その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は楠木建さん、山口周さんの『 知的生産のセンス 』です。
【はじめに】
スキルのデフレとセンスのインフレ
2019年に山口周さんと『「仕事ができる」とはどういうことか?』(宝島社、2021年に同社新書に収録)という本を書きました。
仕事の「センス」を「スキル」との対比で論じる──これが前著のテーマでした。「あれができる・これができる」と言っているうちはまだまだ。スキルを超えたところにあるセンスとしか言いようのないものが仕事能力の根幹にある。ところが、世の中の人々の興味関心はスキルのほうへと傾いていく。スキルは測定できる。見せることができる。「こうやったらできるようになる」という方法も用意されている。スキルを優先する結果、センスが劣後する──。「プレゼンのスキルは非常に高いのに、話がまったく面白くない人」「ファイナンスの知識は完璧なのに、いざというときに資金調達ができない人」──センスはスキルを超えたところにあります。
梅棹忠夫氏の名著『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)は具体的な知的生産の方法論を提示し、広範な読者を獲得しました。タイトルが示す通り、この本は知的生産を技術(=スキル)の体系としてとらえています。どのように情報を収集・整理し、どのように発想し、どのように他者に分かるように伝えるのかというスキルを伝授するものでした。
一方のセンスはその人に固有の判断と選択、さらにはその背後にある基準を問題にしています。どの情報に注意を振り向け、そのうちの何を記憶し、何について考え、何を他者に向けて発信するか。知的生産は大小さまざまな判断と選択の連続です。裏返せば、知的生産は「捨象」の連続でもあります。どの情報には注意を振り向けないか、何を溜め込まないようにするか、自分にとって思考し発信する意味や価値がないものは何か。情報が氾濫する今、こうした判断が知的生産の中で重みを増しています。
『知的生産の技術』の刊行から半世紀以上が経ち、インターネットや生成AIなどのテクノロジーの登場で、知的生産の焦点と人間の役割は大きく変わりました。山口周さんとの前著の結論は「スキルのデフレとセンスのインフレ」です。個人の仕事能力におけるスキルの価値が低下し、その分センスの比重が大きくなる。本書はその続編です。
生成AIに限らず、あらゆる技術の本質は「人間がそれまでやっていたことの外部化」にあります。従前は人間が担っていたスキルがどんどんAIへと外部化されていく。生成AIが日常のものになりつつある今、スキルのデフレとセンスのインフレはいよいよ加速しています。
「生成AIはツールにすぎない。AIにできることは任せるにしても、人間にしかできないことは残る」──誰もがそう言います。その境界がどこにあるのか。この問いは、そっくりそのままスキルとセンスの議論に重なります。すなわち、今後はスキルと呼ばれてきたものの多くを生成AIが担う。生成AIを使いこなせれば、誰もが外部化されたスキルを利用できる。人間に残された知的生産はセンスへと集約されていく。生成AIはセンスの正体を浮き彫りにしています。
周さんは僕が知る同業者の中でも、最もセンスに優れた人物の一人です。人間の側に残された知的生産のセンスとは何か──この大きな問いを周さんとじっくり考えてみたいというのが本書をつくるに至った動機です。
何らかの情報や知見に接してそれを自分の中に取り込み、それを自分なりに整理し思考の素材として保存しておく。保存してある素材を料理して自分の考えや見解に変換し、それを言語的な成果物として提出する──知的生産は入力(インプット) → 保存(ストレージ) → 変換(コンバージョン) → 出力(アウトプット)というプロセスをたどります。もちろん常にこの順番でリニアに進んでいくわけではありません。実際の知的生産はそれぞれのフェーズを行ったり来たりするものですが、議論を分かりやすくするために、本書ではこの4つのステップに分けて対話を進めていきます。
「こうやったらうまくいく」──スキルには客観的な「正解」があります。これに対して、センスは千差万別です。「その人に固有の判断基準」という定義からしてセンスは主観の次元にあります。
一般論としてどうあるべきか・やるべきかを論じるのではなく、自分を主語にした話をする──これが本書の基本的なスタンスです。僕たちが普段の仕事で何をどのようにやっているか。どういうことはしないようにしているか。それはなぜか。周さんにしても僕にしても、それなりに紆余曲折を経てきました。試行錯誤の挙句にたどり着いたそれぞれの判断基準や原理原則を突き合わせることによって、知的生産のセンスの輪郭を描いてみたいというのが本書の意図です。
本書をつくる過程の始めから終わりまで、日経BPの永野裕章さんにお世話になりました。永野さんのご尽力なしには、本書は生まれませんでした。心よりお礼を申し上げます。
この本が知的生産に関わる読者の一助となることを願っています。
2026年7月
楠木 建
【目次】



