYouTubeで弾き語ったりして、1つの曲がさまざまな解釈、違うパフォーマンスで反復される。そこが音楽ってすてきだなってずっと思っていました。
でも、よくよく考えてみると、本も楽譜と一緒で、同じ本を全く同じように読むことはできなくて、同じ人の中でも読むたびに違っているんだなと感じていました。その後、私の愛する哲学者、ピーター・キヴィ(1934-2017)に出会いました。彼は読書を「パフォーマンス」だと言っている。自分が音楽を演奏するときにいいなと思っていたこと、本を読むときも構造は一緒だなと感じていた自分が哲学者の言葉と出合って、彼の理論と結びついたみたいな感じがありますね。
「最近、どんな本を読んだ」と聞くとき、何となく小説を前提にしていることが多かったり、本をたくさん読んでいる人は知的で、本が好きな子は賢い子という刷り込みがあったりするのですが、そういう思い込みはどこから来るのでしょう。
大人たちの期待によるものなのかなと、今ふと思いました。大人たちは小説、小説の中でも、ちょっとクラシックなものを読んでいるほうが何か良さそうみたいな思いがあるのかもしれないですね。本=知的のイメージがどこから来たのかは分からないですが、かつて高度経済成長のときには、客間に飾る百科事典が大層売れたと聞いています。
本が威信、威光であったというのは、もしかしたら、戦後の焼け野原から復興していくなかで、人々が文化の薫りのようなものを本に感じ、憧れを抱いていたのかしらとなんとなく思って。そういうある種、切ない憧れとか思念から、本を読んだほうがいいんじゃないかという思いが、親の世代から受け継がれてきているのかもしれないですね。その思いとか願い自体は善意から来ているようにも思います。でもそれに縛られて、これは賢くていい本、これは愚かでよくない本という捉え方をしてしまうのは、本の付き合い方として健全じゃないなあと思ったりします。
すると、どんなジャンルの本であれ、それぞれのパフォーマンスがあって、いい悪いはないということでしょうか。
パフォーマンスの価値を比較する尺度ってないと思いますね。バッハの曲とビートルズを比べられるかというと、生き方の問題になる気がするんです。何を美的にいいかは、自分の生き方とどれが響き合うかみたいなものだと思います。自分はバッハが大好きですし、アフリカンミュージックとか諸民族の音楽が好きで、いろんな時代に生きた音楽を聞くことでその時代の夢や悲しさを感じられていいなあと感じます。
他方で、アイドル曲が好きな人は、一緒に熱狂する祭りに参加する感覚が好きなのかもしれないですね。それは性格というか、その人のスタイルの話なので。みんながバッハを聴けばいいというわけでもない。そういう意味で、読書パフォーマンスが、いろんな音楽のジャンルと同じく、どっちがいいと言いたい人ももちろんいるし、自分の好きなパフォーマンスが一番偉いと人は言いたくなる、その気持ちは分かりますが、だからといってどれが偉いということではないんじゃないかなと思います。
本書で、読書のありようや効果について関心を高めた人に、お薦めの本があったら教えてください。
読書パフォーマンスは人によって違います。例えば、物語の中のより触覚的な、手触りのディテールを味わう読者がいたり、あるいは匂いを味わう読者がいたり、それこそ紙の匂いを味わう読者がいたり。良いパフォーマンスってなんだろうということを考えるときに、おすすめしたいのが『 嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む 』(ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ著、岩坂彰訳、みすず書房)です。いろんな読書パフォーマンスのありよう、多様性を楽しむことができる1冊。いろんな人が、いろんな読み方を共有できたら、もっと世界が広がるんじゃないかなと思いますね。
自分は本を読むことってそんなにいいことだったっけ? という疑問から本書を書きましたが、それに対して、定量的な研究でまとめられているのが、『 読書効果の科学 読書の“穏やかな”力を活かす3原則 』(猪原敬介著、京都大学学術出版会)です。読書が読み手にどんな効果をもたらすのかについて語りたい人、知りたい方におすすめしたいですね。結論は穏当なのですが、「ザ・研究」という根拠と正当性があり冷静な視点で紹介してくれています。自分は、変なことを言いたくなってしまうので、こういう本は書けません。やっぱり、大学の先生は偉いなという気持ちになる本です。
取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也




