仕事、勉強、住まい、人間関係、結婚──。これまで続けてきたことを続けるべきか、やめるべきか? ピュリツァー賞ジャーナリストが、科学やスポーツ、ビジネスなど幅広い領域の著名人への取材などから、科学的に正しい「やめどき」を探る。自分の考えを公に発表できるSNSには良い点がたくさんあるが、やめる判断をゆがめてしまうこともある。『 やめる 最良の人生戦略 』(ジュリア・ケラー著/児島修訳/日経ビジネス人文庫)から抜粋・再構成してお届けする。

SNSで電撃的に移籍を発表した選手

 自分の決断や考えを自分の望む方法で公にSNSで発表できることには、好ましい点がたくさんある。たとえば、大学のスポーツ選手が転校するとき、そのことに不満を抱いているコーチに発表の主導権を握らせる必要はない。

 メリーランド大学の女子バスケットボール選手アシュリー・オウスも、ヴァージニア工科大学のチームに移籍するというニュースを自身のインスタグラムで発表した。

 「私は物事を最後までやり通す人間だし、この大学でも最後までプレーするつもりでした。でも残念ながら、今年コートの内外で起こった出来事のために、自分の教育とバスケットボールのキャリアを別の場所で続けるという難しいけれど必要な決断をしなければならなかったのです」

 彼女は、誰かに決断を委ねるのではなく、自分が言いたいことを、どのように、いつ言うかを選んだのだ。

「SNSでの自己イメージ」が判断を鈍らせる

 一方、英国の心理療法士で『ソーシャルネットワーキングの精神力動(The Psychodynamics of Social Networking)』(2014、未訳)の著者であるアーロン・バリック博士は、SNSが支配するこの新たな現実には落とし穴が潜んでいると言う。

 「SNSは、自分のイメージを固定してしまう危険がある。SNS上で構築した自分のイメージを崩さないために、『続けるかやめるか』の決断が鈍ることもある」

 バリックは、SNSへの頻繁な投稿によって自己イメージをつくり上げていると、そのイメージに反するようなこと──たとえば、好きだと公言していた仕事をやめる、完璧だと自慢していた恋愛や結婚を終わらせる──をするのが難しくなると指摘する。

 SNSでの自己イメージを守らなければという思いがプレッシャーになり、判断がゆがんでしまうのだ。本心や常識に従うのではなく、SNSでの反応を気にして行動を決める。自分ではなく、他人の目を基準にして物事を判断してしまう。

 だが、〝SNS上での他人の反応〞という疑似的なオンライン投票のようなものの結果を気にすることが、本当にあなたの人生にとっての最良の選択に役立つのだろうか? バリックは言う。そのため、何かをやめようとすると、その物語を変えることを迫られかねない。

 「だから、物語を持続させるために、やめないという選択肢が優先される。やめるべきかどうかを真剣に考えることが、後回しにされてしまう」

SNSによって、やめるべきかどうかという選択がゆがんでしまう(写真/Shutterstock)
SNSによって、やめるべきかどうかという選択がゆがんでしまう(写真/Shutterstock)
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いつの時代も政治家がやめる瞬間は同じ

 政治家がテレビのインタビュー番組で激怒して途中退席する、有名人が記者会見を開いて制作中の映画からの降板を発表する──SNS以前の時代には、そんな光景をよく目にしたものだ。そんな出来事でもなければ、誰かの言動が世間の目にさらされる機会は少なかった。

 とはいえ、現代でもまだ、昔ながらの方法で公の場で何かをやめる瞬間が注目を集めることもある。2022年1月12日朝、NPRのキャスター、スティーブ・インスキープは、生放送の番組内で第45代米国大統領ドナルド・トランプへのインタビューを始めた。予定時間は15分。序盤はうまくいっていた。

 だがインタビュー開始から9分後、トランプが2020年の選挙では不正のために敗北したと主張し続けたことで議論になった。こらえきれなくなったトランプは突然、「スティーブ、今日はありがとう。じゃあ」と言い残し、その場を去った。

 ちょうど次の質問を始めたところだったインスキープは、インタビューの相手が目の前からいなくなったことに気づいた。「彼が出ていってしまいました」と言ったその口調には、非常識な行動をとったトランプへのいら立ちというより、戸惑いといくらかの後悔の念が感じられた。

 トランプがインタビューを途中で打ち切ったのはこのときが初めてではない。2020年10月20日、テレビのドキュメンタリー番組『60ミニッツ』に出演したときも、キャスターのレスリー・スタールの質問にいら立ち、その場からあっさりと姿を消した。

 ちなみに、もうこの場にはいたくないと判断して公の場から衝動的に立ち去るという行為は、トランプが発案したものでもない。政治家はこの方法を特に好む。

 激怒した公人が胸元のマイクを荒々しく外し、イヤホンを引き抜いて、「こんなくだらない質問には答える価値などない!」と吐き捨ててテレビ画面から消え去る光景は、昔からなじみのあるものだ。芸能界やスポーツ界、ビジネス界の有名人も、スタジオのまばゆい照明のもとで激論を交わしている最中に、怒りに任せて会場から立ち去ることがある。

トランプ前大統領はテレビのインタビューを打ち切って、その場から去ったことがあった(写真/Shutterstock)
トランプ前大統領はテレビのインタビューを打ち切って、その場から去ったことがあった(写真/Shutterstock)
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やめることで真実を明らかにする

 メディアの厳しい目にさらされながら人前で何かをやめる方法には、「内部告発」もある。

 2021年10月、フェイスブックの元社員フランシス・ホーゲンは米上院委員会で4日にわたり、同社が自社のアルゴリズムが原因で引き起こしている問題に無関心であると証言した。彼女はフェイスブックで約2年働いた後に退社する際、自らの主張の正しさを裏付けるためのデータを持ち出していた。

 「私が今日ここにいるのは、フェイスブックのアプリが子どもたちに害を与え、社会の分断をあおり、民主主義を弱体化させていると信じているからです」と、ホーゲンは議員らに語った。

 「同社の経営陣はフェイスブックやインスタグラムの安全性を高めて人々を守る方法を知っているのに、天文学的な利益が得られるために必要な変更を加えようとしないのです」

 彼女は、雇用主を公然と批判して仕事をやめた。

 内部告発者が必ず告発を公にするわけではない。この分野で著書のあるパトリック・ラーデン・キーフは、2022年の「ニューヨーカー」誌の記事で、企業犯罪の可能性を告発したインサイダーに金銭的な報酬を与える連邦政府のプログラムがあることを紹介している。告発を真剣に受け止めてもらうために、それを世間に公表する必要はないのだ。

 「公表しないことを選択する人もいる」とキーフはいう。しかし、ホーゲンのように、議会の公聴会で爆弾発言的な主張をすることで、退職を勇気ある行為に変える者もいる。報復されることだって十分に起こり得る。

 だが彼女は自らの退職を通じて告発することによって、社会に問題提起したのだ。

最新の神経科学・進化生物学が示す、科学的に正しい「やめどき」を解説する注目書が文庫に。ミツバチやラット、カラスも「あきらめ=退避」によって生き残る。仕事、勉強、住まい、人間関係、結婚などを、続けるか、撤退するか、悩んでいるすべての人に、やめることにまつわる後ろめたさを覆し、前向きな決断で人生を切り開く力を届ける一冊。

ジュリア・ケラー著/児島修訳/日本経済新聞出版/1210円(税込み)