世界を解き明かす地政学 』の著者で国際政治記者の田中孝幸さんと、『 紛争でしたら八田まで 』の作者・田素弘さん。前編では、地政学は善悪を超えたところで成り立っており、それぞれの作品にその価値観が強い影響を与えていると話した2人。今回は「地政学で世界の未来は予測できるのか」について話します。スペシャル対談の後編です。

地政学は「人間を直視する営み」

田中孝幸さん(以下、田中) 実は私、以前は「地政学」という言葉が嫌いだったんです。

田素弘さん(以下、田) そうなんですか。

田素弘(でん・もとひろ)
会社員としてアパレル、広告、ウェブデザインなどの仕事をした後、30代後半で漫画家の道へ。43歳で初連載「紛争でしたら八田まで」を開始。1976年生まれ。東京都出身。

田中 2000年ごろまでの地政学といえば、アメリカの元国務長官のヘンリー・キッシンジャーを筆頭に、血も涙もない戦略家が冷徹に世界のパワーバランスを語るときに使われるものでした。でもここ数年で、イメージも定義もだいぶ変わってきたように思います。

 実際に起きていることによって、変えざるを得なくなってきたんでしょうね。例えば、20世紀の二度の大戦の経験から、世界では武力で一方的に国境を変更したり侵略戦争をしたりしないというルールができました。貿易をたくさんして経済的に発展すれば、世界は平和になり、戦争なんて不合理なことはしないだろう、という暗黙の了解がありました。

 でもこの数年、ロシアのウクライナ侵攻で明らかになったように、侵略しないというルールは建前としても守られなくなりました。そうなると、「なぜそうなってしまったのか」という理由を探したくなりますが、感情論ではよく分かりません。ここで、地政学的なものの見方をすると、感情を排して構造で見ていくので、納得感があります。それがだんだん多くの人に分かってもらえるようになったという印象を持っています。

構造から世界を見ていくと理解しやすい
構造から世界を見ていくと理解しやすい

田中 私は『世界を解き明かす 地政学』の中で「地政学とは」として、こう書きました。

 地政学とは、主に地理に重点を置いて国際関係を考えることを指します。地理は簡単に変わりません。(中略)こうした、変わらないものをしっかり把握するのが、地政学的な思考の柱です。
 一方で、地政学という言葉には「政」という文字も入っています。これは主に、「うつろいやすい」政治的な問題を意味しています。

 とてもしっくりきます。そこに1つ加えるなら、地政学は生物学的でもありますよね。寒いところにいると、人は温かい方に動こうとするし、隣に脅威があれば押し返そうとする。「地」の地理は変わらないし、「政」、つまり人の営みにも一定の法則性がある。さまざまな出来事の「理由はなんだろう?」を、地と政から考えていくのが地政学かなと思うんです。

田中  前編 でお話ししたように、大陸では国同士がみんな地続きで接しています。そうすると、住む人たちは「自分のテリトリーをできるだけ広げなければ、安全は確保できない」という心理になります。そういう地理的環境から発生した「民族のメンタリティ」みたいなものは、昔からずっと変わらないんですよね。だから、地政学は「人間を直視する営み」ともいえると思っています。

左は『世界を解き明かす 地政学』(田中孝幸著、日本経済新聞出版)と右『紛争でしたら八田まで』(田素弘 作、モーニングKC、画像は19巻)
左は『世界を解き明かす 地政学』(田中孝幸著、日本経済新聞出版)と右『紛争でしたら八田まで』(田素弘 作、モーニングKC、画像は19巻)

漫画も新聞記事も、AIを使えば現地の細かい情報がとれるようになった

田中 そういう意味で『紛争でしたら八田まで』の最新刊19巻のフィリピン編もとてもおもしろかったです。主人公の百合が、地元の名家の娘・マルセラから“腐敗”について調査依頼を受け、不正の証拠をつかみ始めたところでギャングから追いかけられる。そこで、どこか怪しい元ボクシング王者の現汚職警官のエリオとともに逃げ……。汚職と賄賂、政治的な腐敗、政府の弱さと、その中で生きる人間の問題が活写されていました。

 フィリピン編は腐敗が1つのテーマでしたが、大事なのは「なぜそうなったのか」という構造の部分です。法の力が及ばないところでの腐敗は、果たして腐敗なんでしょうか。関わる人間も、やりたくてやっているわけではなく、やらざるを得なかった状況があります。だとしたら、罪を処罰する方向よりも、そもそもの原因に目を向けるべきじゃないでしょうか。

 そうやって、別の道を作れる人物として、マルセラという、一度海外を体験している若い人間を配置しました。外からの俯瞰(ふかん)視点こそが希望につながるんだ、というのは作品を通して言いたいことですね。

田中 構造を理解して、そこから思考し、議論する。それがなければ、壊して作り直しても同じことが起きるだけですよね。

 まさにそうです。原因を把握せずに壊しても、再生の道は見えてきません。

田中 このフィリピン編もそうですが、田さんの作品は入念なリサーチに基づいて描かれていますよね。

 1つの章が終わるごとに3週間ほど制作期間をもらい、その都度調べて考える作業をしています。一番重視しているのが、その国がどういう国かというベースの部分です。関連する書籍を読み込み、YouTubeで現地の人が発信している動画を見て、ニュースなどの最新情報もインプットします。ただ最近はもうAIが手放せないですね。

 例えば、ナウルを舞台にしたときの話ですが、ナウルはかつて莫大(ばくだい)なリン鉱石の輸出で国民1人あたりのGDPが世界トップクラスになったものの、急速な資源枯渇と乱開発で経済が破綻しました。ミクロネシア地域の小さな島国ですから、日本語の情報自体が少なかった。

 でもAIを使えばあらゆる言語の資料を読み込むことができます。難しい戦略家の本を要約してもらうこともできるし、調べられる範囲がはるかに広がりました。もちろん情報の正確性は慎重な確認が必要なところもありますが、それは裏づけを取っていけばいいだけですので。僕は田中さんと違って現地に行く機会はなく、日本にいるだけなので、テクノロジーに支えられている部分は大きいです。

田中 なんと、AIを駆使して描かれていたとはさすがです。私もAIは特殊言語系のリサーチでめちゃくちゃ重宝しています。英語でもロシア語でもないけれど、その国の地元から得た資料を読むときに、マイナーな言語でもすぐに概要をつかむことができるんで助かっています。

 今は連載中にも世界規模で次々と新たな事態が起きるので、情勢を追い切れません。そんなときも各国の優秀な戦略家を何人かピックアップしておいて、その人たちがブログやSNSで何を言っているかをAIに聞くようにしています。そうすると、トータルで概要が見えてくるので、そういう使い方もしていますね。

結局、最後は「人」なのだという現実

 僕はイギリスに行く前、日本にいたときは「日本ってダメな国だな」と思っている側の人間だったんですよ。でも半年とはいえ、海外で暮らしたら視点が変わりました。世界の美術館に行くと、どこにでもジャパンコーナーがあるんです。アメリカやヨーロッパの大国のコーナーがあるのは分かるけど、日本みたいな小さな国が1コーナーを持っているのは、他のアジアの国と比べても別格だと思います。

「世界に出ると、日本にいるときとは違った見方で日本が見える」と話す田氏
「世界に出ると、日本にいるときとは違った見方で日本が見える」と話す田氏

田中 確かに、外に出ないと分からないことってありますよね。

 ただ、その一方で、自覚している以上に生まれ育った環境の影響は根深く自分の中にあるんだなとも思いました。例えば、日本では対人関係の中で謙虚に振る舞うことが利益になるけど、海外ではそれで損をします。どういう振る舞いが社会的にプラスになるかは、国によって全然違うんですよね。ヨーロッパの人たちは地続きだから気軽に国を移動している。言語も文化も違うのが当たり前で、マインドが開いている。こういったものが国民性につながっていくんだと思います。

田中 おっしゃる通りですね。日本は完全な島国で、陸上国境がゼロという世界的に見てもかなり珍しい国。島での最適解と大陸での最適解は違います。日本人が海外でやたらと謙虚になるのは、個人の性格以上に国民性として社会をうまく回していくうえで根づいたものだと思います。

 若い頃は自分の個性が……と思うものですが、それ以上にどうしようもなく環境によって作られている部分もあります。ただ、トランプ大統領のような人はアメリカ人としてどういう人なのか、混乱します。田中さんはどう見ていますか?

田中 予測の最大の敵は「人間はある程度、合理的に動くだろう」という前提なんですよね。例えば、軍事的な常識からいえば今回のイランへの大規模な攻撃はないだろうと思われていました。それは、地形的に見ると、かなり攻め取りにくい高原国家になっているので地上侵攻では泥沼化するし、空爆だけでは制圧できないからです。でも、トランプ政権下で米国は軍事作戦を実行しました。

 こうなると、最後は「地政学」の「政」の部分になってきます。トップが「地」のことわりを知らない、もしくは無視してくる可能性も考えなければいけません。つまり、人間の愚かさや不合理性が予測を裏切ってくるわけです。その現実を目の当たりにすると、心は重くなります。

「人間の愚かさや不合理性が予測を裏切ってくる」と話す田中氏
「人間の愚かさや不合理性が予測を裏切ってくる」と話す田中氏

 トランプ大統領のイラン攻撃も、合理性で考えると「なんで今だったんだろう」と不思議に思う人は多いでしょうしね。

田中 それが今の世界に不安感が高まっている最大の要因だと思います。しかし、リーダーが始める悪いことにも一定の世界観や行動パターンがあるわけで、それが分かれば予測も立ち、リスクマネジメントができるものです。

 ウクライナや中東への関与を弱めると言った直後のイランへの攻撃でしたからね。起きてしまえば、分析してこうなのかもしれないと筋道は立てられるんですけど、個人がコロッと変えてくるのが現在の国際政治です。プーチン大統領ももともとは合理的に動く人だと見られていたのに、不合理な戦争を始めました。結局、最後は人なんですかね。

田中 1人の人間のファンタジーな世界観に世界が影響されているわけですね。しかも、トランプ大統領の頭の中の8、9割はアメリカ国内の政治のことを考えているわけです。つまり、次の中間選挙にどう勝つか、という問題についてです。地政学であり、国際的な問題であるはずなのに、本質はアメリカの国内政治だというのも考えさせられます。

 「地」は変わらないけれど、「政」は人の営みだから予測を超えてきますね。

田中 まさにそうですね。地政学は人間を直視する営みだからこそ、そこには面白さと、もの悲しさが同居しているんだと思います。

『世界を解き明かす 地政学』田中孝幸氏(左)と漫画『紛争でしたら八田まで』田素弘氏(右)
『世界を解き明かす 地政学』田中孝幸氏(左)と漫画『紛争でしたら八田まで』田素弘氏(右)

取材・文/佐口賢作、構成/中野亜海(日経BOOKSユニット編集部)、市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也

世界を見る解像度があがる、最高の入門書!

台湾問題やロシアのウクライナ侵攻、グリーンランド問題など、地政学の視点が必要となるニュースが年々増え続けています。戦後80年で世界は再び、大国が勢力圏拡大にしのぎを削る時代に入ったようです。これからさらに紛争が増える時代になるのでしょうか? すべてのニュースには、背景や理由があります。この本は国際情勢のポイントを網羅する1冊です。ぜひ手に取って知識を深めてください!

田中孝幸著、日本経済新聞出版、1980円(税込み)