日本が「没落」を回避するためには何が必要なのか。「経済学の書棚」第46回後編では、日本経済が衰退してきた軌跡をデータや著者自身の実体験で裏付けながら現在の日本の立ち位置を確認し、人材育成の重要性を説いた『戦後日本経済史』と、市場、国家、コミュニティのバランスを取った日本型資本主義に未来への希望を見いだす『新しい経済のつくり方 「人間中心」の日本型資本主義へ』の2冊を紹介する。
1995年に成長が止まった
後編では、日本経済が衰退してきた軌跡をデータや著者自身の実体験で裏付けながら現在の日本の立ち位置を確認し、人材育成の重要性を説く書と、市場、国家、コミュニティのバランスを取った日本型資本主義に未来への希望を見いだす書を紹介する。
一橋大学名誉教授の野口悠紀雄著『 戦後日本経済史 』(東洋経済新報社/2025年6月刊)は『戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか』(東洋経済新報社/2015年6月刊、2019年4月に日経ビジネス人文庫にて文庫化)の続編である。
野口氏によると、2015年の『戦後経済史』は戦後復興と高度成長、バブルの描写が中心になっており、1990年代以降の日本経済衰退の問題を解明できていなかった。そもそも、この衰退が長期的で重大な問題であるとの認識が不十分だったと自己分析する。
そこで、『戦後日本経済史』では、日本が没落する過程の分析を中心に据えた。第1章は戦後復興、第2章は高度成長、第3章はバブルの生成と崩壊がテーマ。第4章「1995年:日本病の始まり」以降が同書の「本論」と言えるだろう。
戦後50年にあたる1995年、日本経済は成長率の顕著な屈折を経験した。それまで成長を続けていた多くの経済指標が突然、成長を停止した。停滞状態は現在に至るまで続いている。この時点が日本病の始まりだった。これは戦後経済史の大きな転換点になる重要な時点だと位置付けている。
この転換は、バブル崩壊によって引き起こされたと一般には考えられている。バブル崩壊で消費者心理が冷え込み、デフレが進行した。とりわけ金融機関による貸し出しの減少が大きく響いたとの見方である。
野口氏はこうした見方に疑義を唱え、日本の成長率を屈折させたのは、中国の工業化とIT(情報技術)革命への不対応だとの認識を示す。
同氏の説明によれば、中国が工業化に成功したことで、日本の鉄鋼業と化学工業の成長が止まり、その後、製造業のさまざまな分野に影響が広がっていった。日本は経済構造を大きく改革する必要があったが、それを怠った。
1980年頃からIT革命が始まり、世界は大きく変わったが、日本社会はそれに対応できなかった。日本型組織の閉鎖性と、企業が円安に安住して技術革新を怠ったことが大きな理由である。
第2~4次安倍晋三政権が実行した異次元金融緩和に対する評価は厳しい。「物価が上がれば経済がよくなる」という日本銀行の論理は全く誤っている。日銀は2024年12月、「金融政策の多角的レビュー」を公開し、「人々の期待を変えることができなかったため、期待した効果が得られなかった」と結論付けたが、国債購入で人々の期待を変えられないことは、緩和開始後1年で明らかだったと突き放す。
異次元緩和はアベノミクスの「第1の矢」と呼ばれたが、「第2の矢」である「機動的な財政政策」に対しても、人気取りのバラマキ政策だったと断じる。異次元緩和によって国債が市中から大量に引き揚げられた結果、金利が低下し、財政資金の調達コストが著しく低下した。これは事実上の財政ファイナンスであり、アベノミクスの重要な構成要素だったと指摘している。
世界における日本の現在の立ち位置を確認するのに役立つのは、第11章「世界トップだった日本の競争力は、いま世界最低に近い」だ。
スイスのビジネススクール、IMD(国際経営開発研究所)が作成している「世界競争力ランキング」を参照し、日本の競争力がさまざまな側面で低下している実態を明らかにしている。
低落傾向が続く競争力ランキング
2024年のランキングでは、世界67カ国・地域の中で日本は38位となった。アジアの調査対象国で日本より低いのはインド、フィリピンとモンゴルだけだ。日本の国際競争力は極めて低い水準にあり、時間を追うごとに低下する傾向がある。とりわけ、アベノミクスの期間に顕著に低下した。
IMDが作成している「世界デジタル競争力ランキング」でも、2024年の日本は31位と振るわない。原因は日本の高等教育制度にあり、人材養成プログラムの推進は、今の日本で最も重要な課題だと強調している。
最終章にあたる第12章「終わりが始まりである」では、現在の日本の1人当たり国内総生産(GDP)は、経済協力開発機構(OECD)平均との関係では1970年頃と同じ状況だと警告する。
イギリスの詩人、T・S・エリオットは詩の中で、「長い探求の末にたどりついたのが出発点だった」という意味のことを述べているという。これは「出発点に戻ってきて、その地を初めて知る」という意味であり、「日本はかつてと同じ場所に戻ってきたが、そこは違う場所であり、新しいことを始める場所だ」と奮起を促して同書を結んでいる。
オックスフォード大学教授のD・ヒュー・ウィッタカー著『 新しい経済のつくり方 「人間中心」の日本型資本主義へ 』(苅谷剛彦監訳/鄒芳淼、石澤麻子訳/東洋経済新報社/2025年10月刊)は、日本経済には再興するチャンスが大いにあると訴える書だ。
原著は2024年刊。岸田文雄内閣(2021年10月~2024年10月)が打ち出した「新しい資本主義」の構想を強く意識して執筆している。
日本語版が出てからほぼ1年の間に、日本の政治情勢は大きく変わった。現在の高市早苗内閣はすでに「新しい資本主義」の看板を下ろしている。その意味では同書は「古い本」かもしれないが、展開している議論は決して古びてはいないと判断し、あえて紹介することにした。
第1章「戦後経済の盛衰」では、近現代の日本経済の歩みを駆け足で振り返っている。以下に概要を示す。
明治維新は近代日本をつくり上げたターニングポイントだと広く認識されているが、江戸時代に市場経済が広がっており、豊富な労働力を活用して「勤勉革命」が起きていた。
明治維新によって中央集権国家が生まれ、多くの制度改革が行われた。1913~1938年の年平均成長率は約4%で、他の列強諸国の倍だった。しかし、急速な都市化と産業化は労働運動を生み出した。昭和金融恐慌、ウォール街大暴落、満州事変などによって、それまで比較的リベラル資本主義的であったのが、「軍事ケインズ主義」へと極端な方針転換をした。
連続性が見られた戦前と戦後
戦争の結果は、植民地の喪失を含む、産業と経済の崩壊だったが、商業的な目的に焦点を当てられるようになった新たな経済を生み出すための、それまで積み上げてきた知識は失われていなかった。
戦後の産業政策や金融政策を含む政府の経済方針は、多岐にわたって過去からの連続性が見られた。会社への献身と引き換えの雇用の安定という暗黙の社会契約は雇用優先の政府の政策によって支えられた。
1990年以降に、世界では大変動が起きたにもかかわらず、日本の制度的な変化は急激なものではなかった。「埋め込まれた自由主義」から新自由主義へ、フォーディズム(あるいはトヨティズム)企業からネットワークやプラットフォームへの移行という2つの動きは英語圏諸国と比べると小さなものだった。
戦後の高度成長の制度的な一貫性は「失われた数十年」の間に失われ、開発型国家は規制国家へと姿を変え、政策決定に対する官僚の自主性は、政治家への従属に道を譲ることとなった。
1990年以降の世界の変化に日本が対応しきれず、新自由主義への路線変更も定着しなかったと総括している。
ウィッタカー氏は、そんな日本で急浮上した「新しい資本主義」「ソサエティ5・0」「DX(デジタルトランスフォーメーション)」「GX(グリーントランスフォーメーション)」「人的資本への投資」「成長と分配の好循環」といった経済社会の未来像に注目する。
3つの資本主義が共存する日本
ウィッタカー氏によれば、資本主義には、金融化された資本主義(新自由主義)、新たな開発国家(国家資本主義)、コミュニタリアン的資本主義の3つのベクトル・精神がある。日本では、この3つがダイナミックな緊張関係のもとで共存することによって「コントロールされた不均衡」と呼ぶ状態が実現する可能性があると期待を寄せる。
岸田氏は「新しい資本主義」を目標に掲げた当初、経済格差の拡大に歯止めをかけ、分配を重視する姿勢を示していた。ウィッタカー氏はこうした動きを高く評価し、「コントロールされた不均衡」という概念を日本再興のカギとして提示した。
日本ではその後、石破茂氏、高市早苗氏と首相が交代し、「新しい資本主義」は影も形もなくなっている。
「責任ある積極財政」や「戦略17分野」への官民投資を目標に掲げる高市内閣は、国家資本主義に舵を切ったと言える。日本の経済社会の根底には資本主義の3つの精神が根付いているのだとすれば、どんな作用を引き起こすのだろうか。
日本が「没落」を回避するためには何が必要なのか。今回取り上げた著作に共通するキーワードは「人」である。野口氏が言うように、日本が今、どのような状態にあるのかを正しく知り、危機意識をもって動く人がどれだけいるかで、日本の将来は決まるだろう。
写真/スタジオキャスパー


