「伝わる」言葉、文章を生み出すために、小説家はどんなことを考えているのだろう。『ゲームの王国』『地図と拳』『君のクイズ』などのヒット作を生み出し、今最も注目を浴びる小説家のひとり小川哲さんが、頭の中にあるものを言語化するための「思考術」をつづった『言語化するための小説思考』(講談社)が刊行された。小説を書くこと、言語化するために必要なこと、そして「小説思考」をビジネスパーソンはどのように生かすことができるのか。小川哲さんに聞いた。
人それぞれが持つ「法律」の違いに気付く
『 言語化するための小説思考 』では、小説を書く技法としての「小説法」ではなく、小説を書く人それぞれが採用している独自のルールや価値観「小説国の法律」=「小説法」について触れています。小説法という考え方はいつから持っていた視点ですか?
作家としてデビューした後、編集者や他の作家と接する中で、自分はかなり他の人たちと価値観や考え方など、「法体系」が違うと思いました。それを法と表現したのがいつごろだったのかは分からないですが、あえて言語化すると法律に近いだろうな、と。小説を書く人や読者が採用している独自のルールや価値観があるから、同じ小説について話していても、話が食い違ったり、同じ部分を美点と捉えたり欠点と捉えたりする。その評価の違いはその人の法律が違うからなのだろう、みたいなことはずっと感じていましたね。
デビューする前は、自分の「国」の法律しか知らなかったので、いろんな発見がありました。そんな法律があるんだ、みたいな。

デビュー前は研究者としてアカデミアの世界にいたわけですが、そのときに身の回りにあった「法律」と一番の違いはどこですか。
びっくりしたのは「共感」というものの捉え方ですね。研究者、アカデミアの世界では、共感という要素はあまり重視されず、自分の知的好奇心をベースに話を組み立てていくことが多いように思います。ですから、読み手の人に共感してもらうというのは、僕の発想になかったし、研究者の中でもそういうことを考えている人はあまりいないと思います。
しかし、小説の場合は登場人物の誰に共感するとか、語り手の気持ちが分かるとかを、重要なツールとして小説を読む手掛かりにしている人が思っていた以上に多かった。それが一番びっくりしたことでしたね。
エゴで書く文章はいらない
「僕が生まれて初めて小説を書き上げた後、最初にやった推敲は『自分のために存在している文章』をすべて削除することだった」と書かれています。作者の表現したいことと、エゴで書かれている文章の違いはどこにあるのでしょう?
表現は読者に伝わって初めて成立します。言いたいことや伝えたいことがあっても、伝わるように書かなかったら、それは宙に浮いたまま表現できていない状態。赤の他人が何を知っているのか、いかに伝えるか、どう書けば分かってもらえるのかは、「表現しようと思うときに、同時に著者が考えていることだ」と僕は思います。常にそこには相手――それは実体がなくてもいいし、顔が見えている必要はないのですが――、伝える相手が存在する。日記ではなく、一般に公開する文章表現には常に働いている力学だと思っています。
小説は「作者が何を表現したか」ではなく「読者が何を受け取ったか」によって価値が決まる。その機能として邪魔なものは「自分のための文章」であって、それらを削るのは僕の考え方では当然のことなのです。
ビジネスパーソンが企画書や報告書、提案書など文章を作る時も同じですね。
全く同じだと思います。だから、記事を書くのが上手だったり、ビジネスがうまくいっていたりする人は、伝えたいこととどうすれば分かってもらえるのか、誰に向かって伝えるのかをきちんと考えて実践している。自分をこう見られたいではなく、企画や仕事の依頼に対してベストな選択を取れているのかなと思いますね。
なんでも小説に見えてしまう「職業病」を意識する
「なんでも小説に見えてしまう悪癖がある」そうですが、それはいつから?
小説家として生活するようになってからです。大学院生の時は自分の研究テーマがあったので、その時期はなんでも自分の研究テーマに見えてしまう感じでした。恐らく小説家に限らず、仕事をされている方ってそういう職業病というか、みんなあるんじゃないかなと思います。
職業病を意識しているか・していないかによって解像度も、見る力も違ってきそうです。
そうですね。自分が見るものが小説に見えてしまうときに、脳内で何が起こっているのかを理解しておくと、自分がどういうものを小説と見なしやすいのかとか、どういうものに注目する傾向にあるのかとかが分かってきます。そうすると、どこに注目するかの精度がどんどん上がってくるのではないかなと思いますね。同じことはどんな仕事をしている方にもいえるのではないでしょうか。
何をしているか分からない時とか、自分自身の行動の根拠が自分で分かっていない時は、小説のネタだったり、ビジネスのアイデアだったりには出合いにくいし、意識した方が見逃しにくくなるのかなという気はします。
そういうことを意識していたら、「クレープは卵と薄力粉でできているが、小説における卵と薄力粉はなんだろうか――そんなことを考えたり考えなかったりする」ようになりますか。
クレープで考えるのは冗談ですよ。でも例えばクレープ屋さんの行列に並んでいる人がいて、この人たちはクレープの味が好きで並んでいるのか、クレープの見た目をインスタグラムにアップするのが人気だから並んでいるのか、あるいはテレビで紹介されて気になったからなのか、いろんな目的でクレープ屋さんに行く人がいるわけですよね。
小説を買う人も、そのきっかけは小説の中身が好きなのか、好きな作家なのか、あるいは装丁が好きなのか、メディアの書評で紹介されたからなのか、いろんな理由があるはずです。そういうふうに世の中の事象を自分の仕事に分解して考えることは、可能ではあると思いますね。そうすると、小説の内側からだけで見ていると気付かない視点に気付くことができると思います。
取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
