働く女性に支持され続けている『日経ウーマン』で、27年も続く連載「妹たちへ」。キャリアに迷い、人生これでいいのかと悩む女性たちから圧倒的な支持を得てきました。その名物連載が、15年ぶりに単行本『 一歩が踏み出せなかった私へ 』として登場。雑誌掲載当時の語りを1冊にまとめた、20人の“姉”からのエール集です。今回は村木厚子さんの回をお届けします。
(本連載は、書籍『一歩が踏み出せなかった私へ』に収録されている内容の一部を抜粋してお届けします)

 役所の仕事で一番面白いのは「課長」だと言われます。業務の中心にいて、現場でリーダーシップを執っていく。私は40代から、男女雇用機会均等法や障害者政策などを担当する部署の課長として、20〜30人の職員と仕事をしてきました。

 40代半ばになり、50代が見えてきた頃、「50代になった自分は、40代でも成長できたと感じられるだろうか」と疑問が生まれました。20代、30代と仕事で成長実感がありましたが、40代では、体力面など「衰え」のほうが気になり始めました。

 その頃、転機が訪れました。私は障害保健福祉部の企画課長として、障害者自立支援法の策定に携わっていました。この法律は、障害者の福祉サービスの自己負担を巡り強い反対運動が起こっていました。しかし当時の障害者福祉制度では確実に財源がなくなり、サービスを受けられない人が出てしまう。事情をよく知る人たちは、新しい制度に移行するしかないと、支持してくださる方もいました。絶対にこの法律を国会で通さなくてはと激務をこなしました。

 ある日、体調の変化に気がつきました。毎日3時間睡眠なのに、日中、ちっとも眠くならない。激務が続いているのに体も疲れない。食べていないのにお腹もすかない。部下に話すと、「今倒れられると困るので、村木さんの仕事を、一つ私がやります」と言ってくれ、気が楽になりました。

 後に、障害者郵便制度悪用事件で逮捕された時、取り調べ中にそのことを検事に話すと、「それは覚せい剤を使用した時と同じ症状ですね」と笑われました。アドレナリンが異常に分泌されていたようで、そのまま同じ業務量で仕事をし続けていたら、ばったりと倒れていただろうと。

 のんびりしている性格を自覚する私が、そんな状態になるとは思いもしませんでした。当時は、国会答弁や資料に一つでも欠陥が見つかると法案が通らなくなるというギリギリのところで仕事をしていました。火事場の馬鹿力のように、追いつめられると体も変化することを実感して、「まだ自分でさえ知らない自分がいる」と気付きました。40代で新しい自分に巡り会ったのだから、50代になっても違う自分に出会えるはず。仕事を続けていこうと思えました。

 50歳ぐらいで審議官や局長に就任すると個室を与えられ(私たちはこれを「箱に入る」と言います)、部下と一緒に大部屋で仕事をすることができなくなります。そうなると部下から随時情報を上げてもらうのが難しくなります。部下に厳しく接して情報を得る方もいますが、私は太陽戦略。何でも相談に乗りますよ、という姿勢で、部下が話を持って来やすいように努力しています。それが私のキャラクターに合っていますし、人は自分のキャラクターに合わないことは上手にできないものです。

 09年に虚偽公文書作成容疑で逮捕・起訴された事件は、50代の自分だったからこそ、乗り越えられたと感じています。身に覚えのない罪での逮捕というショックな出来事にあっても平静を保てたのは、仕事と子育ての両立で悩んだ経験があったから。

 保育所が見つからなかったり、子どもが病気になったりと「もうダメだ」とパニックになりかけた時は、「できること」をすべてリスト化して、それを、すぐできること、明日にならないとできないこと、条件が整わないとできないことというふうに分類し、すぐできることに、まず手をつけるという方法を取っていました。危機的状況にあっても、できることをこなしていくと不思議と落ち着くんです。

 拘置所でも同じでした。いくら嘆いても、逮捕された事実は変わらない。大事なことは、取り調べに向けて体調を崩さないようにすること。裁判に向けて資料を読むこと。「今、できること」に集中していたから、冷静でいられたのだと思います。

 「好きなことがある」こともよかった。本を読んでいる時は、置かれた状況を忘れることができました。拘置所で「13番」と呼ばれた164日間にわたる長い勾留生活で、本を150冊ほど読みました。心の支えになった1冊が、千日回峰行を行った天台宗の高僧、酒井雄哉さんの 『一日一生』(朝日文庫) 。「一日を一生と思い精一杯生きる。千日は、ただその繰り返し」という言葉です。20日間の取り調べの間、身に覚えのないことを自白させられてはいけないというプレッシャーは大変なものでしたし、その後の拘留もいつまで続くか分かりません。そんな中で「今日一日を一生懸命生きる、それだけでいいんだ」と思うと、大きな岩を抱えているような気持ちが軽くなり、しっかり戦っていこうと覚悟のようなものが固まりました。

(写真/Pcess609/stock.adobe.com)
(写真/Pcess609/stock.adobe.com)

 「好奇心」を持つことも、正気を保たせてくれたと思います。「大変だ」と思ってはいるのですが、頭の中の2割くらいでは、常に「これはどうなっているのかな」と考えていました。拘置所では所持金があれば食料品や日用品を買えるのですが、どんな商品が届くのか知りたくて、お菓子や化粧品を買ってみたり。下着を頼んでユニクロの商品が届いた時は、「ユニクロの営業力ってすごい」と感心しました。

 しかしなんといっても、あの時期を一番支えてくれたのは二人の娘の存在です。私がここで負けると、娘たちが将来何かあった時に、「お母さんも頑張れなかった」と思ってしまう。それは絶対に嫌でした。娘に、ここぞという時は絶対に負けてはいけないことを見せたかった。仕事の休みの日に来てくれた長女、受験生にもかかわらず、大阪の予備校に通いながら毎日顔を出してくれた次女。面会室で、たわいもない会話をしてくれる存在があったから、崩れ落ちることなくいられたと思います。

 被疑者がやっていない罪を認めてしまうのは、二つの理由があると聞きます。一つは、厳しい取り調べで「眠れない、食べられない」という状況になり、心も折れてしまうこと。そしてもう一つは、逮捕で周りの人々から見捨てられたと感じ、「どうでもいい」と思うようになること。

 私が拘置所にいる間、70人の方が面会に来てくださり、500通のお手紙をいただきました。仕事をする喜びの一つは多くの方と出会えることですが、その出会いがそのまま応援団になってくれました。人間関係は貸し借りではない。むしろ「また、一緒に仕事ができるといいね」と思えるような関係が大切だと思います。

 保釈された日、娘たちは涙で私を迎えてくれました。今回の逮捕につながった、虚偽の供述をした元部下へは、後日弁護士さんを介して「もう怒ってないよ」と伝えました。彼の涙ながらの証言を裁判所で聞いた娘が、そう言ってくれたからです。私たち家族の伝言を聞いた元部下は、号泣していたという話を聴きました。

 事件は、どんな意味があったのかと今も考えます。一つ言えることは、「人生のリカバリーはできる」ということ。それを証明するためにも、職場に復帰したかった。今、誰もがはじきだされることのない真の「共生社会」を目指して子どもや障害者の問題、自殺対策などに取り組んでいます。中でも、「仕事と子育て」の政策をもっと進めたい。私が子育てをしていた20年前と比べても、出産・育児での女性の離職率や仕事と両立の大変さはあまり変わっていません。保育所などを充実させ、子育てしながら働く女性に、子育てがしやすくなったと「変化」を実感してもらいたい。それが、仕事を「卒業」するまでの目標です。

[本連載は、書籍『一歩が踏み出せなかった私へ』に収録されている内容の一部を抜粋してお届けします]

取材・文/松田亜子

働く女性に支持され続けている『日経ウーマン』で、27年も続く連載「妹たちへ」。キャリアに迷い、人生これでいいのかと悩む女性たちから圧倒的な支持を得てきました。その名物連載が15年ぶりに単行本として登場。雑誌掲載当時の語りを1冊にまとめた、20人の“姉”からのエール集です。

日経WOMAN編集部編/日経BP/1980円(税込み)