その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は相原孝夫さんの『 なぜ私たちは、仕事が嫌いになるのか。 ハイパフォーマーの隠された真実 』。「プロローグ」をお届けします。

【プロローグ】
仕事に生活を乗っ取られない人々

農業に惹かれるZ世代がなぜ多いのか

 いま日本では、自分の働き方に疑問を抱く人が多いのではないか──そう思わせるデータがある。

 地方へ移住して農業に従事する人、またはそれを希望する人が若い世代で増えているというのだ。

 JA共済連が行った「農業に関する意識と実態調査」(2024年2月)によると、10代〜50代男女1万人のうち37.4%が「地方暮らし」を希望し、Z世代(1997年から2012年に生まれた人々)では45.1%と高いことがわかった。

 15〜27歳男女の4人に1人が「農業をやってみたい」(26.9%)、就職意向のある学生の28・1%が「就農の可能性あり」と回答。今後、副業や兼業をする意向がある人のうち、半数近く(42.8%)が「農業に携わる可能性あり」と回答したという。

 彼ら、彼女らにとって、農業は「地域活性化に役立つ」「日々進歩している」などポジティブなイメージが強い。

 かつては3K(きつい・汚い・危険)と呼ばれたが、5年以上農業に従事している人は、「やりがいがある」「役に立つ」「夢がある」3Yな仕事と実感しているという。仕事と生活の「ワークライフバランス」にも7割超(74.0%)が満足していた。

会社員の仕事では得られない何か、とは何か

 社会に出て数年で早くも農業に希望を見出すということは、それだけ現在の働き方に疑問や違和感を持っているからなのであろう。

 ではなぜ農業なのか。おそらくは、会社員としての働き方と対極にある、という理由もあるのではないだろうか。「やりがいが感じられない」「誰かの役に立っている気がしない」「夢がない」。若手会社員から多く聞かれるのは3Yの逆である。この虚無感から最も端的に逃れられる手段としての農業なのであろう。

 会社の仕事に「やりがいが感じられない」大きな要因の一つは、結果がわかりやすい形で出ない点にある。農業は必ず成果が出る。作物を育てる喜びがある。Z世代は自己実現を重視する傾向が強いが、会社員としての仕事ではなかなか得られない感覚であろう。

 一方で、農業は自分の手で一から作り上げる、確かな感覚が得られる。努力すれば努力しただけの結果が目に見える形で得られるのだ。

 また、会社生活とは違い、他者の指示に従うことなく、時間に追われることもなく、自分の裁量で、自分のペースで働けるのではないか、と思える点にも魅力を感じるのだろう。

 加えて、Z世代はSNSを通じた情報発信に慣れており、健康や食の安全への関心も高い。農業ライフや収穫物などをSNSで発信でき、やりがいや楽しみを見出しやすいに違いない。

 就農希望が広がる、もう一つの側面として、「地方暮らし」という要素がある。就農はたいてい地方暮らしとセットになる。

 「地方暮らし」がいま、一つのブームになっているようだ。都会にベースを置きながら、時々地方に住むというライフスタイルが流行りつつあるようなのだ。そうした二拠点生活を送る人たちを「デュアラー」と言うそうだ。

 私自身も、週の4日前後を東京で、残りの3日前後を自宅のある地方で過ごしているので、どちらをベースとしていることになるのかは判然とはしないが、いずれにせよデュアラーということになる。

 二拠点生活をする場合の理由で多いものとして、「都会生活の息苦しさ」から逃れるということがある。私も家族で東京に住んでいたことはあるが、田舎者としては、確かに息苦しさのようなものは感じていた。

 人の多さや自然の少なさもあるが、人間関係がほぼ仕事関係に限定されていたということもある。環境も人間関係も多様性がなかったことで、そう感じていたのであろう。人は常に、選択肢の少ない状況には閉塞感を覚えるものだ。


 ところで、東京生まれ・東京育ちの人などは、都会生活に息苦しさを感じたりはしないのだろうか、とふと疑問がわいた。大学時代から付き合いのある、都会っ子の友人、計12人にLINEで聞いてみた。

 明確な返答ばかりではなかったが、息苦しさを感じている者はほとんどいなかった。ある友人などは、「自分の生まれ育った場所で息苦しさなど、感じるわけないだろ」と返してきた。

 中には、4年間、ある地方に仕事で赴任していた時に、逆に息苦しさを感じたという友人がいた。理由を聞いてみると、一番の要因は人間関係の少なさだったそうだ。職場の人を含めて10数人しか知人がいない環境に閉塞感を覚えたようだ。

 その彼は、東京では仕事帰りによく飲みに行っていたそうだが、地方では飲みに行く友人もいなければ、遅くまで開いている店もなく、息抜きができなかったわけだ。やはり良くも悪くも、人間関係は重要な要素なのだ。

 ただし、「息苦しさは感じない」と返答をくれた人たちに多かった意見が2つあった。

 一つは、都会は息苦しくはないが、通勤電車と人混みは息苦しいというものだ。年齢と共に人混みが苦手になっていったという。

 もう一つは、仕事上で息苦しさがあるというものだ。時間に追われたり、職場の人間関係に問題があったりなど。都会生活で息苦しさを感じるのは、多くの場合、仕事によるものかもしれない。特に長時間労働が常態化しており、仕事に生活が乗っ取られているような状況にあれば、生活自体が息苦しいと感じるのではないだろうか。

二拠点生活で得られる人生のバランス

 友人たちとのやりとりで一番驚いたのが、すでにデュアラーだった者が4名、二拠点生活へ向けて物件探しをしているという者が2人いたことだった。

 二拠点生活の理由を聞くと、シンプルに避暑や避寒という答えは多かったが、本質は別にあるようだ。

 理由としては、気分転換、バランスのとれた生活、人生後半の充実などの言葉があげられる。時間的な余裕ができて、一方で人生も残すところあと20年や30年、仕事ばかりしてきたこれまでを振り返り、残りの人生をもっと豊かに過ごしたいとの思いが、ある切迫感を持って芽生えてきたのだろうか。

 彼らが口にした、「バランス」という言葉に興味を引かれた。もっとバランスのとれた生活、バランスのとれた人生など。何かしら、バランスが良くないとの感覚があったのであろう。一つには、やはり仕事と私生活とのバランスがある。その他、頭と身体、緊張とリラックス、仕事と私的な人間関係、人工物と自然物……。

 これらのバランスが崩れていると、何かしらストレスを蓄積しがちである。長年感じてきたバランスのずれを二拠点生活で解消しようというのが、大きな目的の一つに違いない。興味深いことに、デュアラーの中で、完全移住を考えていたのは1人だけだった。地方暮らしだけでは、それはそれでバランスを欠くと思えたからではないだろうか。

 この点をもう少し深読みするならば、アイデンティティの問題とも言えると思う。都会で仕事をしていると──現代病と言ってもいいかもしれないが──どうしても仕事中心の生活になってしまう。アイデンティティが一本足になってしまい、バランスを欠く。東京では、「働くために暮らす」という側面が強いように思う。

 一方で、地方で農業などしている場合は、「暮らすために働く」となるであろう。もちろん、こちらが本来の姿だ。しかし、現代は仕事が生活の中心となってしまいがちだ。

 暮らすために働く、生活するために仕事をする、というと、「お金のためにだけ働いているのではない」と言う人もいるかもしれない。確かにそうだろう。お金以外にも仕事から得られるものは多い。

 しかし、それが行き過ぎてしまうとリスクもある。生計を立てるためのお金は仕事から得る。自己実現も仕事を通して行う。やりがい、生きがいもすべて仕事から得るとなると、仕事一辺倒の人生になってしまいかねない。もはや仕事が自らのアイデンティティそのものとなってしまうのだ。

 そうなると、レジリエンス(弾力性)が低下するなど、いろいろと弊害も生じる。いま世界中で起こっている「反労働」の機運は、このような仕事一辺倒の人生への反発だ。

 二拠点生活は都会と地方それぞれの魅力をバランスよく取り入れる方法として、多くの人にとって理想的なライフスタイルになりつつある。地方暮らしのデメリットがどんどんなくなり、メリットが増してくるならば、今後は、都会をベースにして時々地方に行くのではなく、逆に地方に定住して、時々都会に出ていくというライフスタイルが増えるのではないだろうか。

ハイパフォーマーは、生活を仕事に乗っ取られない

 ちなみに、本書のテーマは、田舎暮らしの勧めではない。「仕事中心の生活」からの脱却だ。そして、それによる生活全体のウェルビーイングの向上だ。

 本文で詳しく述べるが、現代は多くの人たちにとって、「仕事中心の生活」になってしまっている。やや極端に言えば、「働くために生きている」という状態だ。そのことへの反発が世界中で起きている。

 一つの直接的なきっかけはコロナ禍だ。働く人たちが一斉に内省モードに入った。「自分の人生はこのままでいいのか」、「生活のすべてを仕事に乗っ取られたままの状態でこれからも生きていくのか」と。

 仕事は生計を立てるために必要だ。しかし、もっと違った、生活全体のウェルビーイングを高めるような持続可能な働き方があるのではないか。この本では、それを可能とする方向性について述べている。

 幸せな働き方の方向性を考えるにあたって参考になるのは、ハイパフォーマーたちの働き方だ。

 高いパフォーマンスをあげることは、一見、「反労働」の方向性とは真逆に思えるかもしれない。しかし、仕事に乗っ取られない人生ということでは一致している。

 ハイパフォーマーというと、いかにもガツガツと脇目も振らず、仕事に邁進しているような印象があるかもしれない。

 しかし、30年以上にわたり、およそ3000人ものハイパフォーマー研究をしてきてわかったことは、彼らは働く人の中で最も余裕を持って働いており、柔軟な思考と行動力を有しているということだ。決してプライベートを犠牲にしたりはしていない。

 仕事に生活のすべてを乗っ取られている人たちは、実はハイパフォーマーではない。なぜなら、ハイパフォーマーは主導権を会社に握られておらず、自律性を確保できているからだ。

 大量生産・大量消費の時代になって賃金労働をする中で、自由裁量など、幸せに働くうえで大切なものが失われていった。また、お金以外の曖昧なものを追い求め始めたことで、いつしか仕事がアイデンティティそのものとなってしまった。それによる弊害は深刻だ。

 こうした状況から脱却しなければ、生活全体のウェルビーイングは向上させられない。賃金労働によって失われたものを取り戻す働き方を追求していくと、「職人的な働き方」に行き着く。職人とは、現代においては「プロフェッショナル」と置き換えてもいいであろう。そして、一本足のアイデンティティから脱却するには、アイデンティティの多様化を図る必要がある。

 本書では「自己複雑性」という言葉を使っているが、バランスのとれた人生を送るうえでは欠かせないことだ。そして、結果としてこれらのことを最も忠実に実践しているのがハイパフォーマーなのである。


【目次】

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