「また平和教育ですか」……。太平洋戦争や原爆をテーマにした作品を生徒たちにぶつけると、こんな反応が返ってくることがあります。もう食傷気味だよ、ということなのか、今の中高生にはなかなかストレートには響きません。

 ところが、そんなちょっと斜に構えた子たちの心をもつかんで、ぐいぐいと引き込んでしまう作品がある。それが、こうの史代さんの漫画『 夕凪の街 桜の国 』(コアミックス)。私はこの作品を授業で取り上げています。

「こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』は、ちょっと斜に構えた子たちの心をもつかんで、ぐいぐいと引き込んでしまう」
「こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』は、ちょっと斜に構えた子たちの心をもつかんで、ぐいぐいと引き込んでしまう」
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 3編からなる短編集で、第1部「夕凪の街」は終戦から10年後の広島を舞台に、被爆者である平野皆実さんという女性のその後の人生を、第2部「桜の国(一)」と第3部「桜の国(二)」では被爆二世である皆実さんの姪を主人公に、時は流れても原爆が影を落とす日常が描かれます。

 この作品が素晴らしいのは、丁寧に描き込まれた緻密な作画のあちこちに、計算された伏線が仕掛けられ、それらががっちりと物語の世界を支えていること。

 授業では「夕凪の街」を読みながら、謎解きのごとく仕掛けを見つけ出し、それをつないでいきます。するとその過程で、作品の解釈がどんどん深まっていく。みんなで読み、想像力を巡らし、深く考え、伝え合う、とても豊かな時間になります。

森 大徳(もり ひろのり)。筑波大学附属駒場中・高等学校 国語科教諭。1982年生まれ。東京大学卒業後、同大学院ならびに東京学芸大学大学院修士課程修了。開成中学・高等学校教諭などを経て、2019年より母校の筑波大学附属駒場中・高等学校教諭。趣味は観劇で、前任校時代から演劇部顧問も務める。共編書に『中高生のための文章読本』(筑摩書房)がある
森 大徳(もり ひろのり)。筑波大学附属駒場中・高等学校 国語科教諭。1982年生まれ。東京大学卒業後、同大学院ならびに東京学芸大学大学院修士課程修了。開成中学・高等学校教諭などを経て、2019年より母校の筑波大学附属駒場中・高等学校教諭。趣味は観劇で、前任校時代から演劇部顧問も務める。共編書に『中高生のための文章読本』(筑摩書房)がある
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 例えば、物語の冒頭。半袖ワンピースを縫い上げた皆実の友達が、「皆実さんも半袖ワンピースを作ったらいいんじゃない? きっと似合うよ」みたいなことを言うんですね、すると皆実は周囲を驚かせるほど激しく拒絶します。

 一回り大きな活字で描かれた皆実のセリフ「ええ言うたら、ええんよ」。

 皆実さんは、どうしてこんなに強く拒絶したのかな?

 そう問いかけると、「貧しいから」とか「皆実さんは原爆で生き残ったことに対して罪の意識があるので、自分が幸せになっちゃいけないと思っているから」などいろいろな理由が出てきます。うん、それも理由かもしれない。

 そんなやり取りをしていくと、40人中3人か4人が、「腕に傷があるから」と気づく。原爆で逃げ惑う中で左手にやけどを負ったこと、その傷が今も残っていていつも隠していることが、他のページできちんと描かれているんです。

 この解釈が出てくると、ああ確かにそう表現されているね、と教室が納得感に包まれる。表現の一つ一つに理由があって、それを他の部分と連関させていくのですが、これは文学作品の読みと通じる部分がありますよね。こんな読み方を数え切れないほど体験させてくれるのがこの作品なのです。

「表現の一つ一つに理由があって、それを他の部分と連関させていく。こんな読み方を数え切れないほど体験させてくれるのがこの作品なのです」
「表現の一つ一つに理由があって、それを他の部分と連関させていく。こんな読み方を数え切れないほど体験させてくれるのがこの作品なのです」
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突然現れる空白の1ページ。この白紙は何を表しているんだ?

 皆実は、その後同僚の打越に恋心を打ち明けられ、10年前の心の傷を乗り越えて相思相愛になるのですが、その直後に原爆症を発症してしまいます。

 起き上がることのできなくなった皆実の目は次第に見えなくなり、意識も途切れ途切れに。フッと耳に入る見舞いにきた人の声、吐き気、痛み、握られた手の感触、「皆実」と呼ぶ声。

 そして夕凪の終わりを感じる皆実のセリフの後、突然現れる空白の1ページ。

 この白紙はなんなんだ? いったい何を表しているんだ? というところから発想して出てくるさまざまな意見や解釈。

「この白紙はなんなんだ? いったい何を表しているんだ? というところから発想して、出てくるさまざまな意見、解釈。唯一の正解があるわけではなく、様々な解釈の可能性に開かれています」
「この白紙はなんなんだ? いったい何を表しているんだ? というところから発想して、出てくるさまざまな意見、解釈。唯一の正解があるわけではなく、様々な解釈の可能性に開かれています」
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 すると「夕凪の街」の中扉に描かれた不思議なカットへの疑問が生徒たちの中で膨らんでいきます。描かれているのは、腕の傷を隠すことなく見せ、笑顔で川にたたずむ皆実の姿。皆実は腕の傷を隠して生きていたはず。物語上ありえないこのピースにはどんな意味があるんだろう?

 唯一の正解があるわけではなく、様々な解釈の可能性に開かれたページなのですが、僕が心を揺さぶられた解釈があります。それは、白紙のページの直前に描かれた、打越が川べりに座って川を眺めているコマに着目し、中扉に描かれているのは川を見つめている打越の心に映る皆実の姿だというもの。

 この解釈をとると、最後のページの打越の視線をたどって、読み手は最初の中扉に戻ることになる。「この物語はまだ終わりません」という語りが物語の最後のコマには入っているのですが、これは「記憶は永遠に保たれていく、彼の中では終わることがない」という意味につながるのではないか、と。

 よくそんな解釈にたどりつくなあと感心していたら、「エモい」という若者世代の表現を使って称賛する生徒もいました。

「中扉に描かれた不思議なカットのへの疑問が生徒たちの中で膨らんでいきます。物語上ありえないこのピースにはどんな意味があるんだろう?」
「中扉に描かれた不思議なカットのへの疑問が生徒たちの中で膨らんでいきます。物語上ありえないこのピースにはどんな意味があるんだろう?」
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やっぱり生徒ってすごいなと思わされてしまう

 ここから先、テーマを「その人を記憶していく」ことの意味へと広げ、授業では、補助線として、石原吉郎という詩人の文章を読みます。

 石原吉郎は、若くして召集され、シベリアの日本軍捕虜収容所に8年も抑留されるという壮絶な経験をしています。囚人番号を付され、苛酷な状況の中で一人、また一人と死んでいく。生きている人間も、その人間性を日々奪われていく。そういう中で死にひんした人間にとって唯一自分を確認するものは名前であり、死者は、集団の中の番号ではなく、その名前を呼ばれなければならない。そういった文章を読むわけです。

「テーマを『その人を記憶していく』ということの意味へと広げ、補助線として、石原吉郎という詩人の文章を読みます」
「テーマを『その人を記憶していく』ということの意味へと広げ、補助線として、石原吉郎という詩人の文章を読みます」
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 ここで僕はいつも、やっぱり生徒ってすごいなと思わされてしまう。というのは、石原吉郎の難解な文章と『夕凪の街 桜の国』とを重ね合わせ、皆実が最期にきちんと名前を呼んでもらうカットがあることに気づき、その意味について深く考え発言する生徒が出てくるから。クラスメートのその言葉を聞き、名前を呼ばれることの意味をそれぞれがまた考える、それは何物にも代えがたい本当に貴重な時間だと思います。

 筑駒(筑波大学附属駒場中・高等学校)には将来、人命を扱う職業につく生徒が一定数いるし、大きな数字を処理したり、統計で集団全体を捉えたり、あるいはたくさんの人の人生に影響を与えるような意思決定を下したりする生徒も少なくありません。

 私たちは一人一人名前を持った人間として生き、そして死んでいきます。原爆での死者○○人、災害での死者○○人……と統計で考えてしまいがちですが、一人一人には名前があってそれぞれの人生がある。

 『夕凪の街 桜の国』はたくさんの発見がある作品ですが、こうして振り返って今改めて思います。自分は何よりもこのことを共有したくてこの作品を教室で読んでいるのだ、と。

「一人一人に名前があってそれぞれの人生がある。「この白紙はなんなんだ? いったい何を表しているんだ? というところから発想して、出てくるさまざまな意見、解釈。唯一の正解があるわけではなく、様々な解釈の可能性に開かれています]」
「一人一人に名前があってそれぞれの人生がある。こうして振り返って今改めて思います。自分は何よりもこのことを共有したくてこの作品を教室で読んでいるのだ、と」
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若い世代が読んでも今をどう生きるかのヒントが見つかる

 生と死を題材としたノンフィクション作品はたくさんありますが、名前を持った一人一人の生と死について考えさせてくれるのが、『 エンド・オブ・ライフ 』(佐々涼子著/集英社インターナショナル)です。

「佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』は名前を持った一人一人の生と死について考えさせてくれます」
「佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』は名前を持った一人一人の生と死について考えさせてくれます」
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 200人以上をみとってきた訪問看護師が、身体の異変に気づいたところから本書は始まります。膵臓(すいぞう)原発のがん・ステージⅣ。手術も放射線療法もできず、余命は短ければ半年。

 この本は、終末期医療のプロフェッショナルがどう人生を閉じるのかをたどりつつ、それまでに彼が訪問看護師として在宅医療で見送ってきた患者たちとその家族の姿が描き出されていきます。

 家族との最後の思い出を残そうと、潮干狩りに行きその日に亡くなったお母さん、みとりの瞬間、居合わせた人から自然に拍手が沸き起こった患者さん、一方で手のかかる患者に怒りをぶつけてしまう家族たち……。

 それぞれが終末期をいかに生きて最期を迎えたのか。死に方が照らし出すのは、その人がどう生きてきたかに他ならず、名前を持った一人一人の生がここにあります。

 「終末期」がピンとこない若い世代が読んでも、最期の瞬間までその人らしく生きていこうとする人たちの姿から、今をどう生きるかのヒントが見つかるのではないでしょうか。

 また、著者の佐々さん自身が難病の母を抱えており、献身的に介護する父とのエピソードも書かれているので、自分の生き方や家族とのかかわりを考えるきっかけにもなります。

「終末期がピンとこない若い世代が読んでも、最期の瞬間までその人らしく生きていこうとする人たちの姿から、今をどう生きるかのヒントが見つかるのではないでしょうか」
「終末期がピンとこない若い世代が読んでも、最期の瞬間までその人らしく生きていこうとする人たちの姿から、今をどう生きるかのヒントが見つかるのではないでしょうか」
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ノンフィクションと若い世代との出合いの場をつくりたい

 人は自分の物語を編みながら生きています。人生にうまくいかない時期はつきものだし、病気になってしまうこともある。大切なことは、そんなときに自分で納得のいく物語を編んでいけるかどうかだと思います。

 そのためのヒントを与えてくれたり、蓄えになったりするのが読書ではないでしょうか。特に『エンド・オブ・ライフ』のようなノンフィクションに描かれているのは、実際にこう生きたり考えたりした人間がいて、こういう物語が現実にあったということ。そういう物語に触れることは、これからの人生の支えになるのではないでしょうか。

 そんなノンフィクションと若い世代との出合いの場をつくりたいと考えて、他の学校の国語科の先生たちと一緒にまとめたのが『 中高生のための文章読本―読む力をつけるノンフィクション選 』(澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編/筑摩書房)です。

「『中高生のための文章読本―読む力をつけるノンフィクション選』は、ノンフィクションと若い世代との出合いの場をつくりたいと考えて、他の学校の国語の先生たちと一緒にまとめました」
「『中高生のための文章読本―読む力をつけるノンフィクション選』は、ノンフィクションと若い世代との出合いの場をつくりたいと考えて、他の学校の国語の先生たちと一緒にまとめました」
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 一番難しかったのは、紹介する本の絞り込みでした。でも苦労した甲斐あって、今の時代に読む価値のある書き手の作品をしっかり集めることができたと思います。

 出合いの動線をとにかく増やしたくて、本へのたどり着き方の具体的なノウハウや中高生向きノンフィクションレーベルの図解も付けました。お気に入りの一冊に出合うきっかけになったら、と願っています。

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取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也