世界中を回り、社会問題を取材してドキュメンタリーを撮り続ける小西遊馬さん。2022年3月にはロシア軍による侵攻を受けたウクライナのキーウに入り、現地の街の人々を取材。キーウに入った小西さんは驚くような光景を目にした。ジャーナリストとしての取材スタンスを改めて考えるきっかけとなったその時の様子と、弱い立場の人の声に寄り添い続ける取材姿勢のベースとなった本について聞いた。
ウクライナから帰国して10日。この間に僕は24歳になりました。
東京はすっかり春で暖かく、もう空襲警報や爆撃音に身を縮める必要もありません。
でも、この平和な状況に僕はまだ慣れることができない。
何を見ても現実感がなく、まるで目の前に薄い膜を張った状態で映像を見ているかのようです。その一方で、ふとした瞬間にリアルによみがえる戦地で目の当たりにした戦争のグロテスクさ。
いったいどうすれば元に戻れるのか。
なぜ、キーウに入ったのか
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まったのは、ちょうどバングラデシュでロヒンギャの取材をして日本に帰ってきたばかりのときでした。体力的にもメンタル的にもかなり落ちていたので、情報を遮断しスマホの電源も切って、部屋で1人ひたすら映像の編集と読書に明け暮れること1カ月。ようやく持ち直してきたな、と情報を入れ始めたら、ウクライナがたいへんなことになっていた。
その時点で、日本の大手メディアは首都のキーウに入っておらず、450キロ離れたポーランド国境の街・リビウから中継をしていました。聞けば、現場の人たちはみな入りたがっているのだけれど、会社の事情もあって、上司からストップがかかっている、と。
つまり、日本のメディアの多くが、外国メディアや海外のフリージャーナリストから情報を買って報道しているのです。これだと高くつくし、長く使えないし、尺も自由になりません。結果、ニュースが短絡的になり情報の幅としては狭くなる。これはヤバい。ジャーナリストを名乗らせてもらっている者として、やらなきゃいけないことがあるのではないか。これがキーウに行った大きな理由です。
もう一つの理由は、2019年の香港民主化運動の取材を通して知り合った香港人のジャーナリストがすでにキーウ入りしていると知ったから。僕は香港の人々が自由のために立ち上がり、戦いに挑んだけれども勝つことができず、最初こそメディアにチヤホヤされたもののすっかり忘れ去られていく過程を、そのジャーナリストたちと一緒につぶさに見てきました。その彼らが、ウクライナをどう見るのか。彼らを映すだけでも世界の一端が見えてくるのではないか。
それから、僕の祖父母は戦争を経験している世代で、父をフィリピンで亡くし、疎開していたり、満州からの引き上げを経験していたりするのです。そのつらい体験を断片的には聞かされてきたけれど、僕自身はよく分かっていないところも多かった。戦地へ行くことで、そんな自分に近い人たちを理解したいというエゴイスティックな動機もありました。
それで、3月10日に日本を出発し、ポーランドから陸路でウクライナへ入り、16日にキーウへ。入ってまず感じたのは驚きでした。
戦争は、マネジメントされうる――と。
戦争中だから、街は混乱し情報が錯綜(さくそう)しているものと勝手に思い込んでいました。だから、キーウに入ってからの情報収集には苦労するだろうなと覚悟していたのです。
ところが、キーウにはウクライナ当局が用意したメディアセンターがあり、取材の趣旨を伝えると、段取りをつけてくれたり、通訳やドライバーをかなり安い価格で手配してくれたりするなど、海外メディアに対するサポート体制が整っていました。
メディアセンターのグループチャットに登録すると、「今日○時から、キーウの○○広場で、コーラス隊が追悼のためにウクライナ国歌を歌います」といったイベント情報が流れてきました。
言葉が通じず知り合いもいない、なんのつてもない、会社の上司から「何か素材をよこせ」と連日催促されている人も多い、そんななかでの情報です。しかも、結構エモーショナルだし、絵として押さえておきたいと○○広場へ足が向くのも無理ありません。
ウクライナとしては、見せたいものにスポットライトを当てて、積極的に、しっかり見せていくという方針なのでしょう。でも、安易にその提供を受けると、こちらにそのつもりはなくても、結果的にプロパガンダに加担することにもなりかねない。これは、ギリギリだなあ、と思いました。
僕はいつだって、虐げられている人、弱い立場の人の力になりたいと思って取材や撮影を行ってきました。でも、この場合、それっていったい誰なんだろう。
僕は何を伝えたいのか
ジャーナリストとして、自分は、何を伝えたいのか、どんなスタンスで臨むべきなのか――今回のことは、これを改めて考えるきっかけになりました。
何人かとは議論もしましたが、そこまで考えることないんじゃない? と言う人もいました。あるベテランジャーナリストは、完全に中立な立場で事実を伝えればどちらに加担していることにもならないと考えている、と。でも、完全に中立って可能なのか。少なくとも誰かの力になりたいと思ってカメラを回す僕のスタンスではあり得なかった。
じゃあ僕はどうなのか? 僕が力になりたいのは、ウクライナという国家でもなければ、ロシアという国家でもない。この戦争のはざまで虐げられている人たちだ。声なき声の側に立ちたい。それがウクライナ人であってもロシア人であっても同じなのだ。
大切なのは相手と心通わせながら、その人のそばにちゃんといること。そして、フィルターをかけず、乱暴に切り取らず、安易に判断しないで、目の前のその人をそのまま映すこと。
戦地から帰り、手に取った3冊
ウクライナからの情報は誇張されているかもしれない。もしかしたら、限定的かもしれない。でも(正確な人数や方法に多少の操作があったとしても)、僕はこの目で、苦しんだり、亡くなっていったりする人の姿を見た。そんな人の声を聞いた。これは確かな事実です。そして、そうやって人を苦しめる、この戦争を絶対に許さない。
正解も不正解もないんだと思います。だから、弱い立場の人のために何ができるかを考えたい、この戦争をどうしたら止められるかを議論していきたい。
そんな気持ちで戦地から帰ったばかりの僕が手に取ったのは、 『生物から見た世界』(ユクスキュル/クリサート著、岩波文庫) 、 『人間失格』(太宰治著、新潮文庫) 、 『ねじ式』(つげ義春作、小学館文庫) の3冊です。
『生物から見た世界』は、自分が何も見えていない、何も分かっていないということを思い知らされた衝撃の書です。僕の取材の原点がここにあります。
『人間失格』では、主人公は人としてまさに「失格」かもしれないけれど、そんな彼の中に自分が見え隠れするという点で、僕の人生のバイブルです。
『ねじ式』は、傷ついているときに手が伸びる本。読むとさらに傷ついて、痛い。だけど、その後にちゃんと、解放がやってくる。だから手放せません。
なんの脈略もなく選んだように見えるかもしれませんが、僕が今、「世界を映す」ときに大切にしている視点や、立場や環境の異なるさまざまな人を取材するときの姿勢をつくってくれたのが、この3冊なんです。
取材・文/平林理恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子