「旅は人生に似ている、と言いますが、キャリア形成も旅に似ています」と入山章栄・早稲田大学ビジネススクール教授は説明します。充実したキャリアを築くためには、読書という「旅」を通じて、自分から遠く離れた価値観に触れることが重要。世界最先端の経営理論に精通しビジネスパーソンの注目を集める入山さんに、お薦めの本を3冊紹介してもらいました。第1回は 『深夜特急』 シリーズ(沢木耕太郎著/新潮文庫)。
関係なさそうな本を読む
今回、僕は「旅」をテーマにして、皆さんに読んでほしい本を3冊選びました。これからの時代の経営にはイノベーションが必要で、イノベーションを起こすには自分の認知から離れた遠くのものや、一見、自分の生活や仕事に関係なさそうなものを見たり、聞いたり、読んだりすることがとても重要です。
コロナ禍の今は物理的な移動がしづらい状況ですが、読む行為に制限はありません。読書も含めていろんな刺激を受けて、グチャグチャに入り混ざった状態からベストなものを組み立てていく、というのがイノベーティブな能力です。それが実践できている人はすごく少なく、だからこそなかなかイノベーションが起きないわけです。良い経営者には読書家が多く、そのようなことを実践しているのは注目すべき点です。
旅をどうやって終わらせるか
最初にお薦めする本は、沢木耕太郎さんの『深夜特急』シリーズです。沢木さんの実際の旅行体験に基づいた紀行小説で、1980年代、90年代の個人旅行ブームの一翼を担ったバックパッカーのバイブルのような本です。きっと、読んだことがある人も多いのではないでしょうか。僕も学生時代に読んで、本を片手に世界中を旅して回った経験があります。
シリーズは、(1)香港・マカオから始まって、(2)マレー半島・シンガポール、(3)インド・ネパール、(4)シルクロード、(5)トルコ・ギリシャ・地中海、(6)南ヨーロッパ・ロンドンまであって、僕が一番好きなのは、最後の南ヨーロッパ・ロンドンです。『深夜特急』ファンの間では、(1)香港・マカオの賭博シーンがいいという人が多いのですが、僕は最後の「旅をどうやって終わらせるか」というところがすごく好きなんです。
沢木さんが体験した放浪のような旅は、スタートからゴールまで、自分で計画を立てる必要があります。沢木さんの場合、香港を出発してユーラシア大陸を横断しヨーロッパを目指す、という目標は立てたんですが、期間を決めてないので、いつ止まっても進んでもいいわけです。
そのため、彼は途中、旅を終わらせたくなくてウダウダし出すんです。旅を終わらせなければいけないと分かっているんだけれど、なかなか決断できない。決断できないまま、フラフラとポルトガルのサグレスという町に夜遅く流れ着いて、たまたまやっていた宿に一泊。翌朝、窓を開けたら大西洋が広がっていて、そこがユーラシア大陸の最西南端の地であると知ることに。その大西洋を見て、沢木さんは旅をやめようと思った、と。旅を終わりにしようと思っていなかったのに、図らずも目標を達成してゴールしてしまったのです。
キャリア形成という旅の進め方
沢木さんは、「旅は人生に似ている」と言っています。僕の記憶に好きな言葉として残っていて、あるときふと、旅と似ている人生の大半は働く時間なのだから、「旅はキャリア形成に似ている」とも言えるな、と思いました。
人生100年時代の今、30代、40代の人はあと40~50年働く可能性があります。その長い旅をずっと一つの会社で過ごすのか、あるいはどこかで一度終わりにして、転職や独立を経て新たな旅をリスタートするのか。
かつては、就職すれば、よほどのことがない限り定年まで乗せてもらえる「終身雇用列車」があって、自分で旅のプランを考えなくても、会社が立ててくれました。60歳になったら自動的に降ろされて、旅を終わりにもしてくれました。しかし、すでにそういう時代ではありません。キャリア形成という旅は自分で計画して歩みを進めて、リスタートやゴールも自分で決めなければいけないのです。
最初のスタートは、多くの人が学校を卒業したと同時のタイミングですが、リスタートする場合、分かりやすい目安はありません。人はどうしてもリスクを嫌って現状維持してしまいがちなので、そのタイミングを先延ばしにする傾向があります。しかし、より充実したキャリア形成を行うには、この会社ではどのくらい過ごして、次はあそこを目指して、さらにその次は、というように組み立てることが必要不可欠なのです。
そんなふうにキャリア形成と照らし合わせながら読むと、『深夜特急』の面白さがより増すでしょう。ただ、読書による脳内旅行を楽しむだけではなく、物理的に移動する旅の良さも再認識してほしいところです。なぜなら、イノベーティブな能力を養うには、やはり現場に行って、自分の目で見て肌で感じることが大事だからです。
実は、僕はこの取材をオンラインで、妻が子どもを連れて赴任しているフィリピンのマニラで受けています。マニラに来て、今まで知らなかった世界を見ることができ、いい刺激を感じています。フィリピンは、発展途上国から中進国へと変化していて、これから最も成長するといわれる国の一つです。人口が1億人を超え、労働年齢が非常に若く、国民が英語を話せることも強み。この活気と希望にあふれたムードは、日本のように超成熟した国から来ると、とてもまぶしく映ります。コロナ禍が終息して自由に行き来できるようになったら、本を片手にぜひリアルにいろんな所を旅してください。
取材・文/茅島奈緒深 写真/大倉英揮(人)、スタジオキャスパー(本)