韓国で「泣けるビジネス書」として話題になった『 会社のためではなく、自分のために働く、ということ(日経ビジネス人文庫) 』(チェ・イナ著、中川里沙訳)。父の死をきっかけに「ワークライフバランス」を見直すことになった著者が伝えたいこととは。本文抜粋の第3回。
40歳を超えると時間の感じ方が変わる
日常を見なおすきっかけは、不在や欠乏から得られる。隣にいた人がいなくなるとその人の存在が大きく感じられ、いまいる場所から離れるとその場所の意味がはっきりとする。
時間も代表的な例だ。若いときは時間が有り余っているので、時間の欠乏を感じにくい。ところが40歳を越えると話は別だ。年を取るとは時間が減ることだという言葉の意味が身に染みる。とくに近しい人の「死」を経験したとき、時間の重さを実感する。
数年前、父が亡くなった。90歳を越えていたから、周囲の人は大往生を遂げた、天寿を全うしたと言ったけれど、親の死はいくつになってもつらいものだ。
父は夏の終わりのある日、ひどい腹痛を訴えて病院に運ばれた。CTを撮ると胆石が見つかった。高齢のため全身麻酔手術に代わってチューブを挿入する手術をした。手術は成功し、2週間ほどして胆石による胆嚢炎はすっかり治った。
ところが別の大問題が起きた。食事を飲み込めなくなってしまったのだ。食事はおろか水も飲み込めず、水を口にしただけで咳き込んだ。食べ物が気道に入ると肺炎にかかりやすくなり、それが直接の死因になる場合も多いという。病院側は経管栄養を勧めたが、父は最後の瞬間まで意識がはっきりしていたので、経管栄養を頑なに拒否し、45日間点滴だけを受けた。
高齢であるうえ、気力が弱っていたから冬を越せるかどうか心配していたが、父は翌年の秋まで治療を続けた。しかし、とうとう恐れていた瞬間が訪れる。
私が病室に駆けつけたとき、父は目を閉じていた。というより、目を開ける気力がないようだった。手を握るとすでに冷たく、足先も、脛も冷たかった。でも胸元と首の後ろは温かかった。人の五感のうち、最後まで残るのは聴力だという話を思い出し、私は父の耳元でささやいた。「お父さん、会いにきましたよ。目を開けてください」
私たちの不安そうな声が聞こえたのか、父は目を開けようと力を振り絞ったけれど、まぶたは震えるだけで簡単には開かなかった。なんとかまぶたの3分の1が開いて瞳が見えたけれど、残りのまぶたは開かれないまま、それから数時間後に父は亡くなった。
父の生命の糸は、持病のせいである日突然ぷつりと切れたわけではなかった。少しずつ細くなり、切れてしまった。「息絶える」「息を引き取る」「息が止まる」のような言葉は比喩でもなんでもなかった。以前、ピラティスの先生が、呼吸の大切さを強調しながら「死ぬのは難しいことじゃありません。吸い込んだ息を吐き出せないと死んでしまうんです」と言っていたのだが、まさに父がそうだった。ゆっくりと息を引き取った。
亡くなった父親のことで後悔したこと
葬儀場は思ったより閑散としていた。コロナ禍だったうえ、家族葬を選んだこともあって遺族も思ったよりゆっくりできた。図らずも考える時間が増えた私は、閑散とした葬儀場で、火葬場で、納骨を終えた帰り道、そして父を見送ってからの数日間、ずっと考えていた。父はどんな人だったのだろうか、父は私をどんな人だと思っていたのだろうか、私たちは互いをどれほど理解していたのだろうか。
振り返ってみると、大人になってから父と過ごした時間はほとんどない。社会人になってからはなおさらだった。当時はワークライフバランスという概念さえなかったから残業は日常だったし、休日出勤も多かった。私は下宿生も同然だった。プロジェクトを終えて時間ができると、寝溜めしたり、友だちに会ったり、旅行に行ったりした。ぎっしり詰まったタイムテーブルに、両親と過ごす時間は入っていなかった。
私たちはそもそも仲睦まじい父と娘ではなかったので、必要な話以外は言葉を交わすことさえなかった。母いわく父は無愛想な人で、私は父に人生相談をすることも、好きなものを共有することもなかった。同じ苗字を持っていることと、私が父の娘であること以外に、私たちは互いについてどれほど知っていたんだろうか。
私はあれほどたくさんの時間を誰と、何をして過ごしていたんだろうか。いまなお考えつづけている。
父が亡くなってすぐは、あまり悲しいと思わなかった。亡くなったとき、入棺するとき、火葬するとき、葬儀が進むたびに涙は出たけれど胸が締めつけられたりはしなかった。でも、悲しみは時間がたてばたつほど染みわたるのだろうか。
ふとした瞬間に父を思い出し、父の死が、不在が感じられた。中折れ帽子を被る老人を見かけたとき、父の好物だったピリ辛のチゲ鍋を食べるとき、父の声やイントネーションにそっくりな弟の声を聞くとき、父がここにいないことを実感する。
とくに一緒に過ごした時間が少ないせいで、思い出が少ないという事実が私の胸を締めつける。いまさら後悔しても遅いけれど、私は慰めの言葉をかけてくれる知人たちにこう声をかけた。
「できるだけ両親と一緒に時間を過ごしてください。思い出もたくさんつくってください。時間は多くありません」
大切な時間を大切な人たちと
「ダイナミックコリア[金大中大統領のもとで打ち出された、韓国のブランドをアピールするスローガン]」に象徴される韓国社会では、人々がよく使う言葉、あるいはそうでない言葉もスピーディーに変化する。
ここ数年で「ワークライフバランス」の概念が急速に広まり、とくに若い人のあいだで大きな反響を呼んでいる。これからは働き方を変えようというのだ。「アフター5」という言葉に代表されるように、仕事が人生のすべてではないから、別の楽しみを見つけようというのである。これまでは、平日はプライベートを楽しむのも難しいほど仕事に追われていたから、まずは仕事と人生を切り離し、仕事から抜け出すべきだと考えたのだろう。
昔は仕事と人生が一緒くたになって、仕事がすなわち人生である場合が多かったから。ところが一部の人は、ワークライフバランスと聞くと、仕事と人生を切り離すどころか、仕事は人生ではないかのように振る舞う。ずいぶん極端な立場だ。しかし、仕事はさまざまな意味をもつ人生の重要な軸だ。よってワークライフバランスとは、人生が仕事で埋もれないようにバランスを保つという意味になる。これを天秤で表すなら、仕事の反対側には関係、とくに大切な人との関係を置くべきだ。家族、友人、自分自身など、時間をかけて十分な関係を築くべき人たちとの。
父が亡くなってから、私は暇さえあれば、両親との時間を大切にしなさいと後輩たちに話している。おとといも、〈チェ・イナ本屋〉のマネージャーに「友だちと3回旅行に行くんだったら、そのうち1回は母親と行きなさい」と話したばかりだ。
母も年を取ってからはベッドで横になっている時間が増えたのだが、彼女はしきりに旅行の話をしていた。一緒にハワイに行った話、北海道に行って吹雪に吹かれた話、済州島でおいしい海鮮物を食べた話、漢江公園を歩いた話。母は記憶に生かされているようだった。
忙しいときには気づかないけれど、スランプが来たり、人生の節目を迎えたりすると、否応なしにそれ以降の人生について考えさせられる。とくに40歳を越えると「これからの人生、このままでいいんだろうか、あるいは変えるべき? 変えるとしたら何を変えればいいんだろう」といった疑問の数々が目の前に立ちふさがり、その後も何度も私たちの前に現れる。
今後、もしまたこの問いに悩まされたら、ワークライフバランスを思い出すつもりだ。仕事が好きで仕事を優先して生きてきたけれど、天秤のもう片方にもきちんと目を向けようと思う。ワークライフバランスの本当の意味は、「仕事と人生を切り離そう」ではなく「大切な人と一緒に人生を歩もう」なのではないだろうか。あなたも後悔しないように、大切な人たちと、よりたくさんの時間を過ごしてほしい。
チェ・イナ著、中川里沙訳、日本経済新聞出版、1210円(税込み)



