文芸評論家の三宅香帆さんは、ある日、日本の物語の不思議な共通点に気が付いた
文芸評論家の三宅香帆さんは、ある日、日本の物語の不思議な共通点に気が付いた

なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』(集英社新書)、『 考察する若者たち 』(PHP新書)、『 娘が母を殺すには? 』(PLANETS)など、独自の視点で物語と世相の関係を読み解く文芸評論家の三宅香帆さん。新著『 「夫婦」不在社会 』(講談社)では、パートナーシップについて掘り下げている。三宅さんが着眼した「夫婦の不在」とは、具体的にどういうことなのか。その発見の過程と、現代の物語から透けて見える夫婦が抱える問題について聞いた。

物語の世界でも語りづらい、夫婦のこと

 「夫婦の物語、少なくない?」。ここ数年、自分が国内の文学作品や映画に触れる中でそんな疑問が浮かび上がってきました。昭和から令和にかけて、小説・映画・ドラマ・アニメのどれを取っても、「親子」の物語は多様なパターンで描かれ、近年はむしろ増えているようにさえ思います。象徴的なのが、2023年のヒット作です。漫画・アニメ『【推しの子】』、小説『汝、星のごとく』、映画『THE FIRST SLAM DUNK』。この3つに不思議と共通するのは、主人公がシングルマザーの家庭で育っていること。“親子愛”や“親子の葛藤”が積極的に描かれているのに対して、パートナーシップに関する物語は極端に少ない。なぜか「夫婦」は描きづらいようです。

 未婚の人たちが出会う話やそこから結婚に至るまでの話、不倫の話はたくさんあるのです。SNSの言説をなぞったような、「男ってこう」「女ってこう」という男女の分断をあおる物語も見かけます。でも、その先にあるような現実的なパートナーシップを崩壊させたり、修復したりする話はなかなかない気がします。物語の中に、「あなたと私はどうやって一緒に生きていく?」という夫婦ならあってしかるべきコミュニケーションや葛藤がない——「夫婦不在」なのです。

三宅さんは物語の中の「パートナーシップの描かれなさ」について数年前から気になっており、さまざまな名作を読み解くことを通じて、その理由を改めて考え直すことにした
三宅さんは物語の中の「パートナーシップの描かれなさ」について数年前から気になっており、さまざまな名作を読み解くことを通じて、その理由を改めて考え直すことにした

 これは物語の話に終わりません。なぜなら、文芸作品は現実の人々の欲望を映すものであり、人々の欲望に影響を与えるものだからです。夫婦の物語が消えているということは、きっとそこに何かがあるのだと思います。

 実際、私のプライベートでも、パートナーシップの在り方は語りづらいテーマだと感じます。もしかすると、パートナーがいることがぜいたくのような、人に見せびらかすものではないと感じているのかもしれません。話題になるとしても、軽い愚痴のようなものが多いですよね。誰しも、パートナーに関する悩みを抱えているけれど、それを口にすることがなんだか難しい…。

 夫婦の間には、仕事と家庭の両立やディスコミュニケーションなど、いろいろな問題が確かに存在しているのに、世間では深く語られていない、という現実。『「夫婦」不在社会』に対する感想で、「うちの夫婦の問題を浮き彫りにしてくれている」という声をたくさんいただくことが、そうした現実を表しているように感じます。

 もっとも、私は本書で「パートナーがいたほうがいい」という偏った価値観を伝えたいわけでは一切ありません。パートナーがいる、いない、そのどちらかだけを肯定するつもりもありません。また、自明のことではありますが、パートナーと一口に言っても、その関係性は多様であることも強調しておきたい点です。

他国の物語にはよく出てくるテーマだが…

 『 「夫婦」不在社会 』では、物語に描かれる日本のパートナーシップについて、1979年刊行の村上春樹さんの小説『風の歌を聴け』から、2025年公開の映画『ファーストキス 1ST KISS』まで、多くの作品を引用しながら検証しています。

『「夫婦」不在社会』(三宅香帆著、講談社)/画像クリックでAmazonページへ
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 そもそも昔から、日本において「パートナーシップ」は、取り上げられることが少ないテーマなのでしょう。海外の小説やドラマを見ていると、パートナーシップについて詳細に描かれていることに驚きませんか? 私個人としての体感かもしれませんが、他の国の物語を見ていると、夫婦間の問題をぼかさずにしっかり描く作品が多い印象を受けます。

 家族を座標軸で捉えると、親子が「タテ」のつながりであるのに対して、夫婦は「ヨコ」のつながりとして見ることができますが、タテとヨコの関係を物語で同時に描くことはなぜか難しく、タテの関係ばかりが目立つ。これは、日本社会において、タテ(親子)のコミュニケーションは重視される一方で、ヨコ(夫婦)のコミュニケーションは軽視される傾向があるからではないでしょうか。

 より解像度を上げると、日本の物語における「夫婦不在」の多くは「夫の不在」「父の不在」でもあります。親子の物語というと、父と娘、母と娘、父と息子、母と息子…と、いずれもテーマになるはずです。その中で、先ほど挙げた『【推しの子】』『汝、星のごとく』『THE FIRST SLAM DUNK』のように、「“母”と子」の物語の存在感が強まっているのです。

 父親が不在になると、その分、母と子が密着します。友達のような良好な関係になることもあれば、逆に「母親が重い、しんどい」という“毒母”になることも。それはきっと、子が母を担い切れなくなった結果でしょう。特に、こじれた母娘関係については、『 娘が母を殺すには? 』で文芸評論の観点から読み解いています。実はもともとこの本を執筆していたときに、家族の中の夫婦というヨコのつながりの弱さが見えてきたのが、本書『 「夫婦」不在社会 』の出発点でした。

「夫婦不在」解決の1つのカギ

 どうすれば現代日本の夫婦は、ディスコミュニケーションから脱却することができるのでしょうか? 世間では、「夫婦で話し合うことが大切」「家庭内の対話が大切」としばしば言われますが、それこそが困難ですよね。では、なぜ困難なのか。この続きは、拙著を読んで確かめていただければと思います。

新著『「夫婦」不在社会』では、「夫婦の語られなさ」「夫婦についての語りづらさ」を超えて、パートナー同士がどのように向き合うべきかについても模索している
新著『「夫婦」不在社会』では、「夫婦の語られなさ」「夫婦についての語りづらさ」を超えて、パートナー同士がどのように向き合うべきかについても模索している

 ちょっとだけお話しすると、私は、忙しい現代人の「時間のなさ」がネックになっていると考えています。親密な関係性を築くには、どうしたって時間が必要になります。なぜなら傷つけ合うにも、その傷を修復し合うにも、時間がかかるからです。しかし、その時間を取るのが何より難しいのが現代社会で…。あらゆることの効率化が進んでも、親密さだけはどこまでも非効率な営みなのでしょう。

取材・文/茅島奈緒深 構成/大松佳代(日経BOOKプラス編集) 写真/洞澤佐智子