ここ数年、日本でも「リスキリング(学び直し)」が注目を集めている。しかし、その効果を実感できていない企業が多いのではないだろうか。アマゾンジャパン前社長の共著書『 OBSESSION(オブセッション)こだわり抜く力 』(ジェフ・ハヤシダ 、松本和佳著/日本経済新聞出版)より、リスキリングを本当の意味で生かすための考え方について見ていきたい。

スキルを生かし切る仕組みはあるか

 ここ数年の間に、経済界で急速に普及した言葉の1つが「リスキリング(学び直し)」だ。
 デジタル化の進展などによって働き方が大いに変わる中で、新しい仕事に対応できるスキルを身につける「学びのススメ」が政府レベルでも提唱されている。

 企業や組織が学習の場を提供し、社員は業務時間内に新たなスキルの習得に取り組み、それを新たな仕事で生かす、という具合だ。

 けれども僕は、本当にそんなことを日本の企業でできるのか、という疑問を抱いている。なぜって、日本では社内教育の環境がそれほど整っていないからだ。

 リスキリングは労働市場の変容をめぐる世界的な危機感に端を発し、クローズアップされた概念だ。

 マシンラーニング(機械学習)やAI(人工知能)の普及によって、とてつもない数の人々、とりわけホワイトカラーが仕事を失うという未来予想が、あっという間に現実のものになりつつある。
 銀行の窓口業務が機械に置き換わっていくように、取って代わられる職種はどんどん増えている。

 だからといって、昨日までオフィスで経理の仕事をしていた人が、明日から工事現場の仕事に就く、というわけにはいかない。
 国家レベルで見ても、ホワイトカラーがきちんと稼いでくれないと税収が減ってしまい、経済が回らなくなって成長が止まってしまう。

 こうした課題に企業も対応しよう、というのはわかる。だが、多くの日本企業が掲げるリスキリングの中身を見ると、中高年層にデジタルスキルを学ばせるケースが圧倒的に多い。

 じゃあ、そこで得たスキルをその会社の中で生かし切る仕組みは果たしてできているのだろうか。
 同じ程度のデジタルスキルを持ったものの、それをどの職場で生かせばいいかわからない、という中高年社員があふれることにならないか。そこは社員が自分で考えろ、というのかい?

 それぞれにどれだけのスキルを習得させ、その人たちをどんな職場に配置して価値創造に生かすか、という構図を企業自体が描いておくべきなんじゃないか。

 僕が思うに、リスキリングは、自分の能力と知識を向上させるステップアップのためのもの、アップスキリングでないと価値がない。
 それは通り一遍のデジタルスキル習得ではないはずだ。

新しい産業、新しい価値を創造できるか

 この点を理解していないと、せっかくの日本政府の支援策も企業の成長にはつながらなくなってしまう。

 例えばDX(デジタルトランスフォーメーション=デジタル変革)によって、今まで100人でやっていた仕事が60人でできるようになったとしよう。
 さあ、40人分の給料が浮いて利益率が上がった、と喜ぶような経営者は想像力があまりにも欠けている。

 その40人にプロジェクトベースでリスキリングを施し、特定の能力をつけて事業を立ち上げる、というのが、経営者が考えるべき戦略であり、そのためのリスキリングなんじゃないか。

 国がリスキリングを推奨するなら、新しい産業、新しい価値を創造するレベルまで考えないと、ちょっと寂しい。

 まあ、デジタル化がとてつもなく後れている日本なら、今程度のリスキリングでも仕事はいくらでも生み出せるかもしれないけどね。

「とりあえずリスキリングに取り組んでみる」やり方では、決して会社と個人の成長には結びつかない(写真/Shutterstock)
「とりあえずリスキリングに取り組んでみる」やり方では、決して会社と個人の成長には結びつかない(写真/Shutterstock)
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リスキリングを「はやり」でやるな

 言わずもがなだが、リスキリングは「はやり」だから取り組むものではない。特定の時期に取り組むものでも、もちろんない。

 環境は絶えず変化しているのだから、自分の組織とメンバーのスキルをアップし続けていく取り組みは常に必要なんだ。

 ではアマゾンではどうだったのか。最近は巨費を投じて社員のアップスキリングに取り組んでいるけれど、僕がいたころはまるっきり本人任せだった。
 大げさではなく、アマゾンの事業スピードについていくだけでも、十分スキルアップにつながったんだ。

 新しいアイデアを生めない、新しい工程を作れない、新しい事業に対する効率性を確保できない社員は、容赦なく置いていかれてしまう厳しさがあったからだ。

 アマゾンジャパンは中途採用が多い。彼らは自分の能力を売り込んで入社した人たちだから、さらに勉強したい、と思えば、自分の金と時間を投じることに躊躇(ちゅうちょ)しない。それが当たり前と思っている。

 そこで、会社として金は出さないが、せめて時間は合わせてあげるようにした。

 例えばビジネススクールに通っている人が、授業や試験のため特定の日は遅くまで仕事ができない、と申告すれば、すべてOKにした。向上心を持って頑張っている仲間をみんなで支えるという風土があった。

 ほかにも、物流倉庫で働いている人が、サプライチェーンのことを理解したいとか、ファイナンスを勉強したいとか申し出たら、当該部署に紹介して面接をしてもらった。そこで条件などが折り合えば、実際に異動することができた。

 社内の別の部署に移れば、それだけでアップスキリングできるチャンスが得られる。

 人事が慣例に従って多くの人を各部署に振り分ける日本の企業とは違って、個人の意思も尊重されるのだ。

MBA人材を使いこなせない経営陣

 米国では社会人が大学で様々なプログラムを学べる環境が整っている。最も有名なのがMBA(経営学修士)だ。

 コーネル大学ジョンソン経営大学院がファイナンスのMBAで有名なように、今はスクールごとの特性が顕著に表れ、それぞれに学びのプログラムが充実している。

 社会人を受け入れる仕組みはMBAだけではない。どこの都市にも市民大学が存在し、多種多様なクラスを提供している。
 授業料は安く、移民で英語力が弱い人が最初にドアをノックする場所になっている。

 日本にも多くのMBAスクールが存在し、様々な企業が膨大な数の社員を送り込んできた。だが、実際にMBAのキャリアを背景に経営幹部になった人がどれだけいることだろうか。
 せっかく会社がスクールで学ばせているのに、そこで得たスキルがキャリアアップにつながらないなんて、まるっきり意味がない。

 なぜこんなことが起きているのか。理由は簡単だ。

 高水準の知識を得た人をどう使っていいのか、どう評価していいのか経営陣がわからないからだ。

 リスキリングは業務に役立つ実践的な「学び」であることが大前提だ。そして、学ぶ本人にもその本質を追究する姿勢がなければ意味がない。

 経営陣の仕事は、こうした学びで個々人が得たスキルを、あますことなく価値創造に注ぎ込める道筋をきちんと整えることなのだ。

「アマゾン流」に見る、日本再起動のヒント。本書に通底するのは、ジェフ・ベゾス氏にも通じる「こだわり抜く」姿勢。数字への冷徹なこだわり(OBSESSION)と、人の心を動かす情熱(PASSION)がすべてのベースになる――約10年間アマゾンジャパン共同社長を務めた著者が、明快に語ります。

ジェフ・ハヤシダ&松本和佳著/日本経済新聞出版/1980円(税込)