「転職しない」ことも一つの戦略だ。企業が終身雇用を守れず、ジョブ型の働き方が推進されるなか、転職によるデメリットは確実に減ってきている。ただ、転職が身近になった今だからこそ、周りに流されず、自分にとって価値のある行動を見極める必要性も高まっている。転職を考えたときにまず知っておいてほしいポイントを、『生きづらい時代のキャリアデザインの教科書』(大垣尚司著、日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
長く勤めるにこしたことはない
これまでは、企業の側ができるだけ終身雇用を守ろうとしていた。一方で転職市場は流動性を欠くし、転職に伴うデメリットが大きいために、多少のことは我慢して同じ会社でがんばろうということになりがちであった。「石の上にも三年」という格言があるが、まあ、確かにそういうことはあったのである。
これに対し、現在は、長くいれば悪いようにはならないという要素は激減している。
ただし、わが国は無期雇用をした者を解雇することが非常に難しいから、従業員の側からあえて転職をしない限り、いつクビになるか分からないというリスクは非常に低い。以前はそのことが会社からみると負担だったが、ジョブ型に移行すればできない社員でも仕事なりのコストを支払えばよいだけになるから、業況が悪化したり特定の事業から撤退したり、といった特殊な事情がない限り、いたければ定年までいてもらえばよいし、法令上必要な再雇用もするよということになるわけである。
長く勤めれば、社内に人間関係もできあがって仕事をこなすのが楽になるし、少なくとも退職金や企業年金の金額も大きくなる。
その意味で結局同じことしかしないのなら、同じ会社に長く勤めるにこしたことはない。
ところが、昨今は、転職エージェントに気楽に登録できるし、昔のように経営者や管理職候補者だけでなく、一般社員にもスカウトのかかる時代なので、昔に比べると転職のハードルが下がっている。
このため、少し面白くないことがあったり、まだ経験が浅くて見えているものが少ないのに、自分だけの考えでこの勤め先は将来がないと思ったりすると、すぐに転職をする者が増えているようだ。
もちろん、それで有利になるなら「今どきの風潮」ということで構わないのだが、転職癖が付くと「引越貧乏」ならぬ「転職貧乏」みたいな感じになることが多い。わたしたちの頃はこれを「落ちていく転職」と呼んでいた。
しっかりと力がついて上を狙うのではなく、何となく今の職場が今一つと思って別の職場に移る場合、今の職場より少し「格落ち」のところでないと今より良い条件がもらえず、移ってみると今一つの感じがかえって強まって、また、同じような転職を繰り返してしまう現象である。今でも同様の現象はあるのではないかと思う。このスパイラルにはまると抜け出すのが難しくなるから気をつけてほしい。
仕事というのは、自分でお金を払う学校と違って、それをしてお金をもらうわけなので、基本的に楽しくない。楽しくないからお金をくれるのであって、仮に仕事が楽しければその部分は余録と思ったほうがよい。どんなに好きなことでも、それを仕事にすると、お金がからんできて面白くない要素が必ず付きまとうようになる。
本当に転職をする場合には、仕事ってどこでやってもそんなに楽しいものではないということを踏まえた上で、それでも転職するのはなぜかということをしっかり考えないと、結果的にはあまりメリットのない転職をしてしまうことになる。
転職エージェントは転職するほど儲かる
さらに、転職の斡旋(あっせん)そのものがビジネスになっているため、自分自身が「商品」として企業のお金儲(もう)けのネタになっているということも意識しておいたほうがよいだろう。連載 第1回 で入社7年目には転職エージェントに登録して自分の値段を確かめようと言ったことと矛盾するようだが、自分の価値を客観的に知ることと、転職情報に踊らされることは違うのでしっかりと意識を持っておく必要がある。
いわゆるヘッドハンターと呼ばれる偉い人を対象としたプレースメントエージェントの場合、成功報酬のほかに、リテイナーフィー(retainerfee)といって候補者を探す段階から手数料をとる(最終的に候補者が決まらないでも返さない)ことが多い。
これに対して、みなさんを対象とした転職エージェントは成功報酬型、つまり、転職が決まって初めて基準賞与や諸手当も含んだみなさんの初年度の想定年俸の30~35%といった報酬をとる。
そこで、みなさんが転職エージェントになったと想像して、自分の業績を上げるにはどういうことをしがちかを考えてみよう。
まず、転職エージェントの担当者は、成功報酬なので転職先についてある程度のアドバイスはするものの、お金儲けだから、決まりそうならさっさと決めたいという思いがどうしても強くなる。この弊害をなくすために、みなさん側の相談相手となる担当者と会社側と接触する営業担当者を分けているところも増えているようだ。
もう一つは、みなさんが一つの会社に勤める期間が短くなって転職頻度が増えれば増えるほど、報酬をもらえる機会が増えて儲かるということだ。
このため、みなさん側の相談相手になって親しくなった担当者は、無理に転職させるということまではしないとしても、転職後もみなさんと接触して、次の転職ニーズをとったり、スカウト制と称して、転職先の会社を紹介したりして、動くなら確実にニーズを押さえたいという思いが強くなる。
あまつさえネットに情報があふれている上、具体的な転職情報が増えれば、どうしても気に迷いが生じやすい。
もちろん、みなさんの側に立って親身になってくれる人が大半だとは思うが、エージェントをやっている人もまた、何件斡旋したかで賞与や昇進が決まる、みなさんと同じサラリーマンだということを頭の片隅に置いておいたほうがよい。
先に述べたように、職場というのは変えずにすむなら、できるだけ長くいたほうが通常はメリットが大きい。転職エージェントは自分に転職ニーズが生じたときだけ接触するようにしたほうがよいかもしれない。
「うずき」と“Look at me”
わたしが30代前後の頃は、今みたいな転職市場はないが、まだ日本が元気だったので外資系企業がどんどん日本に出てきており、外資系企業に転職すれば目先の給料がものすごく上がった。
それで、留学のときに知り合った外資系企業の偉い人に、「自分は最先端の分野でそれなりに名前が売れてきているのだけれど、今の会社ではそういうので偉くなることはない。そっちだと本当に実力勝負だし、何もせず偉いだけのおじいさんみたいな人はいないからガンガンやれると思うのですが」と自分を売り込んだことがある。
ところが、その人は「大垣さん、確かにあなたのような人は喉から手が出るほど欲しい。でも、お見受けしたところ、あなたの感じはまだ自分の会社に自分を認めてほしい“Look at me”だよ。その感じでこっちにきても生き延びられない可能性が高い。ほんとに転職するときは『うずき』が生じてあまり悩まずに先に体が動く。うずいたら電話してよ。すぐに来てもらうから」と言われた。
今にして思えばすごく親切な人だったと思うし、“Look at me”と言われてハッとするところがあった。そして、今から思うと確かにその時点では動かなくて正解だった。
教え子や後輩から転職の相談を受けるときわたしがそれとなくチェックするのは、この「うずきかLook at meか」という点である(それ以外に“Help me”のこともあるがこれは全く別の話になる)。
「うずき」があるなら、もはや相談というよりは、事後報告に近いから内心どうかなと思ってもとにかく背中を押す。一方、“Look at me”かなと思ったときは、その人の力を認めてあげながら、本当のところは何が不満なのかを探って、そこに共感してあげる。その上で、その人が正当に評価されない事情を一緒に考えながら、転職でキャリアアップする話なのか、今の職場でできる工夫がある話なのかを確認していく。
なお、“Look at me”のときにすぐに転職エージェントと接触すると、相手は基本的に転職をさせて報酬をもらうのが仕事の人たちなので、もったいないタイミングで動かされてしまうリスクがある。できればその前に「うずき」か“Look at me”かを自己分析してみてほしい。
転職はジョブを磨くためにする
日本式のジョブ型では、企業側が残ってほしいと思う者だけが、メンバーシップ路線を維持して組織にコミットして頂点をめざす。英語ではこういうステータスを“tenure”(終身メンバー)という。
メンバーシップ型の時代は、基本的に全職員が当然にtenureだった。
しかし、ジョブ型の時代には、自主的にジョブ型路線をとる者はもちろん、メンバーシップ路線で上をめざす者も、組織に身を捧(ささ)げたから当然にtenureを獲得できるとは限らない。むしろ、「いつでも他に移れる能力・実績がある」ことにより「引き留めてもらえる」立場を確保することができる。
ちょっと逆説的だが、会社に長くいたいなら、メンバーシップ路線でいくとしても、いつでも転職できる力を蓄えておく必要があるということだ。
この場合、すでに述べたように、企業の側はコストのかかるメンバーシップ型を維持できないと言っているだけで、ジョブ型について明確な意識を持っているわけではない。
ただ、メンバーシップ型だからこそ可能であった、長い目でいろいろな部署で経験を積みながら座学では学べない営業力や技術・専門性を身に付けていくという日本企業の教育能力は、確実かつ急速に低下・消失している。
目の前の仕事をこなすために必要な研修のようなものは「人材育成の強化」といったスローガンの下に細かくたくさん用意されているが、それだけでは本当の仕事の力は身に付かない。
このため、ジョブ型路線・メンバーシップ路線のどちらの路線で行くかにかかわらず、あらゆる機会を積極的に活用して主体的にジョブを磨き、自分自身に投資していく必要がある。この場合、ビジネススクールのような外部の教育機関に通うという方法は、仕事と両立させるのが時間的にきつい。
メンバーシップ型が主体のときは、今の会社で上に上がるために座学で勉強するという発想だったが、ジョブ型が主体になるとすれば、戦略的・主体的に転職をして仕事自体を通じて知見を高めるという発想に転換したほうが、実践的かつ効率的である。考えてみれば、伝統的メンバーシップ型における社内ローテーションにはそういう効果があったわけである。
このように、転職を、ジョブを磨くための一つの手段と位置付けにすると自然と良い転職につながる。今が面白くないから転職するのではなく、今をもっと面白くするために場所を転ずるという発想で転職を考えることでジョブが磨かれると同時に、前述した「落ちていく転職」を避けることができるわけである。
大垣尚司著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)


