日本経済は「失われた30年」を経てなお、長期停滞から脱していない。日本はこのまま没落の道を進むしかないのだろうか。「経済学の書棚」第46回前編では、リスクを取れなくなった経営者たちが現代の時代精神を形成し、失われた30年をもたらしたとする『日本──没落か再生か 時代精神とアニマルスピリッツ』と、政治的イノベーションの欠如が日本の没落を招いていると糾弾した『なぜ日本は没落するか』など3冊を紹介する。
明治維新と戦後復興の「時代精神」
日本経済は「失われた30年」を経てなお、長期停滞から脱していない。日本はこのまま没落の道を進むしかないのだろうか。日本経済の歩みを振り返りながら、日本はこれから何を目標にすればよいのかを提案する書を前後編にわたって紹介する。
東京大学名誉教授の吉川洋著『 日本──没落か再生か 時代精神とアニマルスピリッツ 』(新潮選書/2026年5月刊)は、低迷する日本経済の現状を憂慮し、打開策を探る書だ。
同書を貫くキーワードは副題にある「時代精神」である。時代精神は、時とともに移ろう空気のような存在であり、その変化に人々は気づかないが、世の中全体の方向や動きを決定づける。
現在の世界や日本は羅針盤を欠いた船ではないかと吉川氏は見る。羅針盤を欠いた豪華客船の中で、人々は思い思いに好きなことをしているが、船がどこに向かって進んでいるかとは全く関係がない。やがて夜が明けたとき、東に向かっているはずだった船は北に向かっており、眼前に氷山を発見したりする。
時代精神は、その時代に生きる人々によって決まる。多くの人々が閉そく感を抱いている現在の日本とは異なり、明治維新と戦後復興の時期には、大人たちが「何か生き生きと動いている感覚」を持っていたとの見方を示す。
人が集団で変わるためには、きっかけとなる共通の体験が必要である。明治期には幕末以来の「異国との出会い」、戦後は「戦争と敗戦」の経験が、時代精神を形成した。
それぞれ時代の中核をなす人材は、その数年から数十年前に教育を受け、大人となった人々だ。例えば、戦後日本の経済復興、高度成長を担った経営者たちの時代精神は、戦争と敗戦の体験の上に築かれた。しかし、彼らの行動を律したこの時代精神は、1980年代のバブルの頃までに消えたと分析する。
戦後世代の第1号(後に「団塊」の世代と呼ばれる)が1980年代には40代になり、社会の中核を担う働き盛りになった。同時に経営のトップにいた戦中派(大正生まれが中心)は表舞台から姿を消していく。
アメリカからは新しい企業理念がやって来た。「会社は株主のもの」「企業の目的は儲(もう)けること」という考え方で、「何をして」「何のために」は二の次になる。
日本は1980年代後半からバブル経済に突入するが、「日本人が変わってしまったから、バブルが生まれたのだ」と喝破する。
1990年代初頭にバブルは崩壊したが、「数」である「儲け」こそが企業の目的である、という考えは消えなかった。それどころか、バブル崩壊から30年、今なおそれは企業、そして個人を呪縛していると懸念する。
この間に、日本企業は人員削減による「リストラ」で効率的な経営を目指すようになり、リスクを取ろうとしなくなった。リスクを取れなくなった経営者たちが現代の時代精神を形成し、失われた30年をもたらしたというのが吉川氏の見立てである。
失われたアニマルスピリッツ
20世紀の経済学者、ジョン・メイナード・ケインズとヨーゼフ・シュンペーターは経済発展の原動力に着目し、ケインズはアニマルスピリッツ、シュンペーターはイノベーション(革新)というキーワードを提示した。「ともかく何か新しいことをやる」精神であり、こうした精神が現代日本には欠けていると吉川氏は説く。
同書には経済学者、古今東西の思想家のほか、森鷗外、夏目漱石、司馬遼太郎、大江健三郎らの日本人作家も登場し、議論に花を添える。
その中の一人が城山三郎である。最終章にあたる第6章では城山著『 よみがえる力は、どこに 』(新潮文庫/2017年3月刊)の一節を紹介している。同書は講演、遺稿、文春文庫所収の対談集などを再編集した書だ。
その一節の核となっているのは2つの引用だ。原文(吉川氏が触れていない部分を含む)を見てみよう。
1つ目の引用は、戦国時代の自由都市・堺の人々が好んだ小唄「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」である。以下は、これを受けた原文の抜粋である。
戦国の頃に成立した歌謡集『閑吟集(かんぎんしゅう)』に収められているものだそうですが、権力におもねらず、独立独歩で、新しい世界へ踏み出そうと情熱を燃えたぎらせる堺商人の気質をよく伝えていますね。私は目が洗われる思いで、この歌を口ずさんだのを覚えています。(中略)窮屈な時代、苦しい社会、厳しい状況に生きているからこそ、時には狂うこと、他人の目からは狂って見えるようなことへ身を投じることも必要なのではないでしょうか。
2つ目は、アメリカの能力開発の学者(ロジャー・フォン・イーク)の著書『眠れる心を一蹴り』(浅沼昭子訳/新潮文庫)の以下の一文だ。
一人の人間の内側には、四人の人間が住んでおり、それぞれが兵士、判事、芸術家、探検家の役割を担っている。そして誰の心の中にも住んでいるこの四人が、ちゃんと生き生きと活動しているか、絶えず心がけよう。
自分の中の「探検家」は目覚めているか
これを踏まえ、城山氏は四人の役割を順に説明する。最後に登場する探検家の解説は以下の通りだ。
四人のうちでも、探検家が一番眠ってしまいやすいから、注意しないといけません。人間が、歳をとっていようがいまいが、時代が大変であろうがなかろうが、何かしようとする時、自分の中の探検家を目覚めさせなければならない。もっと言えば、常に自分の探検家を元気に、活発にさせておかないといけない。(中略)そういう個々の生き方の変化が、いつか時代を動かし、時代を乗り越えていくのではないでしょうか。
吉川氏は城山氏の著書に続き、フランスの哲学者、アランの「ペシミズムは単なる気分にすぎないが、オプティミズムは意志だ」という言葉を引用し、日本の若者たちに奮起を促して同書を締めくくっている。
吉川氏が前掲書のベンチマークとしたのは、森嶋通夫氏(ロンドン大学名誉教授、1923~2004)が書いた『 なぜ日本は没落するか 』(岩波現代文庫/2010年7月刊)である。2026年1月に第17刷が刊行されたロングセラーだ。
同書は1999年3月刊行(岩波書店)の単行本と、『森嶋通夫著作集第14巻』(岩波書店/2005年4月刊)を底本としている。単行本はバブル経済が崩壊し、金融危機が続いていた時期の著書。「次の世紀で日本はどうなるかと誰もがいぶかっている」との問題意識のもとで、2050年の日本の状態を予想した。
将来の社会は「人間」で決まる
森嶋氏は2050年の日本を予想するため、「人口史観」と自ら呼ぶ方法論を採用している。経済は人間という土台の上に建てられた上部構造にすぎない。このため、将来の社会を予想する場合、まず土台の人間が予想時点までの間にどのように量的・質的に変化するかを考え、予想時点での人口を土台としてどのような上部構造が構築できるかを考えるべきだと主張している。
吉川氏は森嶋氏の「人口史観」を取り入れ、同時代を生きる人々がつくり出す「時代精神」に目を向けて前掲書を完成させた。
「人口史観」を唱える森嶋氏は、戦後の教育改革に特別な考察が必要だと訴える。
戦前は忠君愛国、挙国一致を促進させるような教育が行われ、国民道徳の規範は政府によって一方的に定められた。高等教育は高給職に将来就く人を供給するだけに制限され、大学はエリートを育成するためのものだった。
こうした教育体制は占領軍によって破壊された。戦後教育は完全に無差別の原理に則(のっと)って行われ、すべての価値判断は排除された。日本人は価値判断を行う能力を失い、教育とは知識を詰め込むことだと考えられ、生徒たちは丸暗記するのは巧みになったが、論理的思考は不得手で、意志決定力もすっかり弱くなった、と厳しい認識を披露する。
この断絶は後々まで尾を引く。敗戦後、日本は「上からの資本主義」の国として再建に成功したが、それは下から発生した諸企業を差別する二重構造の経済であり、早晩上下を差別しない一重の経済に転換されなければならない。1980年代後半から90年代初めにそういうクリティカルな時期に達したと診断する。
変貌した青少年の気風
その頃には、戦前期に教育を受けた人たちは一部を除いて職場から退き、青少年の気風は全く変わっていた。
戦後教育を受けた人々が中心となる2050年の日本は、(1)政治的には没落しているが、経済的に恵まれていれば国民は「無為」という反応をする、(2)そのときに経済状態が悪ければ、事態は最悪で、失業者が巷(ちまた)にあふれている、と予想する。
そして、こうした予想を覆すカギはイノベーションにあると議論を展開する。吉川氏の見解と重なり合うところだ。
森嶋氏はイノベーションには経済的なものと政治的なものがあり、とりわけ政治的イノベーションの欠如が日本の没落を招いていると分析する。
第七章「ただ一つの救済案」では、政治的イノベーションを促し、日本の没落を阻止する唯一の有効な打開策として、日本、中国、朝鮮半島、台湾、琉球(沖縄)からなる「東北アジア共同体」の設立を提唱する。琉球を独立させたうえで共同体に組み入れ、共同体の首都を置くという壮大な構想だ。
現在の日本の政治情勢は、森嶋氏の構想とは正反対の方向に進んでいるように見える。日本はこのまま没落するしかないのだろうか。
(後編へ続く)
写真/スタジオキャスパー



