もし、32歳の主婦が突然「社長になってほしい」と頼まれたら? しかも、それが経営難の町工場だったら? 実は、そんな状況に実際に直面した経営者がいる。東京・大田区にある精密金属加工メーカー、ダイヤ精機の諏訪貴子社長だ。彼女はどんな思いで家業を継ぎ、町工場の経営を立て直してきたのか。著書『 町工場の娘 』(日経ビジネス人文庫)から抜粋して紹介する。3回目は、見事に会社再生を果たした諏訪社長の仕事論を取り上げる。

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「やりたいこと」をとことん追求する

 何を言われようとも、自分の気持ちに正直に、「やりたい」と思うことをやるようにしている。基準は「やりたいか、やりたくないか」であって、「人がどう思うか」ではない。
 自分に正直に行動してきた結果、それが「個性」と認められるようにもなった。
 その個性の1つは、「思ったことを誰にでも臆さず言うこと」だろう。

 2011年9月、当時の野田佳彦首相が中小企業の現状を知りたいとダイヤ精機に視察に訪れた。その時、私は日頃から思っていたことを野田首相に直接訴えた。

「今までの国の中小企業政策は『大きな中小企業』向けで、我々のような零細企業には光が当たってきませんでした。これからは国内の大部分の雇用を支えている小規模企業にもぜひ目を向けてもらいたいです」

 その後、2012年3月に「“ちいさな企業”未来会議」が発足。全国の小規模企業の代表者150人が政府に求める支援策を話し合う場ができた。

 中には、首相に直訴するなど「図々しい」「身の程知らず」と思う人もいるかもしれない。だが、心から「伝えたい」と思うことがあるのに、それを抑制する必要があるだろうか。

 小さな子供はわがままだ。欲望のまま、言いたい放題、やりたい放題。ちょっとでも思い通りにならないと、泣いたり、わめいたりする。
 ところが、小学校高学年ぐらいから、わがままは消える。社会の規範、常識を知って、自分を抑制することを覚えるのだ。抑制の意識は年々強くなる。

 個性は許される範囲で最大限に発揮すれば、人の強みになる。そう思って、「やりたいこと」をとことん追求してみてはどうだろうか。一部の人からは、批判的にとらえられるかもしれない。しかし、雑音が聞こえてきても、「受け流す」「割り切る」力を持つこともまた大切だと思う。

夢中になれる趣味を持つ

 社長になって半年ほど経った頃、経営者の孤独を味わい、強いストレスを感じるようになった。気晴らしに近くのスポーツクラブの喫茶店に行ってみると、スタジオでクラシックバレエを楽しんでいる女性たちがいた。
 優雅な動きに目が釘付けになった。

「私もやってみたい!」

 その場ですぐに入会の手続きをした。以来、週に2~3回レッスンに通っている。これが心身のリフレッシュに実に効果がある。

 経営者は24時間、経営者だ。私はオンとオフとを切り替え、家にいる時には仕事の話を全くしない。しかし、それでも会社のことが頭から100%離れることはない。
 だが、バレエのレッスンを受けている間は、音楽に合わせて手や足をどう出すか、ポーズをどう決めるかしか考えないから、仕事のことが頭からすっぱり消える。
 こうして頭を空っぽにできる時間がとても重要で、バレエを終えた後にはリセットできた感覚になる。

 経営者としては「できない」「わからない」という言葉をそうそう口に出せないが、バレエでは何でもゼロから教えてもらえる。「人から指導を受ける」という体験も新鮮だ。

 バレエをした日は体も頭も程良く疲れてすぐに寝付ける。多忙な経営者は質の良い睡眠を取らなくては体がもたない。
 仕事が多い時ほど、頭と体のリセットのためにバレエに足繁く通う。多い時には週に5回行くこともある。

 このように、没頭できる趣味を持つというのは大事なことだ。私の場合はバレエだが、もちろん、野球でも料理でもガーデニングでも何でも構わない。夢中になれるものを持ってこそ、新鮮な気持ちで仕事に向き合えるのだと思う。

「小さな勇気」が人生を変える

 講演会で話をさせていただく機会が増えた。多くの場合、最後に15~20分ほど質疑応答の時間がある。だが、誰も手を挙げる人がいないことがある。そんな時、私は実体験を基に、こう話す。
「小さな勇気と行動が人生を変えますよ」
 私の人生を変えた小さな勇気と行動とは何か。

 2009年7月のこと。
 当時の麻生太郎首相が大田区を訪ね、中小企業経営者との意見交換会を開いた。
 時の総理大臣に会うチャンスなんてめったにない。私はこの機会にぜひ、首相に訴えたいことがあった。
 2008年12月に運用が始まった「雇用調整助成金(中小企業緊急雇用安定助成金)」のことだ。

 この助成金はリーマンショック後の厳しい経済情勢の中、労働者の失業を防ぐために国が企業に対して実施した支援措置の1つ。
 ところが、対象企業の要件は「売上高または生産量の直近3カ月間の月平均値がその直前3カ月または前年同期に比べ5%以上減少している」ことなどとされていた。
 2009年の段階で「前年同期」を基準としてしまうと、リーマンショック後の需要激減期よりもさらに売上高や生産量が5%以上減っていないと、助成金が受け取れないことになる。
 基準を見直さなくては、中小企業の努力は報われない。私はせっかくの機会を生かし、首相に要件変更を直訴しようと待ち構えていた。

 だが、区長、商工会支部会長らが顔を揃えた意見交換会は厳粛なムード。とても若輩者の私が発言できるような雰囲気ではない。
 「言いたい」と思いつつ、30分ほどの会議の間、ついに口を開くことができなかった。麻生首相が退室しようとドアの方に向かっていく。
「このまま何も言わずに帰ったら絶対後悔する」
 そう思った私は勇気を振り絞って立ち上がった。

「麻生首相、直訴させてください!」

 部屋を退出しかかっていた麻生首相は、呼びかけに気付いて足を止め、私の方に近付いてきてくれた。
 SPに腕を押さえられながら、私は伝えたいと思っていたことを口にした。
 首相に随行していた経済産業省の官僚が私の訴えの意図をくみ取り、「彼女が言っているのはこういうことです」と“通訳”してくれた。

 翌8月に行われた衆議院議員選挙で自民党は大敗を喫し、9月に麻生政権は退陣した。だが、私の訴えは引き継がれた。
 その年の12月、雇用調整助成金の要件が緩和された。
 経産省の担当者からは「諏訪さんの直訴が通りました」と連絡があった。「勇気を出して言って良かった」と心から思った。
 私の人生はこれを機に大きく変わった。

「首相にも臆さずものを言う女性」
 霞が関ではそんな評判が広まったらしい。

 2011年、経済産業省から声がかかり、産業構造審議会の委員になった。産業構造の改善、産業政策のあり方など重要事項を調査・審議する会の一員になったことは、2012年「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」受賞のきっかけにもなった。

 2013年からは政府税制調査会の特別委員も務めている。国の重要経済政策に関わる立場に立つとは、少し前の私では考えられなかったこと。これは麻生首相への直訴という「小さな勇気と行動」があったからこそだ。

 講演会の質疑応答の時間、質問者がなく静まり返っている時、このエピソードを話すと、手を挙げる人が何人も出てくる。

 そう、大事なのは、どんな場においても、悔いのないよう「小さな勇気」を持って行動することだ。自分を変え、人生を変えるチャンスは至る所に転がっている。

*本文中、肩書などは原則として単行本発行時のままで表記しています

(写真:miiko/stock.adobe.com)
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「貴子さん、社長をやってください」。社員に懇願されて32歳で突如、主婦から社長になった町工場の2代目社長、諏訪貴子さんの奮闘記『町工場の娘』が文庫化。諏訪さんはどのように「社長」という重責を受け入れ、数々の修羅場を乗り越えてきたのか。バブル崩壊後の経営再建を託され、悩みながらも会社を復活させた10年の軌跡を克明に振り返る。

諏訪貴子著、日経BP 日本経済新聞出版、990円(税込み)